2012年8月20日月曜日

ライネケ 久しぶりに釣る <ライネケ>

ライネケは、小学校時代は、喘息持ちのために、学校を休んで、よく独りで寝て暮らしたせいかもしれないが、集団の遊びが苦手で、その頃、少年たちが盛んにやっていた草野球にも加わらず、元気なときは、学校から帰ると、ランドセルを放り投げて、竹で編んだ石箕(いしみ)とバケツをぶら下げ、ゴム長またはゴム草履を履いて、近所の川に出かけては、魚とりをする毎日だった。もちろん、釣り竿を出して、釣ることもあったが、待っているのは嫌いな性格で、じゃぶじゃぶ川に立ちこんで、岸辺の水草の辺りに石箕を突っ込んで、足で魚を追い出して、すくい上げる、というのが専らのやり方だった。

今でも、往診の行き帰りに、近所の川の近くを通るときは、流れの中を何か泳いでいないか、ついつい、立ち止まる。川面の照り返しを避けながら、じっと目を凝らすと、何かの影がよぎる瞬間がある。生の揺らめきに接するとき、人の心も揺らめく。


青いグラスファイバーの竿と
青いちっちゃなリール

お盆の頃、Sora-Gama君が、我が家に帰って来ていたのだが、釣り好きの彼が、ライネケに、小さなリール付きの竿と疑似餌針の付いたのサビキ針を置いて行ってくれた。ライネケが、風のないとき、アクアミューズで、ただ漂っているのもばからしいから、釣りでもして、晩飯のおかずを持って帰れるといいかもしれんなどと、うっかり言ってしまったせいだろう。


先端におもりがつき、
オキアミ風の疑似餌の付いた針が一定間隔で付いたハリス
こいつが目の前を上下すると
塩屋の浜の沖合の海底近くのアジやらが食いついて来て、
ずらりと並んでつり上げられるという寸法なんだが・・・。
タイなんか釣れるとええなあ。うふふ。


Sora-Gamaが、身銭を切って、置いて行ってくれたのだから、彼をがっかりさせないためにも、何もしないわけにはいかん。というわけで、18日土曜日午後、外来が終わったあとで、16時過ぎから、松前の浜に行き、風は弱かったのだけど、沖に出て、釣り糸を降ろしてみた。潮の流れがかなり強く、5本程付いた針を、真下に降ろして、上げ下げするようにと彼が言い残してくれたんだけど、どんどん潮に流されて行くみたいで、ちっとも理屈通りには行かない事が判明した。

全然、期待もせず、揺れる船の上で、
もつれた糸に苦労しながら、ラダーを避けて、おもりを放り込み、リールのストッパーを解放する。繰り返すこと数投。

おや、何かに引っ掛かっちゃったみたいだ。なんてこった。リールを巻き上げて行くと、なんと、10cm程の小魚がかかっている。まさか。びっくりしたよ。

結局、雑魚が2匹釣れた。ほんの5cm程のもいれると都合3匹。ちっちゃいのも、生意気にも、ちゃんと口に針がかかっていた。
「こんなしょうもない小魚でも、釣れると、やっぱりうれしいもんだね。」
周囲に誰もいない海上で、独り言を言ってしまった

アクアミューズで遊んだあと、
艇を陸揚げして、潮水で艇に付いた砂を洗うための
プラスチックバケツに入れた獲物
一匹は途中で弱ってしまった。
背中の模様から見てサバの子どもか?
こんな小魚は逃がしてやれよ、と言われるかな。
今日は特別だ、というわけで、食っちまった。
ライネケの体の中で生きろ。

こいつはエソだそうだ
これから、唐揚げにされるんだが、まだピンピン跳ねていた
淡白でうまかった。

かえしの付いた釣り針はうっかり突き刺すととても厄介だ。あの小さな小舟の中で、自分が釣られないように、糸針竿を扱うのは大変だった。多分、アクアミューズは釣り船には向いていないのだろう。しかし、それなりに面白かった。

夕暮れの渚で、ライネケは、艤装を外し、アクアミューズを潮で洗った。引き上げ時だ。

盆過ぎの松前の浜では、土建屋だかやくざだか知らないが、入れ墨した兄ちゃんたちが、テントを張って、派手めのお姉ちゃんたちやら、やたら騒がしい子ども達が走り回っていた。その隣を通って、小さな台車に舟の舳先を乗せて、傾斜した砂浜を押して、舟を道に出すための柵の隙間が連中の車で塞がれていたので、苦心惨憺して、艇を道に運び出し、車に積んで帰った。

帰宅してただちに、ちっぽけな二匹の魚を、唐揚げにして食べてしまった。ロナにも、少し分けてやったら食べた。昔、倉敷時代に、Sora-Gamaが釣って来たウナギを近所の魚屋にさばいてもらい、蒲焼きにして食ったのを思い出した。あれはうまかったよ。


ライネケのつまらない一言に反応して、早速、竿を用意してくれたSora-Gama君には感謝しなければいけないね。もうひと工夫して、また、アクアミューズで釣ってみるつもりだ。

この報告に、Sora-Gama君も喜んでくれただろうか。子ども達は子ども達なりにライネケに何かしてくれるのだし、ライネケはライネケなりに彼らに答えているということなのだろう。人間関係というのは、お互いのやりとりの努力があってこそ成り立つのだろうが、しばしば、片思いに終わることもあり、人間は言葉の生き物なので、言葉を使わなければ、思いが十分に伝わらないことも多い。しかも、言葉は本質的に不完全だ。

生命の輝きが失われて行く瞬間。
生と死の間に境界はあるのか、
ないのか。
ありていに言って、ライネケのことは、余りかまってくれなくていいんだ。孤独死の報道をよく耳にするが、無視され放置されるのならともかく、いろいろ気を使ってかまってくれなくても、小さい頃からライネケは自分一人の完結した世界の中で遊び慣れて来たし、これから一人で生きて行くというだけの強靭さを持ちたいと思っている。

子ども達に対して、何かしてやったという気持ちもない。何かしてほしいと思うこともない、と思うように努力している。育つ過程で、ああなってほしい、かくあってもらいたい、ということはあったが、もう、立派な青年となった子ども達に、今更言うようなことでもないだろう。あえて言えば、ただただ、優しくて心の深い人間として生きてほしいだけだ。

逆に、ライネケに何かしてやったのに、分かってない、という不満があるなら、それは誠に申し訳ないというしかない。そういう意味では鈍感なのだろう。ライネケは、そういう世間並みの誠意とか、心遣いとかいったものを、余り気にしないで育ったせいか、世間知らずで、常識知らず、礼儀知らずのまま、歳をとってしまった。どうしようもないし、どうしようとも思わない。

まだ、わずかに明るい西の夕空
月が昇って来た。

ツクツクボウシの鳴き声が聞こえるようになり、ネコパコは、すでに、どこかでヒグラシの声も聞いたと言う。日射しは、相変わらず強いが、昨日今日と何となく過ごしやすくなった気がする。

今年の夏は早く終わるかもしれない。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>
なかなか詩情あふれる世界です

わたくしが艫に座り釣り糸を垂れる
あなた様が舵をあやつる

うっとり…

ついつい夢見てしまいますが
いや、まてまて
猫は水が苦手
足元に水しかないなんて
やっぱり恐怖

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
だから、最初にアクアミューズを買ったとき、早速、ライフジャケットを二つ買ったんだ。
だのに、あんたは、地面から足が離れるなんてまっぴらだ、と言って、二度と乗らないじゃないか。
でも、よほど海が穏やかで、風もやさしい時くらいしか、二人乗りして、片方は釣りなんていうわけにはいかなさそうだね。
それに、4年以上やってみて思ったんだけど、セーリング自体は確かに面白いけれど、それより何より、舟の上げ下ろしと運搬、前後の用意と片付け、強い日射し、寒い風、そんなのが大変だよ。全部含めて、一種のスポーツだと考えるとすれば、なかなか、ストイックなものだ。

匿名 さんのコメント...

まったく素直でないね。
うちのひとは。