2013年4月29日月曜日

近況報告 <ライネケ院長>

ライネケの父親、つまり、伊予爺ちゃんは、18年ほど前、75歳で死んだんだが、元気だった頃は、自分は特別な人間だと思っていたらしく、実際、自分は神に守られている、と口にしていた。彼の母親は、一人息子が、頭脳的には旧帝大出で、肉体的には徴兵検査で、甲種合格したということが自慢だった。幼い頃、喘息持ちで、頭もマイナークラスだと自覚していたライネケは、神の申し子とか、特別な存在なんてあるわけがない、神様はえこひいきなんかするはずがない、身びいきなことを言うもんだ、と思って聞いていた。

彼は、60才を過ぎたあたりから、胃がんに始まり、心筋梗塞、脳梗塞、大腸癌、次々と発症し、どんどん衰えて行った。ご本人もあきれて、こんなはずじゃなかったと、幻滅したんじゃないかな。ねえ、お父さん。

大概の人間が人並みで、中にはちょっぴり賢かったり、元気だったりするものもあるかもしれんが、100才まで生きるのも、50才で死ぬのも、遅かれ早かれ死ぬという点では大差ないし、カール・ルイスがいくら駆けっこが速いと言ったって、馬どころか、そこらの犬と本気で競争して勝てるかどうか。第一、犬は速さを競って走ったりしないよ。必要があるから必要なだけ走るだけだ。「本気で」というのは、犬が「本気で」という意味だ。

だれもが賢いと言うアインシュタインが相対性理論を考え出したと言ったって、アメリカ大陸を発見したと言って自慢するみたいなもので、もちろん、アメリカ大陸はコロンブスが目にする以前からあって、ヨーロッパ人に見つけてもらう必要なんかなかったし、相対性理論をはじめ、宇宙の真理も見つけてもらいたくて存在するわけじゃない。としてみると、賢いって、一体何のための賢さやら。特別の賢さって、一体どんな賢さなのかしらん。

つまり、人間は大概はドングリの背くらべみたいなもので、特別な人間なんているわけじゃないと思う。某有名病院の名物院長が90何才かなんかで、皆、彼にあやかりたくて、崇拝している。彼も、引っ張りだこで、全国各地を講演して回ってるけど、第一、いい年して、あんなに自己宣伝してまわるおじいさんなんて、ある意味、すでに惚けているのかもしれん。ちょっと長生きしたからといって、何かすごい秘密があるんじゃないかと思う気持ちは分からないではないが、要するに彼は長生き遺伝子のお陰で、多少長生きしてるだけの話かもしれんというのに、特別なものとして、えらく崇拝したり、有り難がったり、馬鹿馬鹿しい話さ。

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話がそれちゃった。つまり、神に守られた特別な人間なんてない、ということさ。それで、何を話そうとしてたっけ。

3月初めの定期検診で、便秘のおいらにしては、珍しく2個提出した便潜血検査検体の片方が陽性となり、精密検査を勧められた。要するに、大腸内視鏡検査だね。自分が神に守られているなんて、これっぽっちも思えないおいらだ。もう62才だし、いわゆる癌年齢だ。何があってもおかしくない。60歳を超して、何かあったら、たとえそれが交通事故だったとしても、寿命のうちだと思うべきかもしれん。

それに、肛門からものを入れるなんて経験したことないし、江戸時代には衆道として、ある種の文化となった習わしの若衆側感覚が体験できるかもしれん。内視鏡だったら、AIDSの恐れもないしね。面白いかもしれん。

4月27日土曜日、当院は休診日。ちょうど都合がいい。というわけで、高校時代の友人のやっているT消化器内科で大腸内視鏡検査を予約した。

一日前から、おかゆくらいにして、固形物、繊維物は摂らず、金曜日の夜はラキソベロン4錠を飲んで、何とかいう下剤を2ℓの水道水で溶かして、冷蔵庫に入れて就寝。

土曜日朝、ラキソベロンが効いて、軟便を排出。2ℓの下剤液を持って、ネコパコに送られて、内科消化器に到着。医院の待ち合いのトイレ近くのテレビの前に陣取って、二時間かけて、下剤を飲む。1ℓ飲んだ所で、少し排出。11時前までには、7〜8回、トイレに行ったかなあ。最後の方は、肛門と膀胱がつながったんじゃないか、と思うような、透明なきれいな薄黄色の液が何の抵抗もなく、流出して、おいらの大腸はちゃんと下剤に反応することがよく分かった。

さて、12時ころ、ディスポの股割れのパンツと検査着を着て、検査室に入る。ブスコパンを注射。安定剤も注射するかと訊かれたが、要らないと断る。はっきり経験したいものな。

T先生、そろそろお昼ご飯の時間だというのに、ご苦労さんだが、お願いします。というわけで、まずは左側臥位になって、いよいよ検査開始。

全然、抵抗なく内視鏡が入って行く。途中おなかが張って、ちょっと緊張する。オナラなんかするとみっともないような気がしてね。途中、多分エアーを入れて、腸管内をふくらませるのだろうが、ぶくぶくという感覚とともに、おなかが張って、突っ張る感じがする。痛いというほどではないが、ちょっと苦しい。緊張で足の指が曲がってるのが分かる。

人体というのは、ひどく雑な言い方だが、端から端まで穴の通った厚手のチクワみたいなもので、穴の開口端が口で、反対側の端が肛門というわけだ。その穴の上半分が口、食道、胃、十二指腸で、下半分が小腸、大腸、直腸、肛門ということになる。普通、内視鏡と言うと、食道、胃、十二指腸止まりの上部消化管と大腸以下の下部消化管検査をさす。比較的最近まで、小腸の内視鏡検査は困難だった。今回のは、下部消化管検査だ。

さて、検査半ばで、仰臥位となって、右足を左足の上に組むようにいわれる。見上げるとモニターが見えて、自分の大腸の粘膜がよく見える。自分の内部の探検だ。内視鏡を動かしながら、いろいろな角度方向から見る自分の大腸粘膜。もし、自分の目の前に、どう見ても、こいつは正常じゃないよ、というような腫瘍やら、潰瘍やらが現れたら、どうしようかね。皮膚科のおいらでも、おかしい、ということくらいは分かるよ。さぞかし、いやな気分だろうな。そんなとき、平然と現実が受け入れられるかな?

3年ほど前のことだ。我が皮膚科医院を開院した7年前、随分世話になった経理事務所のトップのNさんの名前で、突如、葉書が舞い込んで、「自分に大腸癌が見つかり、すでに手遅れだった。それで自分は世を去るが、在世中は世話になった。」という旨の挨拶で、びっくりした。彼とは、つい数ヶ月前話したばかりだった。彼の顔をしばらく見ないと思っていたら、彼は、自分の運命を悟り、その葉書を用意して、彼が世を去ってから、その葉書が配られたのだった。そのようなことが、いつ何どき、自分にも起こらないと誰に言えよう。

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「きれいなもんだよ。」

と、先生が言う。やっぱり、ほっとする。

ズルズルと内視鏡の管を引き出して行くと、最後、肛門の手前あたりに、赤く充血したところがある。

「あの赤いのは何かね?」

とライネケが訊く。中学高校時代の同級生だった気安さから、ついつい仲間口調になる。安心したせいもあるかな。だって、何かあってもおかしくない年頃になったんだものな。

T先生 :「下剤で何回も便が出たあと、よく見るよ。心配ないじゃろ。」
ライネケ:「この検査は毎年やらないけんのかな?」
T先生 :「便潜血が出なかったら、3年位してでええんやないか。」

こんなこと毎年やるのはさすがに遠慮したい。ありがたい。

ネコパコを呼んで、迎えに来てもらう。医院の外に出て、春の日を浴び、風に吹かれながら、道端で待つと、ネコパコが乗ったルポが路肩に止まる。鎮静剤を使ってないので、自分で運転して帰れる。

午後、県医師会館でダニ媒介の重症感染症の講演を聴きに行き、帰りに、ネコパコと松山で食事して帰る。下痢も治まり、腹具合に問題なく、思いのほかにたくさん食べられた。

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何かあってもおかしくない年頃になった。いつか、何かが本当に起こるだろう。その時はまたその時さ。

ところで、肛門に何かが入って行く感覚って、別に大して特記するような感覚じゃなかったよ。それほど痛くも苦しくもなく、もちろん、気持ち良くもなかった。


2013年4月21日日曜日

ライネケの冒険 久しぶりに <ライネケ院長>

4月21日、今日も晴れて、いい具合の風が吹いているようだ。
今年二回目の出艇ということになる。
ネコパコカメラマンもついて来てくれる

船と艤装一式を車の上に固定して、
さあ、出発

浜に到着
沖を貨物船が通る
海がおいらを呼んでるぜ
ほんとか?

とにかく、まず、
マストと艤装一式を、
波打ち際まで運んでおく
これがなきゃ
ただのカヌー

車の上から
船を降ろして
船の端っこを 台車に載せる

海岸沿いの道路の柵の継ぎ目から
船を砂浜に移動する
よっこらしょっ と

波打ち際まで
船を押して行くんだが
行きは下り坂
まだ 気力も体力もあるからいいけど
実は
帰りが大変

一度
艤装を容れるための袋を
誰かに持って行かれちゃった
今 思い出しても
腹が立つ

波打ち際で 艤装する
海上で間違いに気づいても
どうしようもないから
慎重に 丁寧に

波は低いが
思いのほかに
風が強い

ライフジャケットを着る
風は北風 3m?
いやいや
4m?
いや もっとあるかも
5m?

潮に立ちこんで
センターボードを入れ
舵を下ろすんだが
昨日から寒くなって
水が
つ、冷たい

スムーズに離岸できた
さあ
行くぜ

まずは北西の方向に
どんどん
沖に出て行く
この時が 一番 気分が高揚する

沖合に出た
北に 今津の港の赤い灯台
南に 伊予市のマルキの赤い看板が見える
「孤帆の遠影 碧空に尽き」というところ

潮が南向きに流れているようだ
北風に追われ 南向きの潮に乗って
ずいぶん 南に進んだ所で
そろそろ帰らなければならない
北風を斜めに受けて タックを繰り返しながら北上する
幅のない舟で
そんな乗り方しちゃ
Iさんに叱られるだろう
でも
ディンギーに乗る人なら
おなじみのこの姿勢
明日は腹筋と大腿四頭筋が痛いかな?

随分 風が強く
潮の流れも速かったけど
沈することもなく
無事に帰って来られた

強い風にあおられながら
マストを外し 帆布を巻く
帆と一緒に吹き上げられそうだ

また 台車に載せた舟を
潮を汲んで洗う
やるべきことはやらねば
これも遊びのうち

帰りは
上り坂の砂浜を
舟を押して道路まで上がる
ひいこら

車への積み降ろし、車庫の天井への格納を含めて
これら一連のことが自分一人で出来るから
この舟を選んだ
出来なくなったら
もうこの遊びはやめかな?


帰投準備完了
亀仙人とネコパコ
なんとか無事に元気に
面白おかしく暮らしている
アクアミューズという、笹の葉みたいなセイリングカヌーを、はるばる大阪の製造元まで出向いて購入し、車に積んで愛媛まで帰ったのが、6年前の5月だった。売り手のおじさんは艤装の仕方を教えてくれながら、「風が教えてくれますよ。」とか言ったっけ。以来、試行錯誤を繰り返しながら、この浜で、セイリングの真似事をして遊んで来た。

朝起きて、窓から東洋レーヨンの煙突の煙を見て、いい風が吹いてそうだったら、海に出かける決心をする。ちょっと、気合いが要る。憂鬱なことがあったりすると駄目だ。車庫の天井にぶら下げた舟を車の上におろして固定し、浜に行き、艤装して出艇し、風の具合、潮の流れを見て、帆走したり、漂ったり、時にはパドルで漕いだりして、ひとしきり遊んだあと、とにもかくにも、出艇した地点に戻って来れるようになった。これら一連のプロセスを独力でやれるということが意味があると思っている。

独力でやれることにこだわりはするけど、えらそうに自分一人で生きて行けると思っているわけではない。ひやりとする事は何度もあった。今津の港まで行って帰れなくなり、夜になり、真っ暗の中を今津の港内に入って、ネコパコに迎えに来てもらったり、漁船に曳航してもらったりしたこともある。海の上にいて、心細くなるとき、人間は支え合って生きているんだと実感する。

今週末は、下部消化管の内視鏡検査をする。自分の中の探検旅行だ。また、報告する。






2013年4月12日金曜日

ネコパコ事務室だより

生活の中に面白いネタもないのは精神的にさえないので
ネタ作りに励んでみた

最近の工作を紹介してみよう

1. 今年の買い物希望としてフロアスタンドをあげていたが
気に入ったものがなかなか見つからないので、まず作ってみることにした
•ぼろぼろになった古い布張りのシェードの枠を新しい和紙で貼り直す
円錐をいかに美しく作るか…久しぶりに頭の体操になった
しかし最後は結局現場あわせ工作 
何事も理屈だけではいかないなと妙な納得
•台座の部分は風に倒されてシェード部分が折れてしまったもの
壊れた二個から一個ができた

出来上がってみると捨てるには惜しい…!と思えるから 安く済んだと喜ぼう
でも早くお気に入りも見つけたい
シンプルで機能的で美しい味わいのあるフロアスタンド

2.3月にスーパー主婦 山﨑美津江さんの講習会があった
「物の整理は心の整理」
ー台所から始める整理収納ー

刺激を受けて早速 調理台の引き出しを牛乳パックを使って整理した
と、いうのか 以前やって2年も経つと随分汚れたので作り直した
今回は特に包丁の納め方を考えた
「取り出しやすく しまいやすく 崩れにくく」
写真のように牛乳パックに山形のキザミを入れて落ち着かせる事にした

材料はただなので試行錯誤できるのが面白かった
汚れたらすぐ交換できるし 大きさを合わせられるので引き出し整理に
牛乳パックはおすすめです
 3.待合室のドアスクリーン
春が来て 日射しが急に強くのびた
ある日の午後 受付スッタフがまぶしそうにしているのに気づいた優しい院長
ちょうど4時頃に西日が差し込む玄関ドア
磨りガラスではあったけれど直撃されるとつらい
と言うわけで 院長の特命を受けて作ってみたスクリーン
洒落た布を探したが なかなか無い
あっても1mが2700円と高額 2mは欲しいので無理よ
先立つものが無いと言う事は知恵を出すしかないのです
ここも紙?
いや〜 あっという間に子どもの餌食
では…  そこで はたと思いついたのが洋裁材料の接着芯
見ようによっては紙に見える
糊の部分を中にして貼り合わせたのでより強くなった
ついでに日に晒されてだいぶよれよれ色あせた
トランスパラントスターを挟み込んだ
おお なかなかのできばえに我ながらほれぼれする
午後の光が楽しみになった
この素材の良いところはミシンでダ〜ッと縫えるところ
「われながら冴えていたな」と自画自賛中なので 皆さん褒めて下さいね
実はこのポールに一番お金が掛かった
倉敷意匠はときどき覗いて見ると面白い仕事をしているので
今の時代感が楽しめる

2013年4月8日月曜日

ネコパコ事務室だより

全国的に記録的な暴風が吹き荒れた日曜日
幸い愛媛は大きな被害もなくすぎた
時折 ご〜っと山を吹き抜ける風が
名残の桜を散らして
いよいよ春は爛漫
山つつじも早、咲き始めた

前日、胃カメラを飲んで いたぶられた院長を
慰めるべく奥道後から桜を見ながら今治方面に向かった
仙遊寺は今治市内から鈍川温泉に向かって少し入り込む
山の高い所にある札所だ
細い山道はうねうねと 歩き遍路には随分難儀なことだろう

背中に赤ん坊をおぶった若い女性が本堂の中で
駐車料金400円を受け取ってくれた
ほぼ頂上近くに本堂や 宿坊がある

宿坊のテラスから瀬戸のパノラマが広がる
燧灘 しまなみ海道…
今治の町も小さく小さくずっと続く
桜吹雪に包まれながら何だかぼんやりと景色を眺めて来た

今日の温泉は鈍川だ
入浴前にさらに奥まで車を走らせ森林公園に立ち寄った
 ここもすっかり桜は終わっているようだ
 不思議な木を見た
幹や葉はたしかに紅葉に違いないのだけれど
花が咲いている
あろう事か 桜の花が…

風が落ち着くのを待って写真をとった

ためつすがめつ 眺めてみたが
わけがわからん
いよいよ不思議で公園管理事務所のおじさんに
「あの木は何ですか?」と聞きに行こうかと思った矢先
はたと車中の折り畳み椅子に気がついた

椅子を出して昇って
だいぶ近づいたけれど まだ届かない

でもたぶん そう たぶん
ウフフの 風のいたずら

何だかとても
微笑ましい気持ちになって
温泉でゆっくり手足を伸ばした