2009年2月26日木曜日

徒然雑草   chica


幼い頃からずっと早く居なくなりたいと思っていた。
頭の中に嵐がふくと、目に映る全てのものがそして自分が
気持ち悪くて、怖くて、腹立たしくて、悲しくて
早く居なくなりたいと思った。
押入れの布団に顔をうずめて、吐き気と涙を呑んだ。
小学5年生のとき図書館の一角で堀口大學の詩に出会った。

小學生

先生 植物学はうそですね
花もやはり笑うのです
梅が一輪咲きました

嘘だと思った。
こんなに私は苦しいのに、悲しいのに。
それから時が過ぎた。
家を出る年齢が近づいた頃、父は私に何度も言った。
これからの人生に楽しいことなど何一つ無い。暗く苦しく寂しいだけだと。
酷い事を言うと思いながら、納得している自分がいた。
答えではない答えだと思った。
それから時が過ぎた。
くしくも植物と向き合う職についた。
植物の声は聴こえない。
悲しくても、苦しくても、怖くても、
それでも生きていかなければならないことだけは学んだ。

今朝、今まで一度も花を見せなかった植物に蕾を見つけた。

いつ居なくなれるのかなと思う。
でも今じゃないことは知っている。

                       chica

2009年2月21日土曜日

近況報告 <ライネケ院長>

近況報告をする。

2月13日金曜日は、一日中、ひどい大風が吹いた。春一番? もう春なのか。

夜、床に就いて、春一番が吹き荒れるのを、枕越しに聞くと、ヘッセの「ゲルトルート 春の嵐」っていう小説名を思い起こす。

この時期になり、沈丁花の花の匂いが街角に漂いはじめると、ライネケは青春時代のすったもんだのトラウマで、軽度の鬱になる。

2月14日土曜日は第2土曜。休診。ちょっと早いが、暖かいし、昨年11月以来、乗っていなかったアクアミューズを海に出すことにした。

風はかなり強く、波も高かったが、何とか出艇できた。ブームパンチを一発食らったが、沈もせず、帰って来れた。渚に戻って、高い寄せ波に打ち寄せられて、船が水びたしになってしまった。ひっくり返して水を出そうにも、重くてびくともしないのを苦労惨憺して水を出した。

その夕方、医師会の集まりで松山で宴席があり、翌日、検診があるというのに、飽食した。帰りは、摂取したカロリーを燃やすべく、大街道を市駅まで歩いて、最終電車で帰った。

翌日は、松山の愛媛県総合保険協会で検診を受けた。倉敷時代から、コレステロールが高くて、総コレステロールが240位あった(正常値<220)。なあに、コレステロールなんて、高い方が元気で長生きするんだ、おいらは気にしないよ、ってなことを言ってたんだけど、昨年は、なんと270まで上がっていて、おまけに腹囲も、CT画像での内蔵脂肪も増えていて、ちょっと悲観した。一昨年末、自転車から落車して、頭と肩を強打してから、複視にはなるし、昨年春から五十肩にはなるしで、いい事がなかった。

さて、今年の結果は、総コレステロールが240程度に戻り、腹囲も内蔵脂肪も減っていた。複視も耳鳴りも五十肩も治まり、去年秋から、弓もよく引いたし、ヨットもよく乗った。最近は、往診も松前町内ならなるべく自転車で行ってる。

伊予じいちゃんが死んだのが75歳だった。似たような遺伝子を持つはずのライネケも余り長生きはしないだろう。元気でいられるのも精々あと20年程っていうことになる。幼い時から、喘息持ちで、必ずいつかは死ぬんだって思うと怖かった。どうせ死ぬのなら、神様はどうして人間にひとたび生を与えておいて、生を奪うのだろうと思った。考えれば考える程、悲しくなって、小学生4年のくせに不眠症になった。死について考えるのはよそう、と思ったら、眠れるようになった。近頃、また死について考える。今は眠れるようだ。そのうち、眠ることが最大の楽しみになるのかもしれない。

伊予じいちゃんが生きていた頃、大学に入学してまもなかったライネケ青年は、

「春になって、緑が萌え出し、真っ赤に花が咲くのを見ると、私は、悲しくなります。どうして、あんなにきれいに咲き誇るんでしょう?いつかは必ず滅びるというのに。」

と訊ねた。そうしたら、伊予じいちゃんは、

「いや、俺にはあれは、お互いに美しさを謳歌し、生を競って、自慢しあっているように見えるよ。」

って言うんだ。そうして、更に言うには、

「君と俺とは違うからな。でも、君がそういう気持ちになるということは理解出来るよ。」

今も時々、亡父老ライネケの言った言葉を心に繰り返してみるけれど、最後の言葉の意味が分からない。訊きたいけど、もういない。

30代半ばの青年医師だった頃、ある女性に同じことを訊いた。「それって、臆病なだけじゃないですか。」と一蹴され、臆病な自分を恥じた。その通りだと思った。

何度も春が来て、ライネケも、いつしか、以前程は悲しく感じなくなった。年とってきたせいかもしれない。

最近、いつも何かがないといっては、探し物をしている。眼鏡を忘れ、鍵を忘れ、時を忘れ、そのうち、我が身を忘れるかもしれん。そうなったら、お別れだな。

いつか、ライネケの子ども達も、ライネケ父さんが妙なことを言ってたって、思い出ばなしをする日が来るだろう。

今日21日土曜日、仕事が終わって、懲りもせず、また海に出た。風がなくなって、夕暮れの海面をあてもなく漂った。風が冷たくなってきた。

春になると決まって、一体、何のために、緑は萌え出し、花は咲くのだろう。どうして、何の意味もないのに、人は生まれて、生きて、死ぬんだろう。どうして、やっぱり今も、ライネケ少年は悲しくなるんだろう。どうして? どうして? まだ浅き春の夕闇が一層濃くなって来た。

2009年2月4日水曜日

豆が届いた! <ライネケ院長>

ライネケ珈琲店にようこそ

コーヒー豆が届いた。
ガテマラ生豆10キロだ。これだけで10000円程だ。横にあるのは、自家焙煎用の網器と手袋。あと8ヶ月程はこれを飲んで過ごすのだ。飽きないかって?

ガテマラFinca Santa Cruzという銘柄なんだけど、ガテマラのAnitigua地方のSanta Cruz農園で栽培収穫されたコーヒー豆だということだよ。北海道の札幌の生豆も扱う業者で買って、一昨年飲んで、気に入った。昨年3月、10キロまとめて注文して、12月いっぱいで使い切ったので、今年の予算でまた10キロ注文した。

口の開け方は、こういう風にひもを引っ張ると、ぷつぷつと解けて開いてしまう。メリケン粉の袋と同じだな。

街の喫茶店で、コーヒー1杯飲むと400円前後かな。ドトールコーヒーでも200円位する。煎り豆の形で、ガテマラを街のスーパーで買うと、100グラムが300円前後。それが、上質の豆を生豆で買うと、かなりの高級銘柄でも、100グラムが100円程度で買える。普通、コーヒー1杯を抽出するのに煎り豆10グラム程度が必要だ。だから、もし自分で生豆を煎って、抽出すれば、1杯10円強でコーヒーが飲めることになる。

コーヒーを生産国の生産者から輸入する時、原価は規定があって、大体100グラム当り20円〜30円だ。つまりコーヒー1杯あたり、精々3円程。

ということは、原材料である豆だけについていえば、1杯のコーヒーを飲むために掛かるコストは、

街の喫茶店         :400円
スーパーで買った煎り豆   :30円
国内の業者から買った生豆  :10円
原産地からの輸入原価    :2〜3円

ということになるだろう。もちろん、喫茶店でのくつろぎとかいった付加価値や、自宅で抽出する時の光熱費、食器、光熱費、自分で焙煎する時の光熱費、器具代は別だし、また、生豆は煎り上がると1割程度軽くなるとしてのおおざっぱな計算だけど。

輸入業者、卸業者、焙煎業者、末端の小売業者、喫茶店経営者、そして、我々消費者の口に入るまでに、随分いろいろ手間がかかっているというわけだ。

自分で生豆を取り寄せて、自家焙煎して飲めば、随分安上がりだ。それ以上に、常に、自分の好みの銘柄のコーヒー豆を自分の好みの焙煎度で、しかも焙煎まもない新鮮な豆を、コーヒーミルで碾いて、コーヒーを入れられる、というわけだ。

回転のいい店で、新鮮な煎り豆を買うとしても、最低200g程度以上は買うことになるし、一日2杯飲むとして、消費するのに10日掛かる。新鮮さという意味ではギリギリだね。煎り上がって、3日目くらいが一番美味しいように思えるんだが、1週間くらい経つと、鼻腔を通って行く時の香りがなくなっている様な気がする。

ライネケは、やや浅煎り傾向の豆が好み。コーヒーは基本的に果実の種なのだから、少し酸っぱくて、ほろ苦くて、どこか甘いのがいいと思うのだ。少しずつ砂糖を入れていくと、甘くも苦くもない点があって、更に砂糖を少し加えた所で急に甘酸っぱく感じる所がある。ミルクも少しずつ混ぜながら入れていくと、きれいなツヤのあるきつね色になる所があり、その辺りが、鼻腔を抜けるそのコーヒー特有の香りが感じられると思うんだ。

それじゃあ、さっそく、煎ってみることにするか。屋内のガスで煎るとかなり煙が出る上、はじけて来たとき薄皮が大量に飛ぶので、ネコパコが怒るんだよ。それで、中空中庭で、キャンプ用のコールマンのツーバーナーで焙煎する。

うちのワーゲンゴルフのレギュラーガソリンを失敬して、ホワイトガソリン用のツーバーナーに入れて、それで燃やすんだけど、ちゃんと燃える。重くてかさばるので、キャンプに持って行ったことはほとんどない。こんなことで役立つとは、ツーバーナー自身も思ってなかったことだろう。

箱の奥にたまってるのは何ヶ月分かの薄皮だ。こんなにも貯まるんだから、ネコパコが怒るのも無理はないか。

本当は、生豆を広げて、かびてたり、腐ったり、虫食いに会ってたりする不良豆を除去選別する、ハンドピッキングという作業をしなければならないんだけど、面倒くさがりのライネケは、ろくにしないんだ。こういうことは、凝れば凝る程、労多くして功少ないもんだ。こだわればこだわる程、蟻の穴に迷い込んだみたいになるからね。要するに面倒くさいからというだけ。


これが煎る前。重さ丁度200グラムくらい。

煎り始めて、6〜7分くらい経つと、薄青緑色だった豆の色が黄色から茶色に変わり始める。薄皮も出始める。

更に熱心に炎の上で網を動かしていると、煙が出て、はじけ始める。

ぱちぱちとはじけて、色が濃い茶色に変わって行き、一部が焦げ始めると、そろそろおしまいに近い。焦げ進んで行くと、注意しないと、急に真っ黒焦げになってしまう。

煎り上がると、ほら、175グラムになった。約8割に減るわけだ。煎り加減によるが、大体、重量にして1〜2割減り、容積にして4割前後は増えるようだ。

もとの生豆と、左から、浅煎り、中程度の煎り、更に煎り込んだのと並べてみた。多分、大概の喫茶店、特に専門店となると、もっともっと深煎りで、こんな程度だと、煎り足らずのうちだろう。でも、ライネケは、上の三段階程度のを混ぜたのをコーヒーミルでひいて抽出する。

もちろん、いい加減な見当でやってるもんだから、よく焦がし過ぎたり、煎り足らなかったりする。でも、自分の失敗は自分で責任を取って、苦笑いしながら、甘んじて、煎っただけは飲む。自分でやったことは自分で始末するもんだ。だから、同じ豆が10キロあったって、そうそうは飽きないよ。

ほら、入りました。どんな具合かな。あまくって、ほろ苦くって、熱い。美味しそうだろう? これくらいが、一番、美味しいと思うんだけどねえ。

皆さん、見ていると、コーヒーの味がよくわかるから、とか言って、砂糖を入れないけど、あのトチの実エキスみたいな苦いのが美味しいのかねえ。そのくせ、ミルクはミルクピッチャーに入っただけ、どぼどぼと入れてしまう。あれじゃ、コーヒーはミルクコーヒーになってしまって、香りがよく分からなくなると思うけどな。

どういう豆をどの程度煎ったやつで、どの程度砂糖とミルクを入れたのが、自分には一番美味しく感じるか、本当にいろいろ試した上で、飲んでいるのかしらん。

好みは人さまざまで、自分が美味しいと思えばそれが一番いいんだ、とか、よく言うね。何の道であれ、自分がいいと思えばそれが一番いいんだとか、えらくもの分かりのいい事を、皆、よく言いもし、聞きもするけど、自分のことが自分でよく分かっていないことって、よくあるし、第一、お互いに、私はこれが好き、あなたはあれが好き、それでいいのよ、とか言うのって、もの分かりよすぎやしませんか。認め合う振りをしながら、自分のことも他人のことも理解しあおうとしないだけなんじゃないか。永遠に平行線の人生を歩むってことにならないか。時には、徹底的に自説を主張する一方で、ひょっとして、他説が正しいのかもしれんと思うことも必要だ。努力して、他説にも耳を傾ける度量があってこそ、本当に自分のものと言える自分がつかめるんじゃないか。おいらもひとのことは言えんがね。

諸君、どう思う?

頑迷固陋亭 ライネケ珈琲店主 謹白


2009年2月1日日曜日

Pirates of the Iyonnean <ライネケ院長>

海賊旗ってあるな。
うちもあんなのが欲しい。かっこいいのがね。
そこで描いてみたのがこれだ。
どうだ? ちょっとシュールかな?

さっそく屋上に上がって、揚げてみよう。
まだ冬の風の中を気持良さそうに踊っている。

ワハハ、いいじゃないか。
上機嫌で笑っているよ。
春はまだ遠いのか。
そこから春が見えないか?
久しぶりの晴れの朝。
飛行機が上を行く。
おおおい。寒くはないか? 
風邪なぞひくなよ。


裏駐車場の入り口にも一枚揚げておこう。ジューンベリーが誰かの車に3回も押し倒されたからね。気をつけろよ。俺たちは恐ろしいPirates of the Iyonnean(パイレーツ・オブ・アイオニャン)なんだぜ。