2008年11月28日金曜日

ライネケの冒険-3 <ライネケ院長> 

11月末のある日、ネコパコ事務長は、今日は不在。

朝の外来が終わり近く、時々雲が通って行くけど、いい風が吹いているみたいだ。
外来の合間を縫って、ガレージに吊っていた舟を車の上に下ろし、舟の傍らにセールとマストを固定する。こういうことになると、おいらは極めて素早いんだよ。

午前中外来が終了するや否や、ネコパコが用意してくれてた昼食を素早く済まし、Harunoの貸してくれてたウェットスーツを着込む。日頃は苦労するのに、するするっと着られてしまう。

ウェットスーツの上にウィンドブレーカーを引っ掛け、首から、携帯電話と免許証を入れた袋をぶら下げて、車に飛び乗り、浜に向かう。おおおっ。吹いてる、吹いてる。何かの旗がちぎれそうにはためいている。海風だ。

浜に着いた。
はるか沖合の島影に貨物船が行く。
海風が吹きすさんで、うねりが強い。波頭が風にちぎられて白い。

遠くの波が寄せて来ると、だんだん大きくなって、

波打ち際に来ると、怒濤とはいわないが、かなり怖い。
この距離でもしぶきがこちらに飛んで来る。沖行く船がいつまで経ってもあそこに居るのは何故なんだ。風が強くて動けない? まさか。

去年の暮れ、やっぱりかなり寄せ波が強くて、船を波打ち際から、押し出そうとしても、押し返され、打ち返されて、どうしても出せない。そのうち船は、潮が一杯になって、水瓶みたいになり、その下敷きにはなるは、水を出すためにひっくり返そうとしてもままならない程重くなって、本当にどうしようもなくなってあきらめた。もし、これで、うまく離岸出来ても、この高波で沈しちゃったら、危ないかも。

で、結局、情けないけど、今回もあきらめて帰ることにした。振り返ると、東洋レーヨンの煙突の煙が真横に吹き流されている。

 大海の 磯もとどろによする波 
          われてくだけて 裂けて散るかも
 箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 
          沖の小島に 波の寄る見ゆ

どちらも、源実朝だが、技巧的に見える上の歌より、下の歌の方が好きだ。割れる、砕ける、裂ける、散るといい、乏しい知識で有名なものといえば、

 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 
          くだけて物を 思ふころかな
 瀬を早み 岩にせかるゝ滝川の 
          割れても末に 会わんとぞ思う

なんて云うのもあるけど、実朝の才能というか、京の公家でなくて、東国の武士なればこそというか、何というか。大したものだね。

とにかく、オイラは、シッポ巻いて逃げて帰って、窮屈なウェットスーツを脱ごうとするんだけど、今度は、なかなか脱げない。七転八倒して、やっと脱げた。馬鹿馬鹿しい騒ぎだった。

午後の仕事をして、夕闇が迫って来た。いつの間にか、風向きが逆転して、陸風が吹いている。昼間の太陽で暖まった海面で上昇気流が発生すると、太陽が陰って、冷えて来た陸の空気が、海に向かって流れ込むからだそうだ。ヨットに乗るようになってから、風を意識するようになった。
我が家の屋上から、西方の空を見る。夕暮れの空に、東洋レーヨンの工場のシルエットが寒々しい。
今日も一日が暮れていく。

2008年11月21日金曜日

徒然雑草   chica

コケッコッコ〜!!!! shigeの学校の美術展行ってきたよ〜。
こいつは、shigeとその仲間達の作品だってさ。
なかなかよく出来てました。

やばい、懐かしい鞄がまだ現役ですよ!
それにしても、小さい子供の想像力は面白過ぎます。

小2が作ったとは思えないこのトビネズミ的生き物。。。。。
素敵過ぎます!欲しいよう!玄関で私をお迎えして欲しいよう!

いや〜、楽しませてもらった一日でした。
                              chica

2008年11月17日月曜日

大岐の浜 <院長発>

<ライネケ院長>
ここは、かつては、知る人ぞ知るって感じだった高知県の「大岐の浜」だ。



足摺岬の根っこの愛媛寄りは土佐清水の町だが、足摺岬をはさんで、その反対側の高知・中村側の根っこにある長さ1kmほどの浜だ。ずっと右手には足摺岬が太平洋に突き出した行く風景だ。

とにかく、砂がきれいな浜でね。


私たちの最初の子どもChicaが生まれた27年前、360ccのちっぽけな車を買って、滋賀県の瀬田を出発して四国を一周した。瀬田、西宮、淡路島、鳴門、徳島以来、何度も四国を回るうちに、太平洋側の海辺が気に入った。最初のうちは、国民宿舎とか民宿とかに泊まってたけど、そのうち、適当な気に入ったところに野宿するようになった。

いわゆるキャンプサイトとかいうところは嫌いなのだ。行って見たら、売店まであって、人が沢山いて、薪や炭まで売っている。テントとテントの間が狭くて、隣と握手出来そう。こんなとこまで来て、ゴルフのクラブを振り回したり、発電機を回して、テレビを見たり。Be-Palから出て来たみたいな装備を並べたり、キャンピングカーの自慢大会をやってたり。馬鹿みたいじゃないか。

きれいで、静かで、安全そうで、水があって、というところであれば、とにかく、テントを張って一晩寝てみる、というのがいい。周りに人がいないのが一番いい。今まで、徳島県の小松島の海辺や海部や高知県の中村を過ぎて、クジラ見物で有名な入方町の浮津にも泊まってみたが、何といっても、一番良かったのは大岐だ。

砂がきれいで、国道321号沿いの何でもない茶店の横を、ひょっと降りると、なんと、湾を囲むように素晴らしい浜辺が広がっている。背後を分厚い防風林が阻んでいるために、うっかり寄ってみようとは思わないんだね。

それで、20数年前から、五月の連休、夏休み、年末の休みには、一日目、滋賀あるいは倉敷を出発して、ぐるっと徳島から室戸岬を回って、その夜は、今はなき国民宿舎「土佐」で一泊した後、二日目の昼、大岐に着いて、テントを張って一泊、三日目には松前を回って、その後また、本州に帰る、というパターンを繰り返して来た。

我ながら、飽きもせず繰り返したものだ、と思うよ。子ども達も、狭い車の中で文句も言わず、よく我慢したものだね。20周、20泊ではきかないと思うね。haruno君が大学受験のときも、かまわず、回ったものな。まあ、彼が高知医大に行ったのも、こういう縁があったからかな。
いろんなことがあったね。あんなこともあった、こんなこともあったって、いつか思い出す日が来るに違いない。

色々な人と出会ったっけ。島根だか山口だかの英会話学校の教師をやってる連中で、英米豪各国の連中といっしょにキャンプしたこともあったね。
大岐は、中国近畿まで有名で、外国人まで知っていた。サーフィン仲間が教えあうらしい。

夜は必ず、流木を集めて焚き火をした。火を見ながら、黙っていろいろなことを考える。夜が更けて、子ども達はテントに入って寝付いてしまったようだ。私一人、拾い集めた木や竹を差し入れて、火が絶えないように、明日の朝には白い灰になるまで完全に燃え尽きるように、見張っていた。いつかは、こんな時もあんな日々も過ぎ去ってしまうだろう。
暗い海辺を波打ち際に沿って歩いていくと、見上げれば、月があり、私たちの焚き火がいかにも小さく見える。月が傾くほどに、私はどこに帰っていくんだろう。分からない。いつしか永遠の闇が広がって、波の音がどこか遥か遠くに聞こえる。それとも、あれは、海の底の石ころが潮に転がる音かしら。石が転がり、月が転がり、私も斜面にそって、転がっていく。


そんな静かな、私たちだけの浜辺だと思っていた大岐だったのだが、10月、一泊してみて驚いた。朝、起きてみると、何と、自動車とテントの群れがいるじゃないか。
そして、サーファー達の列が・・・。

もうこの浜も駄目かなあ。まあ、昔から、サーファー達にはよく知られたところだったからね。高速道路も伸びて来ているし、過疎に悩む現地の人達にとってはいいことなんだろうが。でも、私たちが独り占め出来る浜じゃなくなって来ているのだろうね。大岐の浜も。

2008年11月15日土曜日

徒然雑草   chica

久しぶりに晴れ着を着ました。
賑やかしだったんですが、非常に喜んでもらえまして、
着たかいがありました。
なによりお気に入りを着て歩けるのが嬉しい、楽しい!
着られるうちに、出来るだけ着たいものです。

2008年11月12日水曜日

ライネケの冒険 −2<ライネケ院長>

ちっちゃなヨットの話は何回目かな。

ライネケ院長は愛媛県は松前町という松山市と伊予市の中間のちっちゃな海辺の町に住んでいて、住まいから浜辺まで、自転車で8分ほど、車だと5分くらいで着いてしまう。
北海道の松前は「まつまえ」だが、この町は「まさき」と読むんだ。この町には、ずいぶん昔から、東洋レーヨンの工場があって、今は、飛行機の素材になる炭素繊維を作っているんだって。
10月25日土曜日、朝6時頃、目覚めた。ネコパコ事務長はまだ眠ってる。今日は、休診日なのさ。日祝日と第2・4土曜日は休診。だから、今日と明日は二連休。怠け者の皮膚科医なんだよ。一方では医療崩壊が叫ばれているのに、いいのかね、こんなにのんびりしていて。

昨夜は雨が降ったみたいで、今日も空は薄曇りだ。1983年製のゴルフカブリオのバッテリーを換えたばかりなので、そおっと、下に降りてエンジンをかけてみる。すごく好調になったというわけでもなさそうだなあ。ついでに、ちょっとそこらを一巡りしてみるか、というわけで、車を出す。

早朝の街のガソリンスタンドの旗が風に吹かれている。浜辺ではどんな具合かな? 塩屋の浜まで足を伸ばすと、吹いてるというほどでもないか。と思ったら、おお、結構吹いてるじゃないか。急いでうちに帰って、メルセデスに舟を積む。上に飛んで上がって、Harunoのくれたセーリング用のズボンとシャツ、ヤッケを着込んで、防水パックに携帯電話と免許証をいれて首からぶら下げて出発。時間は、7時過ぎ。ネコパコはまだ寝ている。


また、黄色いアクアミューズと白い帆を巻き付けた長いマストを上に積んだメルセデスで、塩屋の浜に向かって急ぐ。浜に沿って走る直線道路に車を停め、マストや艤装品を入れた袋を波打ち際に運ぶ。続いて、車の上から、舟を下ろして、舟の先っぽを小さな台車に乗せ、艇尾を持ち上げて、ゆるやかに下る長い砂浜のスロープを、波打ち際まで一生懸命押して行く。
波打ち際で、舵と操舵のための延長桿を取り付ける。マストを立て、帆綱を取り付ける。帆を張ると、風で陸の上の舟が傾ぐ。1〜2m/sというところかな? 北西の風だ。海上には早朝らしく漁船が数隻見える。10月の末だ、大分寒くなった。さすがに、うるさいジェットスキーもいない。彼らがいないと気分がいい。

満ち潮らしく、寄せ波が強いが、腰まで潮に立ちこんで舟を押し出す。いよいよ、出発だ。

帆綱を引いて、風を横に受けながら、沖に向かおうとする。初心者の悲しさで、すったもんだするが、陸からゆっくりと離れて行く。沖に出るにしたがって風が強くなって来た。いい気持だ。

沖合500m程で、遥か北の方向に隣町の今津の港の赤い灯台がちっちゃく見える。ここから、西から北に進路を変えて、重信川の河口を目指す。2mくらいの北北西の風が左前方から吹いている。のんびりと潮の流れが舵棒を持つ手に伝わり、風をおでこに感じながら、北上する。

重信川の河口に近づくと、河の流れ出しのために潮流の方向が変化するのを感じる。風向きも変わって来たようだ。ヨットっていうのは、真向かいには無理だけど、斜交いなら、風上に向かって、進むことができる。だから、風上に目標がある場合は、ジグザグに進んで目的地に達するわけだ。

それに、潮流がある。潮流に逆らって進む場合は、余程うまく風が吹いて、その風を利用しながら進まねばならない。瀬戸内海は、満ち潮、引き潮により、潮流が逆転する。潮流は時間帯によって予想出来るが、風は常に微妙に向きが変わり、急に吹いたりやんだりする。なかなか複雑なもんだ。もちろん、潮流については、インターネットで潮流表を見て、知ることができる。

ライネケ船長は、時間ができ、気力体力があれば、海に出かけるのであって、ちゃんと潮流や風向きを充分に調べて出かけるというようなことはしない。要するに、勝手、気ままなのであって、いい加減なんだよ。その内、泣きを見るかもしれん。その時はその時だ。

さて、うす寒い曇り空の下、重信川河口を横断する。この下は水深何メートルあるのやら。気持悪いから考えるのはよそう。河口対岸を過ぎ、隣町の今津の港の突堤とその先端にある赤い灯台が大分はっきり見えるようになって来た。今まで、二回ほどあの灯台のところまで行って、風がなくなったり、潮の流れが逆になったりで、帰れなくなって、一度は、今津の港に逃げ込んで、ネコパコ事務長に頼んで、連れに来てもらったり、もう一度は、近くを通りかかった釣り船のモーターボートに曳航してもらったり、因縁の灯台だ。以来、あの港には寄り付きませんとお約束した禁制の場所でもある。

今日は、風もいいから、あの灯台のところまで行って帰って来られるんじゃないか。何かがささやく。またしくじったら、どうしよう。う〜ん、ネコパコ事務長のあきれ顔が。何度か反転して、充分帰れそうな風と潮であることを確かめて、北上を続けよう。
とうとう、灯台の前を通過した。今津の港の奥も見える。遥か東北に見えるのは、松山のお城山かな。それとも石鎚かな。携帯電話機のカメラで写真を撮るが、舟があっち向いたりこっち向いたり、帆が邪魔したりで、なかなかうまく撮れない。潮が変わらぬうちに、さっさと今津港到達の証拠写真を撮って、今度こそはまた我が町の浜辺に戻らなくては。仏の顔も三度までっていうからな。潮時とはうまく言ったもんさ。


薄暗い空の下、今津港湾の対岸には、吉田の飛行場、さらに遥か北に見えるあの島々は、興居島(ごごしま)、左前方は中島かしらん。
さあ、いよいよ、帰ろう。艇首を南に向ける。舟の方向を変えると、帆が風を受ける面が変わって、帆が回る。うっかりすると、帆を支える下辺の棒で、おでこを打たれたり、入れ替わる帆の下をかいくぐって、舟の反対側の舷に身をうつすときバランスを崩して、海に落ちたり、舟ごと転覆したりする恐れがある。うっかり落水すると、ライフジャケットをつけていても、今はもう海水はかなり冷たいし、舟にうまく這い上がるのに何回も失敗すると、体力を消耗して、舟にしがみついて、漂流する羽目になる。想像するだに気分が悪い。おそろしや。

また、渡って来た重信川河口に向かって南下する。以前、帰れなかった時は、どうやら今津港湾から、流れ出しがあるようで、舟を南に向けても、左にある灯台がいつまで経っても同じ場所に見えて、進んでくれず、本当に困った。今回はちゃんと舟が進んでくれる。

おや、カモメが水に浮かんでいる。寄って行ったら、飛んでっちゃった。もう少しで、重信河口に差し掛かる。

やややや・・・。いつの間にか、風向が変わっている。どうやら、南東から吹いてくるようだ。すなおに南に進んでくれない。ジグザグに進みながら南下する。出発点を左手に見ながら、東洋レーヨンの工場を過ぎ、松前港の突堤の灯台が見えるところで、出発点を目指す。潮の流れが微妙に変わり、風が弱って来た。
気がつくと10時半。なんと、朝飯も食べずに、3時間以上も海の上をぶらぶらうろついていたわけだ。「この野良狐が、いったいどこで遊んでいたの?」誰かの声が聞こえて来そうだ。

波打ち際に戻って、今日の遊びはおしまい。また、浜の砂のスロープを艇を運んで、車の上に上げ、ライネケ邸に帰ったら、水道水で舟や艤装を洗って、片付けなくちゃならない。こんなこといつまでやってられるのかな。年内にもう一度くらい出艇したいもんだ。