ある晴れた休日
僕は友人と出かけた
上のは、松山に事務長と一緒に自転車で行って、帰途、とある廃屋にびっしりついていたツタの適当に太い部分を引きちぎって、持って帰って、当院の庭に植えてみたのが一本だけ根付いたものだ。


いただきまあす。
そうか、Shigeも高校生なんだね。長くて辛い3年だった。君のもっと屈託のない笑顔がみられればいいのだが。いよいよ、これからが、君の鼎の軽重を問われる時だよ。いやあ、それにしても、4人の子ども達の中で、君が一番おしゃれなのかもしれんな。垢抜けしないおいらと似なくて良かった。
さて、桜三里の入り口から、山の上にどんどん上がった所に村里があって、事務長の知り合いで「千年の森」という運動を主催している人が住んでいるという。随分な山の中だ。それにしても、桜は何処でも咲いているもんだね。
細い道を上がって上がって、一番上のどん詰まり。その桜の二本ある、古いかや葺き屋根のお家にその人たちは住んでいた。今日は集まりがあって、桜の木の下で昼食だ。一品持ち寄りの、いわゆるpot luck partyというやつだ。

もっと上の方に一人咲く桜。桜というのは、何となく、擬人化したくなる木だな。このように一人だけ勝手に咲いている奴やら、数本で群れになって咲いている奴やら。白っぽいのや、ピンクやら、緑っぽいのやら、色々あるといいな。
古来、桜を歌った名歌は数多いが、私たちが知っているのは、その中でも限られた特に秀逸な歌ばかりなんだろう。それにしても、中学校、高等学校時代に国語・古典の時間に習ったものは、今もふと思い浮かんで口ずさめる。ありがたいねえ。千年もの時空を超えて、昔の人と想いが通い合うなんて。
さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
平忠度「故郷の花」














