2015年9月27日日曜日

ネコパコ事務室だより

連休後二日仕事で第4土曜休日となり、今週末は再びの二連休
実家での奮戦を思い出しながら、何となくのんびりするわけでもなく
人生の悲哀について思いを馳せてグタグタしている

この夏の屋上菜園の様子は特に今年初収穫のパッションフルーツについて
??? だったり!!!だったりとアップしてきた
9月も下旬の今日、まだ10数個が着果しておりウハウハだったのだが
今朝、衝撃の発見をしてしまった

          
これは本日の朝食メニュー
ゴーヤと小松菜のジュース
人参ブレッド トマトオムレツ
そして、そして パッションフルーツ  
何だ、どうした この違い… 
左、 我が家産
右、 沖縄産 「出張のおみやげだよ」と先日ガマがくれた物

じゃ〜ん 守りは固そうで中身がない 
これって何か象徴的ではないの…

2015年9月24日木曜日

ネコパコ事務室だより

世間ではシルバーウィークという、大型行楽モードだったらしい
ボクは四日間 良い子で留守番をしていた
 父さんと母さんはガマ君と合流して母さんの生家に出かけて行った
ひとり住まいの母さんの母さんの米寿のお祝いをするんだって

昔は贅を尽くした和風の庭も田舎家も今は見る陰もなく草木に埋もれ…

さすがにこれは放っとけんなあ…
まずは 草刈十字軍 参上!!!
 バリ バリ バリ ウィーン ウィーン
無茶苦茶にぶった切る なぎ倒す
苦闘10時間?  ようやく庭らしき形が見えてきた
 イエ〜イ ニャゴニャゴ ふたりとも、ようやったなあ
一方 母さんも家の中の大掃除で躍起になっていた
老婆ひとりでは とても管理できるものではないお荷物で
哀しいゴミ屋敷化の様相だったとか 
草を焼く煙が流れていく 田も畑も容赦なく草が飲み込んでいく
江戸末に建ったこの家もいつまで持ちこたえることができるのだろうか
日本の縮図を見た三人はくたびれ果てて帰路についたんだと 
                 トッテンパラリノプウ
いやはや、御苦労なことだった
ああ、そうそう連休最終日には、米寿の祝いの集まりも無事終わったらしい

2015年9月3日木曜日

ネコパコ事務室だより

早、秋雨前線の停滞か
連日雨が振って蒸し暑い

窓辺ガーデンはH君からもらったバジルが上にだけ向かって伸びている
脇芽は出そうにない

Cさんが送ってくれた蕎麦の種
とにかく蒔いてみたが日照不足でもやし状態
子供の頃読んだ「おそばのくきはなぜあかい」という昔話を思い出した
茎は赤かったんだ そうだった
それに今朝、ささやかな花が付いていた
カエルくんに観察にしてもらった

季節の風物詩「鳥コン」放映も昨夜終わって、旧友たちから 見たよメールが
数件届いた ご注目ありがとうございました
我が家の本物のがまくんは昨夜荻原次晴氏と対談をしていたらしい
今日は普通のサラリーマンをしてるそうだ
母校が勝利して、やはり彼も嬉しかっただろう
パイロット、よく頑張っていた

2015年8月30日日曜日

ネコパコ事務室だより

せっかくの夏休み最後の休日ですが
こちらは朝から雨です

先日の台風も幸いこちらは被害なく過ぎました
いえ、あるといえば屋上農園のパッションフルーツが強風で転がり落ちました
下の半割写真がそうです
(奥はイチジクだよ)
以前 ひえ〜 っと食べた報告を書きましたが
要するにあれは未熟者だったのね
今回は皮も色づいて中身も美味しい!!
汚名挽回でパッション君も嬉しかろう

 さて、夏休みもいよいよここまで来ると、残った宿題に泣いている頃か…
なんだかんだ私も思うことがあってお菓子の試作中です
今回は果物のピュレをペクチンで固めるハードゼリー
かのおしゃれな国のマダムはPâtes de fruits パート ド フリュイ と呼んで
夏場お楽しみになるプチフールだそうです
よっしゃ!!やろうじゃないの
三越地階食料品 贈答品コーナーにキラキラしてる
果実の宝石… あれですね

 
 というわけで、 梅、 桃 、ブルーベリー、 晩柑 でチャレンジ
以下御覧くださいませ
 バザーに出してはていくらなら買ってもらえるでしょう
見た目なかなか素敵だし 甘い中にもフルーツを感じさせる良い子です 

2015年8月25日火曜日

ネコパコ事務室だより

外では台風15号の接近でゴーゴーと強い風が吹いています
出かける予定が台風のために中止になりました

心配したほど雨はふらず、通過するのを待ってます

この夏もずいぶん暑い日が多かったですが
そろそろ終わり

ちょっと古い話題ではありますが
暑い時には足は素足でぞうりばきが気持ちが良いものです
高知の竹の皮で編んだぞうりも重宝した


2年前に南予の道の駅で買ったこの布ぞうりは本当に気持ちが良かった
履きこんでへたへた…何故か片足、行方不明
そこで先日のお休みに遠路はるばる買いに出かけたのです
ところが作っていたおばあさんは体調を崩し、もう出品していないとか…
がっかりして帰ってきたのです
類似品に比べると細部が美しく、こだわりの商品でした

実に残念 とても悲しい


そこで意を決して自分で作ってみることにしました
あはは…ゾウリムシ的仕上がり

それでも履けないわけではなく
今後の修練が待たれるところ…と我が身を慰めることに


買って済ませられるだけでは終わらない 手の技というのは本当に奥が深い



おみやげに貰った洋梨もだいぶ色づいてきました
何だかぼちぼちいろんな事を考える、ぽっとあいた時間です

2015年8月1日土曜日

ネコパコ事務室だより

皆様 暑中お見舞い申し上げます
連日の猛暑 いかがお過ごしだろうか

今年は屋上菜園を目指しておりますが、これがあなた、なかなか …
 手前のきゅうりは留守がちだったバチが当たり、すっかり弱体化
ヘロヘロで収穫は見込めそうにない
今年頑張っているのはパッションフルーツ 子どもの握りこぶしぐらいのが
六個ほど実り、ちょっとニヤニヤ
苗を手に入れて早三年になるのに、今までうっちゃっていたのでうまく実らず
実は今年が初収穫!!食べるのが楽しみ!
Cさんのアドバイスにしたがい、表面がシワっぽくなってきたのでもいでみた
あまりパッションを感じない風体である
食べてみた う〜ん 酸っぱいばっかり
なんだこりゃ 食べるところないし
なんでパッションフルーツなのか意味不明
他の野菜もいまいちで苗代の回収には程遠い
特にピーマンは写真でお分かりのようにすぐにこのようにおしり部分が腐り始める
なかなか思うようにいかないな…
それでもなんだかやってみるのもまたいいかなと言うところです

2015年7月25日土曜日

末っ子くんもいよいよ  <ライネケ院長>

我が家の末っ子だったShigeが久しぶりに帰ってきた。彼と会ったのは、彼がギャップイヤーを利用して欧州旅行に行って、帰国してきた時だから、およそ1年3ヶ月ぶりだ。

聞けば、彼はもう、同級生より、ひと足お先に就職先が内定したのだというのだ。

それはめでたい、というので、日曜日の夜は道後の大黒屋で、鯛の釜飯とエビの天ぷら、うどんの夕食を食べ、道後温泉に浸かり、月曜日は、瀬戸大橋で彼が生まれて少年時代を過ごした倉敷の町にあそびに行った。帰りは、今治のクイーンベルで洋食の夕食をとり、彼の門出を祝った。

今朝、彼が、浜のお墓の掃除をしてくれたというので、また、二人でお墓に行き、墓石に水をかけ、線香を焚いて、伊予じいちゃんたちに、彼の就職内定の報告をした。

墓の台の上に上がって、御先祖様たちに水をかける。
ご先祖の皆さん、聞いてください。
朝、掃除をしてくれたのは、末っ子のShigeちゃんです。
なかなか誠実な子じゃありませんか。

考えてみれば、遥か遠くにいるShigeくんに、おいらは何もしてやれなかった。私自身は、地元の中高一貫の進学校から、あまり悩むようなこともなく、お定まりの受験コースを歩んだので、Shigeくんの進路にあった数々の困難については、具体的な相談に乗ってやれるような経験も何もなかった。それは、彼の今後についても同じだと思う。

彼がはじめて上京した頃は、我が家はまだ倉敷にあって、上京する彼を岡山駅の新幹線乗り場まで送って行き、乗りそびれそうになる彼を車室に入れて、私一人で見送ったときや(あの時、ネコパコは自分は送り出せそうにないから、私一人で見送ってやってくれと、頼まれたのだった。)、自由学園入学後、夏休みに帰省して、また上京するとき、夜の松山駅で、夜間高速バスに乗り込む彼の目に涙を見て、どうしたらいいのか、途方にくれた。

初めての体操会のあと、ひばりが丘の駅まで追ってきた彼を残して、愛媛に引き上げたときのことは、一生忘れないだろう。あんなこと、こんなこと、思いおこせばきりがないが、私も年とってきたらしく、あんなに悩んだことも、往時茫々として、ぼんやりしてきたようだ。なんと言っても、10年という月日が経ったのだ。

午前中、おいらが外来をやってる間に、
Shige君が草引きしてくれたおかげで
午後、お墓参りが出来た。
線香に火をつけ、
近くの草むらからむしってきた月見草の花を墓前に手向けた。

多分、私たちに限らず、親というのは、いずれの家庭でも、この程度のものなのだろう。いや、むしろ、私こそ、運良く苦労知らずの気まま人生を送ってきた子どもみたいなものなので、どこかしら、修羅場を切り抜けてきたようにさえ見えるShigeくんと並ぶと、引け目を感じるくらいなのだ。私に立派な父親らしいものを期待しないで欲しい。

彼には、自分のやりたい事、進みたい方向がある程度あるようで、そのための第一歩として、小さいけれど、まともな、ある企業に応募して、きちんと面接を受けて、採用されたらしい。そして、そこで、ある程度のスキルを身につけたあと、さらに、次のステップを考える、という気持ちのようだ。

就職予定の会社について、あるいは、彼のビジョンみたいなものについて、あまり根掘り葉掘り聞くことはしなかった。所詮、自分で決めることなのだから。お墓の前に私と並んだ彼は、数カ月前の彼に比べて、随分しっかり見えて、そんな彼に対して、心から、おめでとう、と言い、お墓の伊予じいちゃんたちに向かって、我が家の末っ子もとうとう独り立ちしそうですと、報告したのだった。

30数年前、若い二人で、ささやかにスタートした我が家だったが、火にかけた水が、いつの間にか沸いてきて、吹きこぼれんばかりに賑やかになり、そのうち、一人二人と巣立って行き、再び、老いた二人の静かな生活に戻っていくのだ。今は、飛び立った子ども達の未来に幸いあれと願うばかりだ。



そうだった。まだ、ゴロがいたのだった。いつまでも、どこまでも一緒に生きていきたい。