2017年4月22日土曜日

春を追って 仙人掌姉

時間が欲しいと思った。

大概は一人で自分自身と向き合う時間が必要だけれど今回は違う。
父と母と過ごす時間が必要なのだ。

そんなふうにりゆうをつけておねいちゃんは、
またなにからにげてきたの?
全部だよ。
いつも目の前の全部から逃げられないって
気付いてから逃げようとするんだ。
 
適当に詰め込んだ荷物を引きずって飛行機に飛び乗り、
東京が最初だった桜の開花宣言からフィルムを巻き戻すような季節を横切って
いつもの我が家に帰った。
 
サクラも若葉もシャクナゲもツツジも皆満開で、大合唱を聞いている気分になる。
石鎚山の谷筋に雪が残っているのが我が家の屋上からも見えた。
自転車に乗って周囲をフラフラしていると麦畑の麦がすくすくと実っている。
先月に訪れた時は石鎚山は頭全部が白くて、麦の穂はまだ若かった。

時間は止まらない。
仕事あがりの父に無理を通して育った街へと出かける。
観光地に住んでいたら「あるある」なのは、
有名なホテルでも宿でもお世話になる機会がないことだよね。
いつか泊まってみるのも面白いと思っていたアイビースクエアに部屋をとり宿泊。

夜の倉敷。誰も歩いていない裏通りを一人で歩きながら
ここで過ごした時間を思い出した。
 
 
春を通り過ぎて初夏の気配すら漂う鶴形山を朝食片手に親子三人であがり、
それぞれに思う事ありつつ、阿智神社にお詣り。
 
鳥居の上へ石を載せる遊びをしながら、夕方の時間を過ごしたのが懐かしい甍の街並み。
 
記憶はオルゴールの音のようにハイライトばかり繰り返すけれど、
生きていくのは、単調なリズムを刻むことの延長だったんだと、
歩き慣れた道を通り過ぎながら思った。
 
 
松山に帰る途中に鞆の浦へ立ち寄った。
穏やかな漁港の風景を好ましく感じるのは遺伝なのかもしれないね。
 
大急ぎで巻き戻したフィルムは、
あっという間にエンドロールが流れ始めた。
 
フィルムが無くなる訳でなし、ゼンマイが切れる訳で無し、
何をそんなに不安に思う事も哀しむ事もあるまいと、他人は笑うのだろうけれど
美しいものは全て哀しくて、愛おしいものは全て儚く感じるから
いつだって笑った後には泣きたくなる性分で仕方ないのだ。
 
 
 
だけど、いつか思い出すのは、どこのサクラの木のことではなく
車の後部座席から身を乗り出して、父と母の間に頭を突き出し
フロントガラス越しに見つめた
四国の山々が色とりどりの緑と桃色の点描だった事と
夕日が落ちていく瀬戸内の海が魚の鱗のように輝いていた事だろう。

 
 
時間は巻き戻せない。ただ通り過ぎていくだけなんだね。
共に過ごしてくれる人に感謝するしかないんだと今更ながら気付いたのに
また素直に口に出来ないままになってしまった。
笑って許してくれる人のもとへ、また何食わぬ顔で押しかけたら
皆でリフレイン。


3 件のコメント:

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
倉敷は、いいところだった。それで16年間を過ごした。人生の夏に向かう豊かなひと時が始まり、秋になり、愛媛に戻ったわけだった。一度は、倉敷に200坪ほどの土地を買って、第二きつねこ屋敷を持とうと思ったくらいだった。

あの病院宿舎の6畳の間で、不動産屋二人と建築屋とおいらと四人で、栗の木の座り机を取り囲んで話しあって、もう一歩で決定というところまで行き、その夜、寝ないで考えて、明け方、やっぱり止めると不動産屋に連絡してやめた。

愛媛に大きな家土地があったし、倉敷にもそれなりの家土地を持つと、話がややこしくなると思ったからだ。もう少し小ぢんまりしたものであれば、貸すなり、なんなり、何か使い道があったかもしれず、それはそれなりに、資産の分散という点ではなにか意味があったかもしれない。

子どもたちは、それぞれ、自分の才覚と分限にあった甲羅を背負って、生きていくことだろう。
健闘を祈る。

匿名 さんのコメント...

甲羅ってのは、背負うと重いものですね。
ヤドカリの貝殻位がいいと思ってたけど、なかなかそうもいかない。
とりあえず、背負って慣れるしかないんだな。
よいしょ。
仙人掌姉

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
仙人掌おねいさん、
世の中には、持たないのが一番自由でいい、とか、無一物が一番強い、とかいう人が多いです。相田みつおの「詩」みたいなものを読んで、感動したり、楽になれたり、悟るところがある人は、それはそれでいいと思います。
私は凡人だから、世の浮沈と共に、泣いたり笑ったりしながら、悟れないままに終わるでしょう。しょうがありませんし、それ以外に道はないのです。