2016年1月12日火曜日

京都のおもひで

空間的にも、思慮においても、がま少年の視野が恐らく縦横10メートル程度も
無かったかと思われる幼き日の記憶である。

がま少年は一つ上のハル之兄(今も昔も腹黒である)とともに、
猫箱母に連れられて京都府動物園に行ったことがある。

その頃はまだ棘もやはらかであったさぼてん姉者、今も昔もハラグロ!な
ハル之兄、そして紅顔純真ながま少年の3児を抱える若き猫箱母としては、
少年達が世界中の珍しき動物達を見て無邪気に楽しんでくれる
ことを期待したはずである。

しかし檻の中の動物達を一通り眺めて満足した少年達は、呆れたことに、
あっさり飽きてしまった。
少年達は檻の中で面倒くさそうに薄眼をする猛獣にはさして
興味を惹かれなかったのだろう。

そして、ここを境に途中の記憶は曖昧であるが、けしからん少年達は猫箱母を
園内に残して門から遁走したのであった。
忽然と姿をくらました少年達を捜して半べそをかいた猫箱母が、動物園の傍を
流れる琵琶湖疏水の橋の袂で、一心に鯉やオオクチバスを凝視する二人を
発見したのは小一時間経った頃であったろうか。

怒り心頭に達しながらも精一杯の寛容を以て少年達に遁走の理由を問うた
猫箱母であったが、あろうことか、がま少年の、
「動物園、あんま面白くなかったョ」 の言を前に、遂に鉄拳を振るうこととなったーー

さてこのような回想を突如克明に記述するのは、去る成人の日の月曜日、
がま(今や三十路)がたまたま京都に足を運ぶ機会があり、偶然にも件の
琵琶湖疏水にさしかかり、25年もの歳月を経てかの原風景との邂逅を果たして
しまったがためである。

向かって右が琵琶湖疏水記念館、左が京都府動物園である。
遠くでは呆けたように川鵜が翼を干している。


川砂の補充を行っている。左が動物園。
右のスロープを下って、少年達は大魚を夢見たのではなかったか。

狭かった視野は、空間的には多少の広がりを見せたものの、
思慮においてはさして広がりはしなかった。
時々の興味関心の赴くまま、勝手に動く性癖は今も昔も変わらない。
ただ、昔よりも無邪気ではいられなくなったことを寂しく思う。
がま

*************************予告*************************
次回、三十路のがまが京都の街を漫ろ歩くの回。
テーマは京ラーメンと昭和の銭湯。
京都に縁あるものはあまりの懐かしさに涙するであろう!

次回があると思わせておいて、無かったりすることもあるので注意。

6 件のコメント:

inchoudon さんのコメント...

<ライネケ>
多分、いくらなんでも、鉄拳制裁はないと思う。

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>
きつく叱った覚えはあるが、何がどうやら どうだったやら
銀河のはて的かなたから 思い起こされるのは可愛い無邪気な子どもたちの様子
記憶は美化される

ミレニアムファルコン号に乗ってどっかぶっ跳んじゃうんだな

それにしてもまだ君らには全力挙げて怒る元気があった
子育てにエネルギーは必要

sorneko さんのコメント...

いや、猫箱母さんは案外猫パンチを繰り出しましたよ。凄い時は鍋が飛んで来たりすることもある。
しかし、意外なところで古い記憶が蘇ったものだ。すっかり忘れていた。

教訓
子供は親の思うようには動かない。
無邪気ではあるが、阿呆でもある。


匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>

フン フン!!
悪たれ小僧ども
だんだん思いだしてきたよ

あの時投げたのは馬鹿重いステンレス5層鍋でなくて
アルミの軽いやつだった事に感謝しなさい

kurashiki-keiko さんのコメント...

男の子、特に2人というのはまるで子犬がじゃれるかのようにつるんで遊ぶものだと認識しております。わが家においても、でした。
ほんと、好き勝手に西に東に、我が家の場合は実家の母(子どもたちにとっては母方の祖母)と一緒に瀬戸大橋がかかった時の博覧会に同行した際、「あんたの子供は西と東に分かれて行ってしまうから始末に負えない」などと言われたことを思いだします。子供の興味のおもむくところ、親の想像を超えるものがありますね。
なお、私は性格上、のんびりした父親譲りで爆発することはあまりなかったように(子供たちはどう覚えているかわかりませんが)思います。

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
kurashiki-keikoさま、
コメントありがとうございます。
当家の長男・次男の仲は、いいも悪いもなく、ふたり仲良く仲悪く、ともに影響し合い、批判しあって、成長したようです。

ネコパコさんは、何か飛ばすにしても、一瞬のうちに、考え、計算して、投げていたと思います。私は、何度か、手をあげましたが、子どもには絶対手をあげちゃ駄目だ、などということはないと、今も思っています。子供たちと正面から向い合っていればの話ですが。

むしろ、遅れてやって来た三男の末っ子君が、弾き出されたようで、彼は彼なりに苦しんだようでした。親はよく分からないままに、自然にそのうち、いろいろな問題が解決してくれるに違いない、とのんきに構えていたように思えます。