2013年12月5日木曜日

ライネケの新しいおもちゃ <ライネケ院長>

またもや、夢見るライネケに魔がさしてしまった。

10月末のある雨の日の夕方、ライネケは建築士のHさんから軽トラックを借りて、ネコパコさんと一緒に、高浜近くにある松山デポに、あるものを引き取りに行った。




ホンダ スーパーカブ C65 1965年製?
ひさびさに当家の新入りだ。これは、嫁入り道具として付いてきた、当時物のパーツリストとサービスマニュアル、取扱説明書だ。




ホンダのスーパーカブは、今も進化しつつ生産され、世界中で活躍し、2008年4月末時点でシリーズ総生産数6000万台に達して、輸送機器の一シリーズとしては、世界最多量産、販売台数を記録し、20世紀後半のモータリゼーション史上、四輪自動車のT型フォードやフォルクスワーゲンタイプ1(いわゆるカブトムシ)と並ぶ貢献をしてきたそうだ。(ウィキペディアによる)

スーパーカブは1958年にOHV50cc(スーパーカブC100)として生産が始まり、さまざまの派生型が生産されて現在に至っているのだが、今度うちにやってきたのは、OHC63ccのスーパーカブC65(65ccではない)というやつで、1964年末から1965年まで、約一年間だけ生産された63ccのバイクだ。

どの道にもマニアというものはあるのだが、古いスーパーカブは格別で、特に最初期のOHVエンジン搭載モデルであるC100とC105はクラシックカブの中でも一番人気が高い。今度うちにやって来たC65はOHCエンジンへの移行期の最初のもので、現行のスーパーカブの先祖に当たるものだ。ただし、63ccなので、原付二種と言って、50ccと違って、30キロ制限はないし、二人乗りができる。うふふ・・。



おん年48歳のご老体だ。はるばる静岡からやって来た。今もリアフェンダーに黄色のシールが残っている。「車籍票 A10932 愛知県」どうやら、最初は愛知県で登録されたようだ。

とにかく、まず、彼(多分男性だろうな)を長い長い眠りから目を覚まさせてやらなければならない。動くようにならなければ、ただの鉄くずだ。

引き取ってきた翌日の夜、暗い中で、一生懸命、キックしてみる。キックは降りる。次は、点火プラグを抜いて、キックする。火花が飛ぶはず・・・。あれれ、飛ばない?
大汗をかきながら、なんどもキックする。おお、飛んだ、飛んだ。一安心だよ。



まずは、移動させやすいように、パンクしていた後輪のパンク修理をした。ついで、レッグシールド、タンク、シートを外して、裸にした。マフラーはおそらく長年月の間に腐ってしまったのだろう、新しいのが付いている。しかし、大抵の部品はオリジナルのままのようだ。


例えば、このオレンジ色のはセレン整流器といって、エンジンのダイナモから発電された交流電気を6ボルトの直流に変えて、灯火類やらホーンなどに流す仕掛けだが、極めて古典的なものだ。効率が悪いので、現在はシリコンダイオードを使っている。


一番手を焼いたのは、このメインスイッチだった。鍵屋さんでスペアキーを作ってもらったのだが、経年変化で接触不良のため、ちゃんと動作しない。結局分解して、接点にハンダを盛って、接点が回復した。キーのシリンダー部は分解する必要なかったのに、分解したため、直径1mm足らずの細いコイルスプリングを飛ばしてしまい、老眼の目を凝らして、床を這い回って探して、やっと見つけたときは嬉しかったよ。それも一度ならず、何回も飛ばして、それでも見つかったときは、「俺には、ネ申がついてる!」と思ってしまった。馬鹿みたい。

あとは、配線図とにらめっこしながら、色分けされた電線を追っかけていき、とうとう、前照灯ハイ・ロー、ニュートラルランプ、スピードメーター照明灯、尾灯、停止灯、前後ウィンカー、全て動作するようになった。47年の歳月でウィンカースイッチも接触が悪くて、これも分解して掃除したのだが、こんな、雨風にさらされるところで、おまけにごく小さなスペースに、こんなややこしい、しかも原始的な部品を詰め込んだ、昔の技術者や現場の職人さんたちのことを思わずにはいられなかった。今なら、すべて電子的にユニット交換だろう。


とにかく、すったもんだの挙句、ある早朝、タンクもシートも、ステップも付いていないままに、走らせてみた。まだ、ナンバーはなく、ライネケが手に持っているのは、いささか滑稽だが、エンジン調整用のガソリンの入った小タンクだ。まるで、やっと散歩ができるようになった入院患者の点滴瓶みたいだな。ここまでで、引き取ってきてから3週間が経っていた。


町役場に行ってもらってきたナンバープレートをつけ、自賠責保険に入り、いよいよ、公道デビューだ。いつものように、サンダル履きに素手で飛び出した。

「もう我慢出来ないんだからあ。」
「ちょっくら、行ってくるわ。」


初めて、オートバイに乗り出したのは、大学病院で研修を始めた頃、アルバイト先に通うため、看護婦さんがスクーターを貸してくれたのがきっかけだった。中型免許を取得し、400ccのオートバイを買って、ネコパコを後ろに乗せて、吉川・京都を往復し始めた。あれから30年以上が経った。

「また、二人乗りして、どこかに行こうよ。」
「・・・・。」


晴れた日の午後、昼休みを利用して、隣町の海岸沿いに走ってみる。
うん、いい後ろ姿だ。

7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>
この熱中ぶり、集中ぶり
「変わらずお若い!!」と言うべきか 
はたまた
「いつまで同じことやってるの!!」と
彼の母のように模型飛行機を取り上げて
ボウッと燃やしてしまうか…
(15の春、彼はとりあえず模型飛行機からは
足を洗ってシフトチェンジしたらしいが、
その10年後 20年後 いえ50年後も
物が変わっても やってることは変わらない) 

これがわが子なら私は何とするだろう 

この親ありて あの子ありなのか…
子なのか 親なのか
そんな分け方は無意味に思えるけれど
きっといろいろな感傷に耽る人が
いることでしょう

人は限りない繰り返しの中で
物事の本質に迫れるのかもしれません
繰り返しから生まれるものがあるとは
限りませんけど…
熱中できるものがあるのは 語る言葉を
多くするのは確かです

はいはい とにかく
往診用バイクということで
必要経費として処理するのが私の仕事です

こんなにお楽しみで
仕事にも役立つなんて実にすばらしい

趣味と実益が一致した生活はとにかく
ハッピーなのは確かなようです



inchoudon さんのコメント...

<ライネけ>
公道デビューは果たしたものの、昨日まで、アイドリングは不安定だし、70キロ以上出すとガス欠みたいな症状が出るし、なかなか調子が出なかった。

今日の昼休み、昼食が終わると、ガレージに座り込んで、再度、キャブレターを分解し、洗浄し、コンプレッサーでエアーを通して、もう一度組み直した。

さっき、某直線コースで、カタログデータの最高速85キロを確認した。

満足だよ。

永遠に子供のライネケ

sorneko さんのコメント...

無事走るようになりましたか。
塗装も綺麗にしてあげるとよいですね。
海辺の町では錆びやすいでしょう。

がま

inchoudon さんのコメント...

<ライネケ>
がま君、元気に、衝突実験やってますか?
自分の体ではやらないほうがいいと思います。
と言っても、手遅れか。

30キロくらいで、ポコポコ・ポコポコっていう感じで走るとすごく気持ちいいよ。あとは、シートのひび割れ、エキゾーストパイプの穴、マフラーのディフューザーの欠品、クランクいケースのどこかから漏ってくるオイル・・・、問題はそこら辺かな。

塗装は48年前のオリジナルペイントなので、そのままそおっと乗り続けるつもり。当時の設計者はデザインセンスが良かったんだね。色も形もいいと思います。

匿名 さんのコメント...

二人で乗って仲良くこけたら
私は乗ってなくても、アホになるかもしれないから
気をつけて〜、気をつけて〜。
お願い。
chica

inchoudon さんのコメント...

<ライネケ>
う〜ん、ちらちらっと誘ってみてんだけどねえ。
それと、まだ、C65が不完全なんで、すぐにはまだ無理かも。

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>
CHIKAさんがお腹の中でまだネズミより小さかったころ、雪道の二人乗りで滑って転んだ
つる~っと見事にお尻のスケート

アッ それですでに
頭がおかしかったら
ごめんあそばせ

あの時ライネケは「ここでブレーキかけたらどうなるのか…」という興味に勝てなくて、ブレーキをかけた
とりあえず一言は「やめて!」といったんですけどね
タンデムでこけたのは過去二回。
三度目はさすがに老体にはきつかろうな…