2013年3月9日土曜日

さようなら ロナ  <ライネケ>

ロナが、帰って来ない。
2010年9月7日
裏駐車場南側塀際の植え込みで

<3月5日、火曜日、晴れ>
ロナが、朝出て、真っ暗になっても帰って来ない。数日来、ほとんど食べていない。
春まだ浅く、寒い中、どうしているのか。どこか、暖かい場所にいればいいのだが。

2011年11月21日
裏玄関扉の上で


<3月6日、水曜日、晴れ>
多分、もう、ロナは、もどって来ないだろう。
まだ寒いけど、春の息吹に包まれて、どこか、自分の心休まる隠れ家で、ひっそりと、あの世に旅立つのだろう。
滴が水面に落ちて、もとの静かな水にもどるように。
それでいいんだ、と自分に言い聞かせる。
どこかから、首の鈴の音が聞こえて来そうな気がして、耳を傾ける。
私達は、いつまで、何を、待つのだろう。


倉敷で
幼少のころ
こんなに小さかった

<3月7日、木曜日、晴れ>
やはり、ロナはもどって来ない。ロナはもう、私達の目に見えない所に行ってしまったのだと思う。
小石がここにころがり、どこかで砕けて砂になって行くように、草花がそこに生い茂り、あそこに咲き、かしこに散って行くように、ふらりと出て行き、かつて彼が出て来たどこかに帰って行ったのだろう。
ロナは、すでに、この春の大気の中にとけ込み、あまねく私達の周りにいるのかもしれない。

外は、春の光があふれ、萌え出して来た緑が目にしみる。
爛漫の春を目前に、生と死が一つのものであると感じる。
この世界はあまりにも美しい。
春の外気に胸が苦しい。
私は春に溺れて、あえぎ、咳き込み、一瞬、黒々とした生死の深淵をのぞき込む。


満天満地の春が
ほんのそこにあるというのに

神様がこの世界をお作りになったのなら、どうして、わざわざ、こんなに美しく作られたのだろう。
いつかは滅びて行くものならば、こんなに美しくする必要はなかった。
神は、あらゆるものに命をお与えになり、そして、また、お取り上げになる。
どうせ、死に、滅びて行くものなら、初めから命をお授けになるべきではなかった。
そのせいで、人々が苦しみ悩むのであれば、この世界をお作りになるべきではなかったのではないか。
人々に、喜び、悲しみ、怒り、愛し、憎む、そのような微妙で繊細で美しくも愚かしい心をお授けにならねばよかったのではないか。
神様におたずねしたい。

そう思うのは不遜だろうか。幼い頃から、この疑問を繰り返して来た。けれども、今日も、神様はお忙しいらしく、お答えを頂けそうにない。らちもない愚痴を繰り返すのは、もうよそう。
明日 
炉に投げ入れられる野の草をも
神はかく粧い給う

ロナは私に、野生と自然のありようを示してくれたのかもしれない。
ロナに野生でいてくれるよう望んだのは、他ならぬ私自身なのだった。
ロナは自由な放し飼いであったが故に、病を得、逝くことになった。しかし、それが間違っていたとは思わない。爪を抜かれた室内猫として、一生を安全に生きるのが幸せと言えるだろうか。


草花の下が好きだった

私も、ロナみたいに、草花みたいに、生い出て、咲き誇り、老い果てて、死んで行こう。
小石になって、転げ、砕けて、砂になって、散らばってしまおう。
もう、だだをこねるのは止せ。
何かが私にそう言い聞かせる。


この偉そうさを見よ
最盛時には6.8kgの立派な伊達男だった
最後は4.8kgになり、痛々しかった
それでも、最後まで美猫だった
11才の春だった

奇跡のように、ロナは、私達のもとにやって来て、十年間以上にわたって、私達とともに暮らし、ある晴れた春の日、ふいに、私達のもとを去って行った。


もう
彼の爪痕が増えることはない

後を追ったり、探したりするのは止そう。
それでいいではないか。
生きること、出会うこと、それだけでも珠玉のように貴重な瞬間なのだから。


無愛想だったが
うちの子らしかった

さようなら ロナ
ありがとう ロナ

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

町の反対側の動物病院へ、
子猫を拾った少年と共に自転車で乗り付け
受付をした。
飼い主の名前の欄に少年の名前を書き込み、
次を見たら、動物の名前を書き込まねばならない。
後ろを振り返ると、小さな籠の中に入った
掌にのる大きさの子猫を、少年は熱心に
覗きこんでいた。
家を出る時に彼が、魔法児童文学に出てきた
猫の名前を、その猫につけると意気込んでいたのを
思い出しながら、名前の欄に
ロナウドと勝手に書きこんだ。
その年に、日本と韓国で行われたサッカーの
国際試合で活躍したサッカー選手の中で
ブラジルの選手が、頭のてっぺんだけの
髪を残して後は刈り上げるという奇抜な
ヘアースタイルで注目を浴びたのを
真っ白な子猫の耳の間、頭の部分だけに
黒い毛があるのを見たからだ。

名前を勝手に決められた事など
何も知らずに少年は子猫を診察に出し
目も開かない子猫は自分の運命が
幼い少年の手にゆだねられた事など
お構いなしに、ミイミイと鳴いた。

自宅に帰ってから、名前が決まってしまった事に
やっと気付いた少年が
大層憤慨したかしなかったか、よく覚えていない。

猫同士の喧嘩なのに、少年の加勢を頼みにしたり、
自分の好きな献立の時は、しれっとした顔で
同じ食卓についてみたり、
ロナウドは猫らしくて人間臭い、我が家の一員だった。

運命があるとかないとか、そんな陳腐な事を
語る気はないが、
彼は確かに、我が家の一員として
来るべくして来た存在だった。
生まれ故郷を離れ、海を渡った家族に従い
住いを変わる苦労に耐えて、新しい職場を
開いた院長と事務長にずっと寄り添ってくれたのは
彼だった。

彼が居なければ、この家族の10年間の繋がりは
どうなっていたろうか。
ありがとう、ロナウド。
君は確かに我が家の子だったね。

chica

ライネケ院長 さんのコメント...

<ネコパコ>
Chikaのコメント まさしく姉の横暴…
愛情あふれる暴露話
あの時 命の恩人の気持ちをおさめるのが大変で
苦肉の策で正式命名は <ロナウド クルックシャンクス チャン モーター> ということになりました
こんな立派な名前を持つ猫もそうザラにはいまい
結局我が家の四郎(白)として共にあったわけです
夜ごとの教育係(gama)のお陰で随分荒っぽい猫になりました


kurashiki-keiko さんのコメント...

そうそう、倉敷に暮らしておられたころにはまだほんのいたずらっ子で、
私はあのころに猫ミルク」なるものがあることを始めて知りましたし、
人間と同じように猫の赤ちゃんも哺乳瓶で育てるのを知りました。
すっかり大人になり、年を取り、自分の死期を悟って去って行った彼のカッコ良い生き様には
本当に自然の摂理を感じました。
長く家族としてお暮しになって、いわゆるペットロスの状態にあられることとお察しいたします。風になっているであろうロナちゃんのご冥福をお祈りしましょう。

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
kurashiki-keikoさま、
ご心配頂いてありがとうございます。

自分でも思いのほかに元気にしております。年末から、少しずつ覚悟が出来ていたせいかもしれません。

11才ですから、人間で言えば、60歳を超していたのかもしれませんが、私達にとっては、いつまでも子どもでした。今振り返ってみても、きれいな子だったと思います。

今もふと、最後に見たベランダの日のあたる所に、寝そべる白い姿が幻のように見えます。

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>
ミルクをやってみると人間の子と同じで、猫の赤ちゃんも4時間おきにお腹がすくのだとわかりました
生後7~10日 体重120gだったので生存率は半分ぐらいだったようです。
食欲はありましたが さすがに10日経ってもうんちが出ないので心配して再度獣医さんへ
動物は親がなめて排便をさせるのですが…と獣医さんがすすめてくれたのがお腹の「マッサージとこより浣腸」
「浣腸なら任せてください」
思わず言いましたね
第一子(あえてだれかはいいますまい)が赤ん坊の時ひどい便秘だったので、手慣れたものでした
何事も経験ですね…オホホ
ついでに親がなめてくれているまったりモードを作り出すために考えたのは、ヌル湯半身浴をさせながらのお腹のマッサージ

やったー出たー
でした
それがその後ロナのお風呂に発展していくわけですが、そんな意味でも手をかけて大きくしたんだな…思わずホロッとしてしまう
いかんいかん