2012年12月27日木曜日

優しくなりたい

優しい人でありたい。
他人しく、自分に厳しく。
そんな人になりたいけど、現実は真逆で。
他人に厳しく、自分に甘い。



 奈良美智の描く人で、私は意地悪い顔をした人が好きだ。
ああ、自分にそっくりだと思う。
だから、この子を見た時、おとなし過ぎると思ったんだけど、
よく見たら違うと思った。
目を見開いて、口だけ笑って、でもトゲトゲ。
本当は「森ガール」って名前らしいけど、
私が違うと思う。



 ヤドカリ ウニ子だと思う。

私も案外睫毛長いんやで。

友達がまた増えた。    chica

4 件のコメント:

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
年の瀬やいうのに、えらい、内省的というか、自己否定的やな。あんたにはあんたのええところがたんとあるんやから、あんまり、ヤドカリみたいに殻にこもらんでもええんやないか。

自分に甘いかわりに、他人にも甘い。
まあ、これが理想に近いかな。

だって、他人には甘くて、自分にはからい、というのは、余りにストイックだから。うっかりすると、いつの間にか、心の中は、鬼みたいになっていて、自滅しかねない。そりゃ、本物じゃないからだよ、と言われればそれまでだけど。

自分にも他人にもからい、というのは、多分うっとおしいやろうね。息が詰まりそうや。自分には甘くて、他人には辛い、というのは論外、ということになりそうだけど、一番多いのがこれかもしれんな。

まあ、そんなに自分を悪く思わんでええんやないかな。みんな似たようなものだよ。お釈迦さんとか、キリストさんとかは違うかもしれんけど。孔子さんなんかも、結構、他人には厳しかったみたいだよ。ご自分はちゃんとしてはったんやろけど。

kurashiki-keiko さんのコメント...

以前ラジオを聞いていたら、幼稚園児に「大きくなったら何になりたい?」というのがあり、たいていの子は「パイロット」だの「ケーキやさん」だのそれなりのほほえましい答えをする中に1人「やさしいひと」。と答えた子がいました。きっとご家族にそんなしつけ方をされていたのかもしれませんが、やさしい人、人のことをよく考えて気配りの出来る人、そんな人に私もなりたい、・・・・と、書いて某地元紙に投稿したら掲載されたことがありました。
 自分につい甘くなりがちですが、人にも思いやりのあるやさしい気持ちでいたいものと思います。

kurashiki-keiko さんのコメント...

(上記の記事と関係なくてごめんなさい)
ライネケ院長様へ。
リンクの私の学生時代の宗教曲の
「Tantum ergo, Hodie apparuit, Parce Domine, Ecce panis Angelorum, In Nomine Jesu, Eripe me」
意味も分からず歌っていたものですが、これってラテン語?ですよね。古いアルバムの写真の下に曲名が書き残してあり、題名を見ただけで当時歌った曲のメロディーが出てきて自分でも驚きました。

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
Tantum ergo,      かかるが故に、
Hodie apparuit,     今や、明らかになりたり。
Parce Domine,      主よ、許したまえ。
Ecce panis Angelorum,  見よ、天使達のパンなり。
In Nomine Jesu,     イエスの御名において、
Eripe me        我を解き放ちたまえ。 

こんな感じかな?
間違っていたら、ごめんなさい。
ラテン語です。中世ラテン語とか、教会ラテン語と言うべきなのかも知りませんが。
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話は元に戻りますが、中島みゆきの歌に、
「街頭インタヴューに答えて 私やさしい人が好きよと
やさしくなれない女たちは答える
話しかけた若い司会者は またかとどこかで思いながら
ぞんざいに次の歩行者をつかまえる」
ってのがありますね。
優しい人でいたいと思い、優しくあるように努力するというのは、なかなか大変です。「優しい」という性格なのか、才能なのか、優しくあるべく努力するものなのか、分かりません。

そもそも、「やさしい」というのがどういうことなのか、もよく分かりません。

例の「プレイバック」の中の、フィリップ・マーロウの有名な台詞では、
「タフでなければ生きて行けない。優しくなければ生きる資格がない。」
という場合の「優しい」は原作の英語では、gentleなんだけど。この場合は、何となく、中世ヨーロッパの騎士道精神みたいなにおいがしますな。