2020年3月9日月曜日

渋・・さんのこと(4)

当時の大学入試体制は、今とは大分違っていた。共通一次などというものはなく、自分が受けたければ、どんな高望みであろうが受験できた。国立大学と私立大学があり、国立大学は、受験日により一期校と二期校に分けられ、チャンスが2回だけあった。戦前からの旧帝国大学は一期校に属していた。医学部は全国でも数少なくて、国立大学医学部は、今のように各県にはなく、たとえば、四国四県で医学部を持つのは徳島大学だけだった。どうしても東大に入りたい、という人は、3月初めの一期校の入試で、上位80人の中に入れなければ、また一年待たなければならない。

なりふりかまわぬ受験態勢ってどういうのか、というと、別になんということもない。要するに、朝は早起きをし、夜はさっさと寝てしまう。三度三度の食事は必ずとる。予備校の授業は一時限目から必ず出席し、できるだけ前の方の席に座る。予備校が終われば、一休みのあと、図書館に行って、勉強する。平日だけでなく、日曜日も祭日も、熱が出たりして体調がわるい時も、とにかく図書館に行って、一時間だけでも図書館の机に向かう。そのようなことだ。

東京に来てみて分かったことは、図書館がそのような勉強の環境を提供しているということだった。

国鉄御茶ノ水駅の神田川を挟んだ向かいに地下鉄丸の内線御茶ノ水駅があり、地下鉄で四谷三丁目駅を降りると、近くに新宿区立四谷図書館があった。行ったら、受付で席札をもらい、その頃は6人掛けの机に向かって、横の人に気を使いながら座って、勉強する。大抵、お隣は一般社会人らしい人たちで、公務員試験とか、司法試験とか、中には珠算の検定試験の勉強をしてたりする。もちろん、皆お互いに迷惑をかけないように、静かにしているのだから、珠算と言ったって、ソロバンは使わない、問題集を見ながら、机の上で指だけ動かして演習している。すごい。みんな生きるために努力しているのだ、と、いまさらながら自分の甘さが身にしみた。盛夏時には、日曜日に行くと、9時開館だというのに、すでに8時前から、二階の入り口から一階までずらりと行列が出来ていた。


つづく


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