2020年3月6日金曜日

渋・・さんのこと(2)

誰かから、彼のことを聞いていた。
すでに現役で慶応大学の医学部に合格したのだが、東大の理科三類に行くんだと言って、慶応を蹴って、浪人しているんだ、というのだ。当時、慶應医学部は倍率40倍と言われていて、東大に並ぶ超難関だった。

その頃、ライネケは現役で合格した山口大学の医学部を休学し、やがて退学して、東京で浪人していたのだが、もし現役合格の第2志望校が山口大学でなくて、慶応大学だったら、どうだったか。そのまま慶応に行ったかもしれない。実は、ライネケの父親は、福沢諭吉が好きで、大の慶応びいきだったのだ。それで、浪人の末、京都大学の合格発表を聞く2,3日前に慶應医学部に合格した時、えらく喜んで、ぜひ慶応に行けと行ったんだが、ライネケは京大に行ったわけだ。

「赤シャツ」君は、自分ほどの人間には、明治以来、日本の最高峰の秀才の集まる東大医学部こそがふさわしいのだ、と思ったのだろうか、慶應医学部を辞退して、あえて浪人しているらしかった。愛媛から東京に出てきたライネケみたいな田舎者には、自信に満ちていて、何、たいしたことじゃないよ、という風に見える「赤シャツ」君が、光り輝いて見えた。すごいな、あの慶応を蹴るなんて、東京って、すごい連中がいるもんだな、と思った。

日本一の大都会である東京では、無数の人がひしめき、うごめき合って生きているのだった。電車に乗って東京都市圏を離れても、電車の車窓から見える街並みは途切れることなく、どこまでもどこまでも町が続くのだった。そんな中で日陰者みたいに暮らす予備校生のライネケは、将来に対する不安とひしめき合う秀才に伍して受験勉強を切り抜けるという重圧感に、圧しつぶされそうな気分だった。わざわざしなくてもいい苦労をなぜ?という自虐と負けたくないという自尊心の間で揺れ動く、見栄っ張りで小心な魂だった。

一方、件の「赤シャツ」君は、受験生のはずだのに、たまにしか予備校には顔を出さず、御茶ノ水にあった「アテネ・フランセ」に通って、フランス語を習ったりしていた。ときどき、やはり浪人生らしかった女の子と一緒に歩いたりしていて、受験生仲間から、距離を置いて生きているらしかった。

京都に引っ越したライネケに、
東京の彼から届いた書簡に同封してあった写真
赤いシャツをよく着ていた。
そんな「赤シャツ」君は、ライネケ自身の目から見て、ライネけとは対極の存在のように思えた。田舎者の垢抜けない存在であったライネケが、まるで縁のなさそうな都会的人間と思われる人物の目にとまったのは、どうしてか、いまだに分からない。

彼が、本当に、余裕綽々で自分の前途を自分が勝手に選べるような、いわば人生のエリートであったかどうか、ということは、おいおい分かるだろう。

つづく

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