2020年3月9日月曜日

渋・・さんのこと(5)

予備校の授業が終わって、午後から図書館に行くと、夜9時45分まで、閲覧室が使えた。冷暖房が備わっていて、ありがたかった。周囲が皆一生懸命勉強しているのだから、勉強しないわけにはいかなかった。夕食は、席札を受付に預けて、近くの食堂でとった。

広い閲覧室フロアには、新聞台区域があった。ときどき休憩時間は、順繰りに6誌の新聞を読んで、昼寝もして、夜9時45分の閉館まで粘る。その後、夜の新宿駅を歩いて、小田急線に乗って帰宅する。当時は、新宿駅の広場で、フーテンとかいうような連中が、シンナーの袋をあおるように吸いながら、ふらついていた。ガード下で、バナナの叩き売りの口上を聞いて、バナナを買ったりした。

下宿に帰ると、夜のコーヒーを飲み、文学書などは読まず、冒険小説やスリラー、サスペンス物を読んで、12時までには就寝する。決して夜更かし、朝寝坊はしない。よほど優秀でない限り、大概の頭脳の持ち主は、妙に文学青年ぶってデカダンを気取ったりしていては、合格できない。受験というのは至って、現実的、かつ戦略的なものなのだった。

四谷図書館が休みの時には、東大図書館や時には成城駅の近くの図書館にも行った。東大図書館は、御茶ノ水から本郷方面に歩いて、東大の赤門をくぐったすぐにあり、入館証がいるのだが、T叔父が工面してくれた。肩身が狭かったけど、手に持った入館証をさし上げて、顔を伏せながら、銭湯の番台の下を通るようにして入った。その後も、京大図書館や同志社大学図書館など、いろいろな図書館に入ったが、東大図書館の閲覧室ほど大きな図書館は知らない。大抵、人はあまりいなくて、暗くて広大な閲覧室の中に、ずらりと並んでひとりずつ仕切られて閲覧灯の付いた閲覧ブースに、隠れるようにして、勉強した。冬のスチーム暖房の放熱器の金属音がまだ耳の奥に残っている。

本郷通りには、アカデミアミュージックという輸入楽譜専門店があって、よく入った。その一隅に、黒檀に象牙のリングの入ったドルメッチのレコーダーが陳列してあって、晴れて合格したら買おうと思ったけど、結局買わなかった。つくづく自分のけちさ加減が悔やまれるよ。

とにかく、2浪目の受験の最終日、これはやっぱり駄目だ、と思った翌日から数えて、翌年の3月5日までの365日のうち330日、図書館に通った。意地みたいになって印をつけたから間違いない。そしたら合格した。

「赤シャツ」君が、恋愛し、バイオリンを弾き、フランス語を習い、歌舞伎座に通って、東京大学理科三類に楽々と合格できたかどうかは、次のお楽しみということにしよう。


つづく

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