2008年12月11日木曜日

おそくなったけど、誕生日おめでとう-3 <ライネケ院長>

この記事は、本当は9月中に公開する予定だったんだが、ついつい延び延びになってしまった。今頃公開するんだけど、諸君、ともに祝ってやって下さい。


どうだい。お育ちの良さそうな、坊ちゃんぶりじゃないか?
なんたって、キツネコ家の末っ子、四男坊だからね。四郎だから、白いんだ。
草花の下をうろつくのが好きなロナ君。
いろいろ厄介なこともあるが、喜びももたらしてくれる我が家の美男子。

キツネコ家では、9月は誕生日ラッシュなんだよ。
ええ? ChicaさんとSoraちゃん、2人で終わりじゃないの?って?
違う。Ronaさんがいる。
そういうわけで、
9月23日秋分の日、Ronaさん、誕生日おめでとう。

君も御年6歳になっちゃったんだ。人間でいえば、もう立派な中年だよ。

9月下旬のある日、Shige君が死にかけの仔猫を拾って帰って来た、とネコパコ母さんが言う。うちで飼いたいんだけどって。
「駄目だよ。そもそも、借家では犬猫は飼っちゃいけないんだ。今までも何回か、同じことがあったけど、全部、却下した来たじゃないか。情が移らないうちに、さっさと捨てて来なさいよ。」
「でも、生まれて数日目で、目も見えないし、夜は寒くなって来てるし、このままじゃ、すぐ死んじゃうか、野犬にでも食われてしまうわよ。」
「駄目、駄目。心を鬼にしなくっちゃ。俺は知らんからな。」
「でも・・・・。」
「結局は捨てることになるんだ。ミイニャの時のこと考えてみろよ。早くしなきゃ。」
「でも・・・・。」
「はああっ。そんなことを言って、俺は知らんぞ。どんな猫か知らんが、とにかく俺は見んからな。知らんからな。知らん、知らん。」
どどどって、逃げ去ったんだが・・・。
「みいにゃ」っていうのは、滋賀時代の話だ。滋賀医大にいた頃、官舎でしばらく居候した猫の話だ。この話はまたの機会にしよう。

Shigeが描いたうちに来たばかりの子猫の絵。
体重240g、足の爪を隠す事を知らない、と書いてある。
Shigeは彼の命の恩人ということになるね。

結局の所、ライネケはしようがなく、その猫を見てしまった。白い毛糸の球みたいなものを見ちゃったんだ。うーん。しようがないな。とにかく、大家さんに頼んでみるしかないな。第一、動物病院の医者は、余りに小さくて、目が見えないだけじゃなくて、ミルクも飲んでくれるかどうか分からないから、うまく育つかどうかもあやしい、と言った。可哀想だけど、死んでしまえば、それまでの話だな、と瞬間的に思った。本当にはかない生命だったんだ。

というわけで、片手のひらに乗るくらいの子猫はうちにやって来た。

買って来た粉ミルクを綿球で含ませたり、便秘の子猫のお尻をマッサージしたり、久しぶりの野生母ネコの本能を発揮したネコパコの奮闘によって、意外にも、子猫は順調に育った。


来た当時は、おチンチンがないように見えたので、雌だと思っていた。ところが、動物病院の医者は、ちょっとあの辺りを探ってみて、これは雄ですね。と言うんだ。えええ〜っ。雄だって。
Shigeの絵にあるように、生まれて間もなくは、頭のてっぺんが少しだけ黒かった。当時のサッカー選手のロナウドの頭みたいだっていうので、Chicaさんがロナウドと名付けた。略してロナが我が家の一員となった。

ロナは、目の色が左右ちがっていて、右が黄色、左が青色。こういうのをオッヅアイ、と言うんだそうだ。同じだったら、イーブンアイだな。で、白猫でオッヅアイだと、どちらかの耳が難聴になるんだそうだ。へえ、そりゃ可哀想だな。と思ったら、医者が言うには、でもこのネコは、ほんのちょっぴりだけど、頭のてっぺんに黒色が残っているから、大丈夫かもしれない、って言ったんだって。
どうやら、ロナは、難聴にならず、ちゃんと聞こえているらしい。自分の都合の悪い時は、まるで振り向きもしないが。4ヶ月過ぎに断種した。お前の子孫ができたらいいのに、できないんだな。可哀想に。


リフォームして、きれいな四国杉の厚板を張った我が家の床の傷跡。最初は何だろう?と思った。やがて、ロナの爪痕だと分かった。ネコの爪研ぎ仕上げというんだそうだ。ネコは皆、爪研ぎの癖がある。3年前、倉敷の借家を引っ越す時、ロナのために、畳と襖の張り替えに大金が掛かった。今や、我が家の床は、ロナの爪痕だらけだ。

彼の被害に会った、ふすまと畳。

彼の爪を切ってしまえば、この憂いはなくなるだろう。しかし、彼が何かの時に塀に駆け上がれなかったり、宿敵と戦わなければならない時、この爪がなかったら、と思うと・・・。
いつの日か、ロナがいなくなった時、この床の爪あとを見て、私たちはロナのことを思い出すだろう。そして、涙を流すだろう。

人生は、ほんの一瞬の出会いだ。君がいつまでもその辺りにいてくれるといいのに。

我が家の貴公子、ロナ君。6歳の誕生日おめでとう。

2008年12月2日火曜日

ライネケの妙なこだわり

ライネケ院長は、時々、妙に言葉についてこだわる癖があってね。
Wystan Hugh Auden(ウィスタン ヒュー オーデン) 1907年2月21日生まれ、父親は医師、アングロカトリック一家、1925年に、奨学金をもらってOxford大学のクライスト・チャーチに入って、英語を専攻したって言うんだから、パブリックスクールでラテン語も古典ギリシャ語もいやという程やってるはずだな。


さて、Chicaさんの引用したオーデンの詩なんだけど。

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みよ 見知らぬ人よ いまこの島で
躍る光に君の喜びを見いだしたまえ。
ここに動かず
もの言わず、立ちたまえ。
海の揺れるひびきが
耳の海峡を通りぬけて
川のごとくさすらっていくように。

(中略)

すべての光景が
きっと君の眼にうつり、
君の記憶の中を移りゆく時があるでしょう。

「みよ 見知らぬ人よ」W.H.オーデン 抜粋

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っていう詩だね。


島」「光」「立つ」「海」「海峡」「記憶」「見知らぬ」という言葉の連想から、更に、多島海、光豊かな孤島の斜面、懐古、呼びかけ、を思い起こし、そしたら、例の「ぎりしあ詞華集抄」” Anthologia Graeca” の


行く人よ、

ラケダイモンの國びとに

ゆき伝えてよ、


この里に

御身らが 言のまにまに

われら死にきと。

--「テルモピュライなるスパルタ人の墓銘に」シモーニデース


あるいはまた、


これはその昔、アイガイアの波の重いとどろきを棄てて、

エクバタネーの曠野のさなかにねむるわれら。

さらば、世に聞こえたかつての祖国エレトリア、さらばよ、エウボイアの

隣人なるアテーナイ、なつかしい海よ、さらば。

「ペルシアの奥地に虜われて住むエレトリア人を」プラトーン


を思い起こしても不思議じゃないでしょう?

こういうのは、一昔前の教育を受けた欧米の知識人達にとっては、日本人にとっての、万葉集みたいなものだから、彼らは常にそういう連想の中で創作活動をしているんじゃないかと思うのだ。私たちが、春になって、新緑が吹き出してくるのを目にしたら、「石走る垂水の上のさわらび萌え出づる春になりにけるかも」を思い浮かべたり、新幹線の窓から、珍しく富士山が見られたりした時、「 田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ富士の高嶺に 雪は降りける」とか教科書で習った歌を思い起こすのと同じだろう。

ちなみに、これらの引用は、呉茂一の訳詩集である「花冠」から。彼の著作には他に、岩波文庫から「ギリシア叙情詩選」があり、これも素晴らしい。これらを継ぐものとして、沓掛良彦の「ピエリアの薔薇」があり、これもなかなかのものだ。余裕があれば、一度、目を通しておくべきものだと思うよ。サッポーとかアルカイオス、シモーニデースやアナクレオンが生きた時代から2000年以上も後の、西洋文化とは縁もゆかりもない筈の極東の日本において、このような文学の香り高い訳詩選集が編まれたということで、日本人の文化に誇りを感じるよ。

こういう連想は、背景になる貯蓄量が大きい程豊かになるわけだから、少年少女時代になるべく沢山色々な名文を読んでいる人程、考えて作文したり、発言したりする場合はもちろん、何気ない一言であっても、ひょっとしたら、この人は何かふまえてるんじゃないか?と思わせる含蓄を持つだろうし、相手にも、その言葉の背景が共有されている場合は、お互いに響きあって、連想が連想を呼んで、ますます言葉のプリズムとなって、複雑な光を放って、豊かな表現力となって現れるだろう。

「ええっと」とか、「あの〜」とか、馬鹿みたいに、「ていうか〜」とか、「みたいな〜」とか、「だし〜」とか、「超うめ〜」とか、そんな無教養人間の口癖みたいな言葉しかしゃべれない人間にならないよう、諸君、気をつけてくれたまえ。

ラテン語などヨーロッパ古典語については、水野有庸という、ライネケ院長にとって青春のモニュメントみたいな人の思い出があるので、また機会を見て話そう。