2018年8月22日水曜日

「送り火」  <ライネケ>

今年のお盆は暑かった。
自動車の車外温度計を見ていると、真昼に30分ほど、日陰に駐車した後、車にかえって車外温度計を見たら、摂氏40度になっており、走りだしてから38度になった。特に、松山市内は暑かった。松前はそれほどではなかったけど。

そんな中、お墓に行って、お迎えをした。
その前日には、そのためにご飯を炊いたり、いろいろ支度しなければならないらしいのだ。お迎えしたご先祖さまたちの霊にさしあげるお膳を「ご料具(ごりょうぐ)」というらしい。



ライネケの母親である道子お祖母さんが自分の心覚えのために書いたお盆のための支度表。
これを彼女が私たち後継者のために、わざわざ作ったとは思えない。何年前に書いたのかも分からない。文字を見ると、まだしっかりしている。今の彼女の字は、ずいぶん弱々しくなった。

昔の人々が、みなが皆、几帳面で用意周到であったわけではなかろう。それにしても彼女の万事にわたる記録、整理ぶりに、正反対の性格のライネケは辟易して育った。どうして、彼女のそういう部分が自分に伝わらなかったのかと、何度、情けなく思ったことだろう。特に試験の前なんかにはね。



米の炊くべき量なども細かく記録してある。
松山市育ちの彼女は、松前町に嫁いできて、地元の風に従うよう、ライネケの祖母に当たる七重さんから、きっとうるさく教えられたのであろう。

彼女は、以来、毎年毎年、8月13日には、指定通りにご飯を炊き、然るべきおかずを作り、14日には、お膳をお供えして、 15日にはそれらを下げたのであろう。


これがお料具のお膳なんだが、他に、


素麺やら豆やら油揚げやら、いろいろ、長い麻柄(おがら)にぶら下げて、お祭りする。

そして、午後、お膳を下げるとともに、ぶら下げた物たちも取りおろして、お墓にお参りするわけだ。

お墓では、お花と称する「樒(しきみ)」の水を足し、墓石に水をかけ、篤お祖父さんの湯呑みの水をとり換えて差し上げ、お墓の足元で、オガラを焼き、線香に火をつけ、お墓さんの線香立てに立てる。
一門亡魂、成等正覚、頓証菩提、過去聖霊、一仏浄土へ、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・

「南無阿弥陀仏」を合計九回唱えるのだが、四回ずつ二度に分けて唱え、最後の一回はゆっくりと「南あ無う阿あ弥い陀仏つううう」という感じで唱えてお終い。これで、ご先祖さまたちの御霊は西方極楽浄土にお帰りあそばすはずだ。

これで終わりではない。最後の仕上げがある。
例の仏壇にオガラに吊るしていた素麺やら油揚げや、きざんだ茄子やらを持って、お墓の西の海辺に向かう。
お魚さんたち、
いらっしゃあい!
とやっているのではないよ。

西の海に、先ほどのものを流してやる。海が汚れるんじゃないか、とちょっと心配になるが。
見ていると、本当に、魚がやって来て、食べようとした。

沖に向かって、流れ去っていくのを見送る。魚たちがやって来て、食べてくれれば、これも供養ということか。このあたりはチヌと言って、クロダイがよく釣れるんだ。

昔は、町には船大工たちがいて、小さなひな形の小舟を作り、それに、こうした供物を載せ、西海に流したそうだ。舟は一艘ではなくて、同じお盆の行事なので、墓参りを済ませた村人たちが集まって、何艘もの舟を、波打ち際から押し出す。それぞれの舟には点火したロウソクを立ててあり、暮れなずむ西の海に、たくさんの小舟が、ロウソクの明かりを輝かせながら、一斉に岸辺から遠ざかって行くさまは、一種の幻想的な壮観で、一見の価値があったそうな。

道子お祖母さんが嫁いできた頃の松前の町の風習だったという話だ。
「送り火」という言葉にふさわしい光景だったことだろう。
残念ながら、ライネケは見たことがない。





2018年8月17日金曜日

お迎え前

真っ赤なホンダに乗って、Gamaくんが帰ってきた。
ほんの1週間前、アメリカに行って、イギリスでも残り少ないと言われるスピットファイアやモスキートを観てきたんだそうだ。
仕事と趣味が一致しているのだとしたら、幸せなことだな。

当地松前町には、一昔前までは、お盆の時期に、送り火という習慣があって、お墓参りして、ご先祖さまをお迎えし、供養して、お送りする、という習わしだったんだそうだ。

それには、お迎えに先立って、まずお墓に行って、掃除しなければならない。
というわけで、ネコパコさんやGamaくんと一緒に、浜のお墓に行った。
とにかく、恐ろしく暑かった。
35度くらいあるんじゃないか?


君も手を合わせて、何かお祈りをなさい。祈るべきことはあるはずだろう?


毎月一回倉敷から帰っていた頃は、そのたびに掃除していたから、綺麗だった。こうして、ずっと松前に住むようになると、かえって、お墓から足が遠のいた。
墓石も古いのはずいぶん風化が進んで、読めなくなってきているが、まだ嘉永だの文久だのというのが読める。黒船がやって来た頃だね。


お墓掃除が終わって、お迎えの準備ができた。
そうそうに暑い中を逃げ帰ってみると、ゴロフクは涼しいところを知っていて、窓辺の風が通うところに寝ている。
ネコは元来エジプト原産なので暑さには強いと言うが、本当かな。毛むくじゃらのゴロはさぞ暑いことだろう。


破壊の神の申し子であるGamaくんが帰ってったあと、ガレージの扉を閉める際、ライネケは手持ちのヘルメットの一番まともなやつを、コンクリートの上に、落っことして、パーツの一部を壊してしまった。
不思議なことに、Gamaくんが来ると、かならず何かが壊れる。破壊と創造が一つごとであるなら、それでいいか。

2018年8月2日木曜日

テレビデビュー

皆さん、ネット上で、いろいろ感想を書き込んでいるようだ。

録画のために出てきた彼女が、ちゃんと化粧をしていて、息子のおいらは、一寸びっくりした。それにしても、自分で引いたはずの黛が二重になってて、あわてて、ネコパコさんが、それを横から塗りなおしてやるのが放映されているのには笑ってしまった。

おっかさん、いいですか、頭上げてこっち向いてくださいな。



町じゅうが空襲の大火災に包まれて、燃え落ちて行くのを見た彼女が、「美しい」といったことについて、さまざまのコメントが出ている。

さっと見た中では、おいらとしては、
https://togetter.com/li/1252561?page=2
のページで見た、虚無@nyaccy というひとが 2018-08-01 23:25:46 に書き込んだ意見が、道子さんの気持ちに近いんじゃないかなと思った。

「クロ現で語られた、空襲で燃える街を美しいと感じた女性の話、「心を麻痺させている」とか言ってる人もいるけど、ぼくはそれこそが「素」の感覚だとおもうの。美の本質ってそういう、現実を超えた、沸き立つ、もはや説明できない感覚の事だと思う。きっとただ本当に、圧倒的に美しかったんだとおもう。」

 『「素」の感覚 』というのは言い得て妙だ。「素」とは、英語で言えばplain 、ドイツ語だとeinfachとでも言ったらいいのか。一方、なんとかいうタレントさんのコメントは、理屈の考えというか穿ち過ぎだと思った。


4月以来、道子さんの衰えが目立つようになって、この4ヶ月ほどは、憂鬱だった。この憂鬱はこれからますます濃くなることだろう。
それまで、彼女のことは彼女自身に任せて、自分の好きなようにやっていただいていたのだったが、そうも行かなくなってきた。

自然は巧妙に出来ていて、人間も自然の一部のはずなんだが、ひとは成り行きに任せておくわけにはいかないのだ。老木が弱って、やがて、倒れて朽ちていくようには行かない。なんとか飲み食いさせて、身ぎれいに保ってあげて、気持ちがいいように過ごしてもらいたい。

ロナのように、ふとある朝、気づいたときにはいなくなって、この世から退場したらしいと気づく、なんていうわけにはいかないのが人間なのだ。

ここんところ、なにやかにやと彼女を引っ張り出し、彼女もそれなりに頑張ったようだけど、消える前のろうそくみたいになるんじゃないかな、と心配だった。

彼女は、自分に回ってきた舞台に、みずから進んで立ったのだろうか、本当は、迷惑だったのだろうか。それとも、働いてくれる周りの人々の一生懸命に応えるべく、ある程度無理して、役柄を演じてくれたのだろうか。

録画中、彼女を横で見守っていた私には、彼女は、それなりに楽しんでくれているように見えた。今回の一連の事件は、彼女にとって、いいことだったのだろう。

最近、3日前から、調子が悪くて、とうとう来たか!?と思った。明日の放映はみられるのかなあ?なんて気をもんだけど、昨日の夕には大分元気になって、自室の食卓の前で居眠りしている彼女を起こして、3人で、彼女の居間のテレビに見入った。

それにしても、軍用犬として出征して行った犬のアドヴィンくんの話は泣けたね。写真じゃなくて絵だったので、ひとしお、心にこたえたな。
ねこなべにして食っちゃうぞ、という話も、その手紙を付けた人は、悪気があったわけではなくて、きっと猫好きで、自分とこにあそびに来たねこを撫でたり餌をやったりした挙句、ちょっと冗談めかした手紙を付けて返してやったんじゃないかな、と思いたい。

今回の仕掛け人であったChicaさんも、えらく、強そうな女性みたいな感じで映ってたね。ホースからほとばしる水が印象的だったよ。

皆の衆、元気でな。