2010年10月16日土曜日

耳順 <ライネケ院長>

今日、六十歳になった。

六十歳のことを「耳順」と言うんだそうだ。論語の為政第二の言葉に、

子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩
(子曰はく、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順がふ。七十にして心の欲するところに従ひて、矩を踰えず。)

とあるのによる。「耳したがう」は、「耳ならう」とも読む。

「耳したがう」というのは、解釈が難しいが、吉川幸次郎さんは、自分と違う意見を耳にしても、反発を感じず、それらの説にも、それぞれ存在理由があることを感得するようになった、と解釈しておられる。さらにいいかえれば、人間の生活の多様性を認識し、むやみに反発しないだけの、心の余裕を得た、ということだと。

聞き分けのよい好々爺になれ、ということではないだろう。何事にも聞く耳持たない老人にならないようにしたいものだが。

自分の人生の節目として、年齢を意識したのは、20歳の時と、今回の60歳の時だ。その他は、そこらの犬や猫にだって、みみずにだって、年齢はあるんだから、どうでもいい、と言って、自分の年も他人の年も気にしたことはなかった。子ども達の誕生日すら、うろ覚えだ。まして誕生日祝いとか、煩わしいだけだと思って来た。するのもされるのもね。

40年前の夏、半年間、山口の大学で過ごして、大いに迷った末、一大決心して、東京に出て来た。東京の予備校通いをして、翌年の春の受験に備える筈だったものの、半年遅れの勉強に身が入らず、自分を持て余した。受験ごとき下らないものに必死になるのは不細工だと言わんばかりの文学青年を気取っていたが、心の中は、これではだめだ、という焦燥感で一杯だった。愛媛にはずっと帰っていなかった。要するにすねていたのさ。

10月になり、秋風が吹き始めた。青空の下、本郷や神田、お茶の水の学生街を歩き、舗装路を落ち葉が舞い始める頃、自分で二十歳の誕生日を祝うことにした。神田の街に出かけて、万年筆屋に行き、シェーファーの万年筆を買った。やるべきことははっきりしているのに、無心になってうち込めない、自分の心が自分の思い通りにならない、こんな情けない状態で、20歳を迎えるのだ、と思うと切なかった。夜と昼が逆転して、不眠症めいた状態が続いた。鬱状態だったのだと思う。

今でも、この季節になって、秋風が青空をわたり、梢の葉が震え、白い雲が過ぎ去るのを見ると、心がうずく。

やはり、翌年の受験はだめだった。当然だと思った。だって、勉強しなかったんだもの。さらにその翌年は、なりふりかまわず勉強して、かろうじて合格した。もしあのままどうにもならなかったら、どうなったのだろう。3年ほどは、また浪人するという夢を見た。メジャークラスの頭脳じゃなくて、精々マイナーのトップクラス程度だったからね。無理して背伸びしたものさ。

あれ以来、ずっと、人生の節目として、特別に年齢を意識したことはなかった。あのとき、そのとき、自分が何歳だったか、まるで覚えていない。

そして、60歳になった。なるほど、と思った。倉敷にいた40代の頃、ある弓引き仲間が60歳になって、皆で、赤いちゃんちゃんこかなんか着せられたかどうか聞いて、からかった。彼も同じ心境だったことだろう。

目が悪くなり、物忘れが多くなり、いつも何かを探すようになる。この調子だと、そのうち自分自身をも忘れることだろう。そして、何より、自分の子ども達が巣立っていく。自分の「祭り」は終わり近いんだと実感する。

古い葉っぱが黄ばみ落ちて、新しい若葉が出てくるように、自分も、やがて、枝から離れて、どこか暗い深みに向かって落ちていく。覚悟も何もあったものではない。そういうものだと思えるようになるだろうか。

ライネケにとって、「耳順(したが)う」という言葉の意味は、自然の声に耳を澄まし、それに素直に従えるようになりたい、ということかもしれない。

まだ、多少、準備不足のようだが。

ありがたいことに、60年間、幸せに、豊かに、苦労なく生きて来れた。これからはどうなるか分からない。とにかく、ライネケを生み育ててくれた伊予じいちゃんと伊予ばあちゃん、不思議な縁に導かれて出会い、家を守り、子どもを四人も産み育ててくれた上、ライネケの気ままに辛抱強く付き合ってくれたネコパコ、そして、素直に大きくなってくれた子ども達に感謝したい。
電報をありがとう。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

えび・えび・たい・たい
めで・たい・たい。
(意味は特に無い)

おめでたい。 長女
いわいたい。 長男
よろこびたい。二男
おどろきたい。三男
なんかいいもんくいたい。猫

こげな感じで御座います。
chica

匿名 さんのコメント...

父も、ロナも、元気そうで何よりです。
還暦、おめでとうございます。

電報というのは、あなくろ人間の巣窟たる
宮内家に、はまっていますね。
ま、気利かない=がまがえる は、よくできたおねいさんとおにいさんにお任せいたしておりました次第ですが…

これからも世間からは独立不羈でいきませしょう。

なまねこなまねこ がま

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
我が家がアナクロの巣窟だって?
アナログなら分かるけどな。
あえて世間と隔絶しておる必要もないわけで、世とともに推移するのがライネケのあり方だ。
うん?あまり連動していない?世間とずれてるって?我ながら巧妙に世間に合わせてるつもりだよ。韓流ドラマだって見てるよ。安心してなさい。

匿名 さんのコメント...

うそだああああー~ 

前時代 がま