冷たい雨の中、あなたの淋しい背中を見たの。
2010年10月31日日曜日
2010年10月28日木曜日
Winter breath
針のような雨が降っている。
最高気温は8℃
吐息は白い
秋は、夏は、どこへ行ったげな!
冬眠である。
geko
牡蠣に目が眩んだお二方は風邪などひきませぬよう、
十分厚着で、なまねこなまねこ。
2010年10月23日土曜日
徒然雑草 chica
人体の不思議。
最近、左の鼻の穴の入口上部分が
勝手に、ぴくぴくする。
なんで?
筋肉とかあるのかね?
ってか、動いて欲しいとはちっとも思って無いんですけど。
勝手気ままにひくひくする。
そういえば、
右のまぶたも時々、勝手にひくひくする。
絶賛まばたき実施中な感じで、突然何の脈絡もなく
ひくひくする。
なんで????
私、疲れてるのかな?
動かなきゃって気持ちが、空回りして
思いも寄らぬ処へいってるのかな?
とりあえず、どっかひくひくさせとけ!って感じなんかな?
まあ、そんなことも、生きとりゃあるわいな。と
因島の山のてっぺんの神様も言うておらるる。
そりゃ、石になったら動かんわね。
まだ、石にはなりたくないな。
貝になりたい時はあるけど。
じゃあ、みんな、達者でな。
chica
最近、左の鼻の穴の入口上部分が
勝手に、ぴくぴくする。
なんで?
筋肉とかあるのかね?
ってか、動いて欲しいとはちっとも思って無いんですけど。
勝手気ままにひくひくする。
そういえば、
右のまぶたも時々、勝手にひくひくする。
絶賛まばたき実施中な感じで、突然何の脈絡もなく
ひくひくする。
なんで????
私、疲れてるのかな?
動かなきゃって気持ちが、空回りして
思いも寄らぬ処へいってるのかな?
とりあえず、どっかひくひくさせとけ!って感じなんかな?
まあ、そんなことも、生きとりゃあるわいな。と
因島の山のてっぺんの神様も言うておらるる。
そりゃ、石になったら動かんわね。
まだ、石にはなりたくないな。
貝になりたい時はあるけど。
じゃあ、みんな、達者でな。
chica
2010年10月16日土曜日
耳順 <ライネケ院長>
今日、六十歳になった。
六十歳のことを「耳順」と言うんだそうだ。論語の為政第二の言葉に、
子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩
(子曰はく、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順がふ。七十にして心の欲するところに従ひて、矩を踰えず。)
とあるのによる。「耳したがう」は、「耳ならう」とも読む。
「耳したがう」というのは、解釈が難しいが、吉川幸次郎さんは、自分と違う意見を耳にしても、反発を感じず、それらの説にも、それぞれ存在理由があることを感得するようになった、と解釈しておられる。さらにいいかえれば、人間の生活の多様性を認識し、むやみに反発しないだけの、心の余裕を得た、ということだと。
聞き分けのよい好々爺になれ、ということではないだろう。何事にも聞く耳持たない老人にならないようにしたいものだが。
自分の人生の節目として、年齢を意識したのは、20歳の時と、今回の60歳の時だ。その他は、そこらの犬や猫にだって、みみずにだって、年齢はあるんだから、どうでもいい、と言って、自分の年も他人の年も気にしたことはなかった。子ども達の誕生日すら、うろ覚えだ。まして誕生日祝いとか、煩わしいだけだと思って来た。するのもされるのもね。
40年前の夏、半年間、山口の大学で過ごして、大いに迷った末、一大決心して、東京に出て来た。東京の予備校通いをして、翌年の春の受験に備える筈だったものの、半年遅れの勉強に身が入らず、自分を持て余した。受験ごとき下らないものに必死になるのは不細工だと言わんばかりの文学青年を気取っていたが、心の中は、これではだめだ、という焦燥感で一杯だった。愛媛にはずっと帰っていなかった。要するにすねていたのさ。
10月になり、秋風が吹き始めた。青空の下、本郷や神田、お茶の水の学生街を歩き、舗装路を落ち葉が舞い始める頃、自分で二十歳の誕生日を祝うことにした。神田の街に出かけて、万年筆屋に行き、シェーファーの万年筆を買った。やるべきことははっきりしているのに、無心になってうち込めない、自分の心が自分の思い通りにならない、こんな情けない状態で、20歳を迎えるのだ、と思うと切なかった。夜と昼が逆転して、不眠症めいた状態が続いた。鬱状態だったのだと思う。
今でも、この季節になって、秋風が青空をわたり、梢の葉が震え、白い雲が過ぎ去るのを見ると、心がうずく。
やはり、翌年の受験はだめだった。当然だと思った。だって、勉強しなかったんだもの。さらにその翌年は、なりふりかまわず勉強して、かろうじて合格した。もしあのままどうにもならなかったら、どうなったのだろう。3年ほどは、また浪人するという夢を見た。メジャークラスの頭脳じゃなくて、精々マイナーのトップクラス程度だったからね。無理して背伸びしたものさ。
あれ以来、ずっと、人生の節目として、特別に年齢を意識したことはなかった。あのとき、そのとき、自分が何歳だったか、まるで覚えていない。
そして、60歳になった。なるほど、と思った。倉敷にいた40代の頃、ある弓引き仲間が60歳になって、皆で、赤いちゃんちゃんこかなんか着せられたかどうか聞いて、からかった。彼も同じ心境だったことだろう。
目が悪くなり、物忘れが多くなり、いつも何かを探すようになる。この調子だと、そのうち自分自身をも忘れることだろう。そして、何より、自分の子ども達が巣立っていく。自分の「祭り」は終わり近いんだと実感する。
古い葉っぱが黄ばみ落ちて、新しい若葉が出てくるように、自分も、やがて、枝から離れて、どこか暗い深みに向かって落ちていく。覚悟も何もあったものではない。そういうものだと思えるようになるだろうか。
ライネケにとって、「耳順(したが)う」という言葉の意味は、自然の声に耳を澄まし、それに素直に従えるようになりたい、ということかもしれない。
まだ、多少、準備不足のようだが。
ありがたいことに、60年間、幸せに、豊かに、苦労なく生きて来れた。これからはどうなるか分からない。とにかく、ライネケを生み育ててくれた伊予じいちゃんと伊予ばあちゃん、不思議な縁に導かれて出会い、家を守り、子どもを四人も産み育ててくれた上、ライネケの気ままに辛抱強く付き合ってくれたネコパコ、そして、素直に大きくなってくれた子ども達に感謝したい。
電報をありがとう。
2010年10月14日木曜日
カニネコと秋の味覚
秋といえば、松茸なのだが、ますます国産松茸は減少していて、東京でも国内産の松茸は見かけなかった。この松茸は国内産だ。立派でしょう?!
20年も前、病院に勤めていた頃、ごついおじさんが外来にやって来て、ずっと前から赤ら顔とかゆさに悩まされて、つらいと言って涙を流して泣くんだ。で、意外に簡単に良くなって、ひどく喜んでくれた。ライネケは、思いのほかに、手こずらなくて、早くよくなってくれて、やれやれ有り難い、くらいに思っておった。そしたら、20年経っても、そして、岡山から愛媛に引っ越してきた今でも、秋になると、そのおじさんから、こういうものが届くのさ。
私は大したことをしたわけじゃないし、お気持ちは有り難いし、もうたくさんですから、おやめください、と何度も言ったんだけどね。いい匂いだよ。
さて、この妙なのは、何かな?
ネコパコは甲殻類が好きで、エビカニ類を市場で見かけると、にゃあにゃあ、うるさい。ライネケは、甲殻類を見ると気持ちが悪くなってしまう。腹側から見ると、クモを連想してしまうのさ。一昨年、八幡浜に行った時、港近くの魚屋で、妙なエビみたいな生き物がトロ箱に一杯入っているのを見かけた。「うちわえび」というんだって。魚屋さんは美味しいよと言ったけど、ちょっとグロテスクで買う気にはならなかった。ライネケに邪魔されなかったら、買ったのに、とよく叱られたものさ。
昔は、辺りの浜で、捨てるほど、とれたそうだ。浜に立ち入ると足に触るほどね。気持ちが悪い話だな。
今日、ネコパコが、エミフルのそばの松前人村に買い物に出かけたと思ったら、これを買って来た。長年の思いが叶ってよかったね。「セミエビ」と言われたそうだ。
一番簡単な調理法で、塩ゆでにしてみた。真ん中で切ってみると、
うちわの柄にあたる部分だけじゃなくて、甲羅部分にも身がつまっている。触っても、かにやエビみたいにあまり臭くない。
薄っぺらく見える姿にしては、ほら、真っ白い肉が、意外にたくさん、しかも、容易に殻から外れてくる。
きれいに外れた身が美しい。
今日は、三杯酢で食べてみよう。しんせんだったためか、指でつまんでも、ほとんど無臭。しっかりした噛みごたえがあり、ボリューム感がある。文句なく美味しい。久しぶりのヒットだな。
子どもの手のひらより少し大きい程度で、一匹150円。伊勢エビより圧倒的に安くて、味はひょっとして上かもしれない。車エビ、大正エビ、あるいはブラックタイガーにくらべれば、明らかに美味しい。シャコより身が多くて、食べでがあって、食べやすい。
楽しみが増えたな。
2010年10月11日月曜日
旗を振れ 通過せよ1
旗を振れ 通過せよ2
2010年10月8日金曜日
秋だな <ライネケ院長>
2010年10月4日月曜日
電車の中で
2010年10月2日土曜日
Chicaの置き土産 <ライネケ院長>
Chicaさんが夏休みに帰って来て、キツネコ邸に逗留していた間に、何やら暇つぶしに、マジックで、箱に落書きをしているなと思ったら、こんな箱を置き土産にして行った。
訊けば、美食の絵なんだそうだ。なるほど、妙な人物が、スプーンとフォークを持っている。
箱の4面をつなぎ合わせると、
妙な絵なんだが、彼女は何を表現したかったのか?
右半分上は箱の底にあたるのだが、「光あれ」と書いてある。どうして,光あれなの?と聞くと、この部分は底にあたるので、ずっと光が当たらないから、なんだそうだ。
なるほどね。
そして、その反対側の上面は、というと、
これは箱の上面で、中央で二つに分かれて開く蓋になっている。
これを開くと、中蓋が左右にある。
これはウサギなのかね。何なのかね?
ウサギだとすると、意地悪そうなウサギだね。
そして、これが箱の側面だが、妙な連中が宴会をしている。
その後ろでは何やら、灯台みたいに光を出す奴が立っている。
いずれにせよ、妙な連想だな。
Chikaはいったい何をイメージし、何を表現したかったのか。面白いことは面白いけど。今、箱は我が家のキッチン台の文書入れになっている。
2010年10月1日金曜日
放蕩の末に
昼間から,ジェット飛行機が飛び回っている.
小高い丘の上に住むがま氏の,こ汚いアパートのベランダから
眺めていると,右手から鉄塔の左側の仙台市上空に向かって侵入し,
鉄塔を横切った瞬間からスモークを点火する.
そして,3機編隊で曲技飛行をしたあと,正午きっかりに演技
を終えて松島基地に帰っていった.
見ていて飽きないものである.
その夕方,真面目に研究をするふりをするのに飽きたがま氏が
研究室の窓から眺めていると,仙台の空は空襲のようになっていた.
「仙台は燃えているぞ.焼けしむ前に逃げねば.」
彼は逃げ出す言い訳を考える天才なのだ.
それでも机に齧りつくふりを続けて,深夜3時,やっと帰途に
ついたがま氏を,お家の前で出迎えたのは,子がまであった.
せいぜい親指ほどの彼は,いい加減いろいろ煮詰まったがま氏と
比べてなんとも無邪気である.
「「おとしまえ」をつけるって,どういういみ?!
おしえておにいちゃん!」
こいつが握りこぶし程のサイズにまで育つのは何年後であろうか.
gama
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