2009年1月20日火曜日

当家の職人たち <ライネケ院長>

キツネコ家流の仕事納めと仕事始め
当家職人連の総出動


医院裏の自宅のウッドデッキと裏口エントランスのスロープ、それに裏駐車場と一階を隔てる板塀が、さすがに3年間経つと、日光暴露と雨露にあたって、随分傷み始めた。何とか、これ以上の損傷を防がないとまずい。というわけで、年末に「飛鷹プランニング」のヒーさんに、適当な塗料を注文した。自然派の彼が選んで取り寄せてくれたのが、これ。

Kreidezeitだって。う〜ん、白亜紀? なんで、白亜紀なん? 白亜の白壁みたいに丈夫で美しい、っていう意味なのかなあ?

何か書いてある。ドイツ語だよ。辞書を引いて・・・。
Holzlasur für außen 外壁用木材用塗料っていうんだろうね。植物油とワックスでできた自然塗料だそうだ。

まあ、なんでもいいや。おおい、職人ども。出て来い。うちで、ただ飯食って、寝てばかりいられると思うなよ。まずは屋上のわけあり空間の板廊下を塗ってもらおうじゃないか。

職人その1(Shige)
ちゃんと、下の白い所に、黒い塗料が垂れて汚れないように、新聞紙を敷いてやってるなんざ、なかなか気が利くじゃないか。


職人その2(Haruno)
下を見下ろすと、外の板塀を塗ってくれている。ありがたいね。その内側のウッドデッキも、米松のスロープも塗らなきゃならない。大変だよ。

幸い、年末仕事納めのあと、晴れたからよかったね。雨が降らないうちに出来るだけ沢山塗らなければ。
全部、当家外の職人にやってもらったら、一体、日当手間賃がいくら掛かることやら。


職人その3(Reineke)

わが輩ライネケ院長みずから、刷毛をとる。ちゃんとマスキングもして塗るんだ。これが面倒くさい。途中、年末にやって来た大工のMさんが言うには、塗装に先立つ養生の方が大変だって。本当だな。

結局、屋上の渡り廊下と裏駐車場の板塀の大部分を塗った時点で、なんと塗料がなくなっちゃった。年内作業はここまで。職人その1、その2、ご苦労様。

今夜は、松山市湊町の「カツレツ亭」で、ロースカツを食べよう。そのあと、道後の椿湯で、汗を流してくれ。

十年の 汗を 道後の湯に洗へ 
子規
(椿湯の男湯の湯口の石に彫ってある)


年明けて、新年4日。新しい塗料が届いた。
気持も新たに、仕事再開。
職人その4(Soranin)と職人その3(Shige)
ああ、顔にペンキが落ちて来た。うえ〜。
オイラだけ、年末も年始もペンキ塗りばっかり。

仕上げに掛かる職人その4(Soranin)
今晩は、カツレツ亭でトンカツだ。
道後で温泉だ。何でもいいからやっつけてしまえ。
という図。

それにしても、最近急に大きくなって来たShigeと兄貴のSoraninが見分けがつかなくなって来て・・・。時は流れたんだね。赤シャツ氏のいう通り、感無量だよ。Shigeの中身も成長していて欲しいもんだ。

とまあ、ぼんやり餅でも食って、テレビで馬鹿番組でも見ながら、楽しく愉快にのんびり過ごすはずの年末年始の休み期間が、当家職人総出演のペンキ塗りになってしまったわけだ。

もし、この作業を外部の専門家に頼んだら、いくら掛かったかな? 日当1万7、8千円という所か。まる2日間、延べ5人の作業だったから・・・。それを、トンカツと椿湯ですませたから・・・。(計算結果は公表せず。)

よかったと思うのは、雨の日、滑りやすかった板スロープが、滑りにくくなったことで、おばあさんも安心だ。いや、一番転倒の可能性が高いのは、このところ、どじっぽさがいや増したライネケ院長自身かもしれん。

当家の3人(オイラを含めれば4人)の職人たち、ありがとう。ご苦労様。

2009年1月8日木曜日

ライネケ院長より、新年のご挨拶を申し上げる。

明けまして、おめでとうござる。

ささきようこ作
牛に乗った大黒さんと恵比寿さん

牛の名前はね、うちで勝手に、黒頭巾と牛頭王丸ということになった。五木寛之の小説「親鸞」を参考に。どちらが黒頭巾(くろずきん)でどちらが牛頭王丸(ごずおうまる)か、正直言ってよう分からん。とにかく、今年は丑年ということで、今年一年は、彼らが我が家を守ってくれるはずだ。

さて、昨年暮れ、うちの四男坊ロナを紹介したが、東京在住のシナリオライター「赤シャツ氏」が、当家の4人の子ども達を見守ってくれて来たんだが、末っ子のShigeの成長ぶりに、「つい、ウルウル(まま)」して、ロナも含めて、彼らが五人男に見えたんだそうで、暇にまかせて、白波五人男にならって、渡りゼリフを作ってくれた。

.    ・ . +  : ゜.  ‥   ゜. .‥   ゜. .  .  ・.    ・ . +    ゜.     ・ . +  : 


「稲瀬川勢ぞろい」


さてその次は倉敷の 美観地区の拾われ猫

頑固親父を物ともしねぇ 受の兄貴が大枚たたき

連れて行かれた 動物病院

たとえ目方ぁ百と二十でも たたいた金は四千二百(消費税?)


両眼も開かねぇ時分から 暖ったけぇ世話ですくすく育ち

襖たたみに爪あと残ぉし

今じゃあなんと 六千五百の大兵満

極楽至極の四国杉 床にゃあ感謝の 大彫物



伊予松山は松前町

天下に知らぬ人も無き

宮内ひふ科の五男坊

大勢様の寵愛を受け

請願・祈願の大黒柱

ロナウド・クルックシャンス・・・

ええい 忘れた

とは 俺のことだぁ

.    ・ . +  : ゜.  ‥   ゜. .‥   ゜. .  .  ・.    ・ . +    ゜.     ・ . +  : 

さらに、これに続きがあって、


ふざけ過ぎたぁ思ったが

花道で

「志ら浪」傘の 渡りぜりふ


儲け役に 猫を入れ

それも 正月

まぁいいかと


ト、下座入りて・・・


書きだしてみたら もう五時で

急ぎいそいだ 稲瀬川

勢揃いの場の 一くさり

決して 上手たぁ言ぇねえが

昔の受兄ぃ 思い出し

感極まっての手慰み


祈願・請願を 眼の色にしぃ

五男坊に 仕立て上げたるこの悪事

名も立川は二百もご存知

医療崩壊良い事に あんまり 「おうち」に帰らねぇ ぷふぁ


ト、ここで大向こうより掛け声入ること宜しくありて


ァッそれでも そいつが

こっ こっ 困ったことに ブルブルブル

苦にならねぇ

国立 赤丸ぅぅぅぅ

.    ・ . +  : ゜.  ‥   ゜. .‥   ゜. .  .  ・.    ・ . +    ゜.     ・ . +  : 


ッていうんだが、いや、年も早から、縁起がいいわい。


今年はどんな運命が待っているんだろう。ロナの尾っぽの方向次第だな。


今年もどうぞよろしく。


2008年12月11日木曜日

おそくなったけど、誕生日おめでとう-3 <ライネケ院長>

この記事は、本当は9月中に公開する予定だったんだが、ついつい延び延びになってしまった。今頃公開するんだけど、諸君、ともに祝ってやって下さい。


どうだい。お育ちの良さそうな、坊ちゃんぶりじゃないか?
なんたって、キツネコ家の末っ子、四男坊だからね。四郎だから、白いんだ。
草花の下をうろつくのが好きなロナ君。
いろいろ厄介なこともあるが、喜びももたらしてくれる我が家の美男子。

キツネコ家では、9月は誕生日ラッシュなんだよ。
ええ? ChicaさんとSoraちゃん、2人で終わりじゃないの?って?
違う。Ronaさんがいる。
そういうわけで、
9月23日秋分の日、Ronaさん、誕生日おめでとう。

君も御年6歳になっちゃったんだ。人間でいえば、もう立派な中年だよ。

9月下旬のある日、Shige君が死にかけの仔猫を拾って帰って来た、とネコパコ母さんが言う。うちで飼いたいんだけどって。
「駄目だよ。そもそも、借家では犬猫は飼っちゃいけないんだ。今までも何回か、同じことがあったけど、全部、却下した来たじゃないか。情が移らないうちに、さっさと捨てて来なさいよ。」
「でも、生まれて数日目で、目も見えないし、夜は寒くなって来てるし、このままじゃ、すぐ死んじゃうか、野犬にでも食われてしまうわよ。」
「駄目、駄目。心を鬼にしなくっちゃ。俺は知らんからな。」
「でも・・・・。」
「結局は捨てることになるんだ。ミイニャの時のこと考えてみろよ。早くしなきゃ。」
「でも・・・・。」
「はああっ。そんなことを言って、俺は知らんぞ。どんな猫か知らんが、とにかく俺は見んからな。知らんからな。知らん、知らん。」
どどどって、逃げ去ったんだが・・・。
「みいにゃ」っていうのは、滋賀時代の話だ。滋賀医大にいた頃、官舎でしばらく居候した猫の話だ。この話はまたの機会にしよう。

Shigeが描いたうちに来たばかりの子猫の絵。
体重240g、足の爪を隠す事を知らない、と書いてある。
Shigeは彼の命の恩人ということになるね。

結局の所、ライネケはしようがなく、その猫を見てしまった。白い毛糸の球みたいなものを見ちゃったんだ。うーん。しようがないな。とにかく、大家さんに頼んでみるしかないな。第一、動物病院の医者は、余りに小さくて、目が見えないだけじゃなくて、ミルクも飲んでくれるかどうか分からないから、うまく育つかどうかもあやしい、と言った。可哀想だけど、死んでしまえば、それまでの話だな、と瞬間的に思った。本当にはかない生命だったんだ。

というわけで、片手のひらに乗るくらいの子猫はうちにやって来た。

買って来た粉ミルクを綿球で含ませたり、便秘の子猫のお尻をマッサージしたり、久しぶりの野生母ネコの本能を発揮したネコパコの奮闘によって、意外にも、子猫は順調に育った。


来た当時は、おチンチンがないように見えたので、雌だと思っていた。ところが、動物病院の医者は、ちょっとあの辺りを探ってみて、これは雄ですね。と言うんだ。えええ〜っ。雄だって。
Shigeの絵にあるように、生まれて間もなくは、頭のてっぺんが少しだけ黒かった。当時のサッカー選手のロナウドの頭みたいだっていうので、Chicaさんがロナウドと名付けた。略してロナが我が家の一員となった。

ロナは、目の色が左右ちがっていて、右が黄色、左が青色。こういうのをオッヅアイ、と言うんだそうだ。同じだったら、イーブンアイだな。で、白猫でオッヅアイだと、どちらかの耳が難聴になるんだそうだ。へえ、そりゃ可哀想だな。と思ったら、医者が言うには、でもこのネコは、ほんのちょっぴりだけど、頭のてっぺんに黒色が残っているから、大丈夫かもしれない、って言ったんだって。
どうやら、ロナは、難聴にならず、ちゃんと聞こえているらしい。自分の都合の悪い時は、まるで振り向きもしないが。4ヶ月過ぎに断種した。お前の子孫ができたらいいのに、できないんだな。可哀想に。


リフォームして、きれいな四国杉の厚板を張った我が家の床の傷跡。最初は何だろう?と思った。やがて、ロナの爪痕だと分かった。ネコの爪研ぎ仕上げというんだそうだ。ネコは皆、爪研ぎの癖がある。3年前、倉敷の借家を引っ越す時、ロナのために、畳と襖の張り替えに大金が掛かった。今や、我が家の床は、ロナの爪痕だらけだ。

彼の被害に会った、ふすまと畳。

彼の爪を切ってしまえば、この憂いはなくなるだろう。しかし、彼が何かの時に塀に駆け上がれなかったり、宿敵と戦わなければならない時、この爪がなかったら、と思うと・・・。
いつの日か、ロナがいなくなった時、この床の爪あとを見て、私たちはロナのことを思い出すだろう。そして、涙を流すだろう。

人生は、ほんの一瞬の出会いだ。君がいつまでもその辺りにいてくれるといいのに。

我が家の貴公子、ロナ君。6歳の誕生日おめでとう。

2008年12月2日火曜日

ライネケの妙なこだわり

ライネケ院長は、時々、妙に言葉についてこだわる癖があってね。
Wystan Hugh Auden(ウィスタン ヒュー オーデン) 1907年2月21日生まれ、父親は医師、アングロカトリック一家、1925年に、奨学金をもらってOxford大学のクライスト・チャーチに入って、英語を専攻したって言うんだから、パブリックスクールでラテン語も古典ギリシャ語もいやという程やってるはずだな。


さて、Chicaさんの引用したオーデンの詩なんだけど。

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みよ 見知らぬ人よ いまこの島で
躍る光に君の喜びを見いだしたまえ。
ここに動かず
もの言わず、立ちたまえ。
海の揺れるひびきが
耳の海峡を通りぬけて
川のごとくさすらっていくように。

(中略)

すべての光景が
きっと君の眼にうつり、
君の記憶の中を移りゆく時があるでしょう。

「みよ 見知らぬ人よ」W.H.オーデン 抜粋

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っていう詩だね。


「島」「光」「立つ」「海」「海峡」「記憶」「見知らぬ」という言葉の連想から、更に、多島海、光豊かな孤島の斜面、懐古、呼びかけ、を思い起こし、そしたら、例の「ぎりしあ詞華集抄」” Anthologia Graeca” の


行く人よ、

ラケダイモンの國びとに

ゆき伝えてよ、


この里に

御身らが 言のまにまに

われら死にきと。

--「テルモピュライなるスパルタ人の墓銘に」シモーニデース


あるいはまた、


これはその昔、アイガイアの波の重いとどろきを棄てて、

エクバタネーの曠野のさなかにねむるわれら。

さらば、世に聞こえたかつての祖国エレトリア、さらばよ、エウボイアの

隣人なるアテーナイ、なつかしい海よ、さらば。

「ペルシアの奥地に虜われて住むエレトリア人を」プラトーン


を思い起こしても不思議じゃないでしょう?

こういうのは、一昔前の教育を受けた欧米の知識人達にとっては、日本人にとっての、万葉集みたいなものだから、彼らは常にそういう連想の中で創作活動をしているんじゃないかと思うのだ。私たちが、春になって、新緑が吹き出してくるのを目にしたら、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」を思い浮かべたり、新幹線の窓から、珍しく富士山が見られたりした時、「 田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ富士の高嶺に 雪は降りける」とか教科書で習った歌を思い起こすのと同じだろう。

ちなみに、これらの引用は、呉茂一の訳詩集である「花冠」から。彼の著作には他に、岩波文庫から「ギリシア叙情詩選」があり、これも素晴らしい。これらを継ぐものとして、沓掛良彦の「ピエリアの薔薇」があり、これもなかなかのものだ。余裕があれば、一度、目を通しておくべきものだと思うよ。サッポーとかアルカイオス、シモーニデースやアナクレオンが生きた時代から2000年以上も後の、西洋文化とは縁もゆかりもない筈の極東の日本において、このような文学の香り高い訳詩選集が編まれたということで、日本人の文化に誇りを感じるよ。

こういう連想は、背景になる貯蓄量が大きい程豊かになるわけだから、少年少女時代になるべく沢山色々な名文を読んでいる人程、考えて作文したり、発言したりする場合はもちろん、何気ない一言であっても、ひょっとしたら、この人は何かふまえてるんじゃないか?と思わせる含蓄を持つだろうし、相手にも、その言葉の背景が共有されている場合は、お互いに響きあって、連想が連想を呼んで、ますます言葉のプリズムとなって、複雑な光を放って、豊かな表現力となって現れるだろう。

「ええっと」とか、「あの〜」とか、馬鹿みたいに、「ていうか〜」とか、「みたいな〜」とか、「だし〜」とか、「超うめ〜」とか、そんな無教養人間の口癖みたいな言葉しかしゃべれない人間にならないよう、諸君、気をつけてくれたまえ。

ラテン語などヨーロッパ古典語については、水野有庸という、ライネケ院長にとって青春のモニュメントみたいな人の思い出があるので、また機会を見て話そう。

2008年11月28日金曜日

ライネケの冒険-3 <ライネケ院長> 

11月末のある日、ネコパコ事務長は、今日は不在。

朝の外来が終わり近く、時々雲が通って行くけど、いい風が吹いているみたいだ。
外来の合間を縫って、ガレージに吊っていた舟を車の上に下ろし、舟の傍らにセールとマストを固定する。こういうことになると、おいらは極めて素早いんだよ。

午前中外来が終了するや否や、ネコパコが用意してくれてた昼食を素早く済まし、Harunoの貸してくれてたウェットスーツを着込む。日頃は苦労するのに、するするっと着られてしまう。

ウェットスーツの上にウィンドブレーカーを引っ掛け、首から、携帯電話と免許証を入れた袋をぶら下げて、車に飛び乗り、浜に向かう。おおおっ。吹いてる、吹いてる。何かの旗がちぎれそうにはためいている。海風だ。

浜に着いた。
はるか沖合の島影に貨物船が行く。
海風が吹きすさんで、うねりが強い。波頭が風にちぎられて白い。

遠くの波が寄せて来ると、だんだん大きくなって、

波打ち際に来ると、怒濤とはいわないが、かなり怖い。
この距離でもしぶきがこちらに飛んで来る。沖行く船がいつまで経ってもあそこに居るのは何故なんだ。風が強くて動けない? まさか。

去年の暮れ、やっぱりかなり寄せ波が強くて、船を波打ち際から、押し出そうとしても、押し返され、打ち返されて、どうしても出せない。そのうち船は、潮が一杯になって、水瓶みたいになり、その下敷きにはなるは、水を出すためにひっくり返そうとしてもままならない程重くなって、本当にどうしようもなくなってあきらめた。もし、これで、うまく離岸出来ても、この高波で沈しちゃったら、危ないかも。

で、結局、情けないけど、今回もあきらめて帰ることにした。振り返ると、東洋レーヨンの煙突の煙が真横に吹き流されている。

 大海の 磯もとどろによする波 
          われてくだけて 裂けて散るかも
 箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 
          沖の小島に 波の寄る見ゆ

どちらも、源実朝だが、技巧的に見える上の歌より、下の歌の方が好きだ。割れる、砕ける、裂ける、散るといい、乏しい知識で有名なものといえば、

 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 
          くだけて物を 思ふころかな
 瀬を早み 岩にせかるゝ滝川の 
          割れても末に 会わんとぞ思う

なんて云うのもあるけど、実朝の才能というか、京の公家でなくて、東国の武士なればこそというか、何というか。大したものだね。

とにかく、オイラは、シッポ巻いて逃げて帰って、窮屈なウェットスーツを脱ごうとするんだけど、今度は、なかなか脱げない。七転八倒して、やっと脱げた。馬鹿馬鹿しい騒ぎだった。

午後の仕事をして、夕闇が迫って来た。いつの間にか、風向きが逆転して、陸風が吹いている。昼間の太陽で暖まった海面で上昇気流が発生すると、太陽が陰って、冷えて来た陸の空気が、海に向かって流れ込むからだそうだ。ヨットに乗るようになってから、風を意識するようになった。
我が家の屋上から、西方の空を見る。夕暮れの空に、東洋レーヨンの工場のシルエットが寒々しい。
今日も一日が暮れていく。

2008年11月21日金曜日

徒然雑草   chica

コケッコッコ〜!!!! shigeの学校の美術展行ってきたよ〜。
こいつは、shigeとその仲間達の作品だってさ。
なかなかよく出来てました。

やばい、懐かしい鞄がまだ現役ですよ!
それにしても、小さい子供の想像力は面白過ぎます。

小2が作ったとは思えないこのトビネズミ的生き物。。。。。
素敵過ぎます!欲しいよう!玄関で私をお迎えして欲しいよう!

いや〜、楽しませてもらった一日でした。
                              chica

2008年11月17日月曜日

大岐の浜 <院長発>

<ライネケ院長>
ここは、かつては、知る人ぞ知るって感じだった高知県の「大岐の浜」だ。



足摺岬の根っこの愛媛寄りは土佐清水の町だが、足摺岬をはさんで、その反対側の高知・中村側の根っこにある長さ1kmほどの浜だ。ずっと右手には足摺岬が太平洋に突き出した行く風景だ。

とにかく、砂がきれいな浜でね。


私たちの最初の子どもChicaが生まれた27年前、360ccのちっぽけな車を買って、滋賀県の瀬田を出発して四国を一周した。瀬田、西宮、淡路島、鳴門、徳島以来、何度も四国を回るうちに、太平洋側の海辺が気に入った。最初のうちは、国民宿舎とか民宿とかに泊まってたけど、そのうち、適当な気に入ったところに野宿するようになった。

いわゆるキャンプサイトとかいうところは嫌いなのだ。行って見たら、売店まであって、人が沢山いて、薪や炭まで売っている。テントとテントの間が狭くて、隣と握手出来そう。こんなとこまで来て、ゴルフのクラブを振り回したり、発電機を回して、テレビを見たり。Be-Palから出て来たみたいな装備を並べたり、キャンピングカーの自慢大会をやってたり。馬鹿みたいじゃないか。

きれいで、静かで、安全そうで、水があって、というところであれば、とにかく、テントを張って一晩寝てみる、というのがいい。周りに人がいないのが一番いい。今まで、徳島県の小松島の海辺や海部や高知県の中村を過ぎて、クジラ見物で有名な入方町の浮津にも泊まってみたが、何といっても、一番良かったのは大岐だ。

砂がきれいで、国道321号沿いの何でもない茶店の横を、ひょっと降りると、なんと、湾を囲むように素晴らしい浜辺が広がっている。背後を分厚い防風林が阻んでいるために、うっかり寄ってみようとは思わないんだね。

それで、20数年前から、五月の連休、夏休み、年末の休みには、一日目、滋賀あるいは倉敷を出発して、ぐるっと徳島から室戸岬を回って、その夜は、今はなき国民宿舎「土佐」で一泊した後、二日目の昼、大岐に着いて、テントを張って一泊、三日目には松前を回って、その後また、本州に帰る、というパターンを繰り返して来た。

我ながら、飽きもせず繰り返したものだ、と思うよ。子ども達も、狭い車の中で文句も言わず、よく我慢したものだね。20周、20泊ではきかないと思うね。haruno君が大学受験のときも、かまわず、回ったものな。まあ、彼が高知医大に行ったのも、こういう縁があったからかな。
いろんなことがあったね。あんなこともあった、こんなこともあったって、いつか思い出す日が来るに違いない。

色々な人と出会ったっけ。島根だか山口だかの英会話学校の教師をやってる連中で、英米豪各国の連中といっしょにキャンプしたこともあったね。
大岐は、中国近畿まで有名で、外国人まで知っていた。サーフィン仲間が教えあうらしい。

夜は必ず、流木を集めて焚き火をした。火を見ながら、黙っていろいろなことを考える。夜が更けて、子ども達はテントに入って寝付いてしまったようだ。私一人、拾い集めた木や竹を差し入れて、火が絶えないように、明日の朝には白い灰になるまで完全に燃え尽きるように、見張っていた。いつかは、こんな時もあんな日々も過ぎ去ってしまうだろう。
暗い海辺を波打ち際に沿って歩いていくと、見上げれば、月があり、私たちの焚き火がいかにも小さく見える。月が傾くほどに、私はどこに帰っていくんだろう。分からない。いつしか永遠の闇が広がって、波の音がどこか遥か遠くに聞こえる。それとも、あれは、海の底の石ころが潮に転がる音かしら。石が転がり、月が転がり、私も斜面にそって、転がっていく。


そんな静かな、私たちだけの浜辺だと思っていた大岐だったのだが、10月、一泊してみて驚いた。朝、起きてみると、何と、自動車とテントの群れがいるじゃないか。
そして、サーファー達の列が・・・。

もうこの浜も駄目かなあ。まあ、昔から、サーファー達にはよく知られたところだったからね。高速道路も伸びて来ているし、過疎に悩む現地の人達にとってはいいことなんだろうが。でも、私たちが独り占め出来る浜じゃなくなって来ているのだろうね。大岐の浜も。