去年の今頃、伊予ばあちゃんが、ベッドから滑り落ちて、起き上がれなくなるという事件が起きて、一年が過ぎた。
あれから、彼女も、我々も、一歳、年とったわけだ。
去年は、いろいろな事件があって、彼女にとっても我々にとっても、記憶に残る出来事が多かった。
Chicaさんの、松山空襲について伊予ばあちゃんの話の聞き語り記録が、暮しの手帖の特集に採用されたことに端を発して、2回もNHKから取材に愛媛までやって来てくれ、NHKのクローズアップ現代に伊予ばあちゃんが登場し、ついにテレビデビューを果たした。さらに、愛媛新聞社も伊予ばあちゃんを取材にやって来て、伊予ばあちゃんはすっかり時の人になった。怖いな。
夏は、松前町の役場裏の公園に、世界を回ってるサーカス団が、大きな大きなテントを張って、2ヶ月の長きにわたって、公演した。我が医院にも、サーカス団の外人さん(チリ人の男性とスロバキア人の女性)が二人も、皮膚の問題で受診しにやって来て、サービスの切符を何枚もくれたので、医院のスタッフや家族が、揃って、演技を見に行った。いい思い出になった。
年末には、アメリカからやって来て、エミフルでサンタクロースとして出演するはずだったアメリカ人のお爺さんが、足にひどい感染症を起こして、当院を受診して、ライネケ院長は、日米親善のために、自ら点滴の針を持って、頑張った。
とにかく、一年間、いろいろあった。
今年は、伊予ばあちゃんと一緒に、ライネケとネコパコと3人で、我が町の義農公園の桜を見に行った。去年は隣町の端っこの運動公園まで、車で行ったが、今回は、車椅子を押して、歩いて行った。
彼女とともに、あと何回、桜を見られるのだろう。
ライネケにとって、彼女は武家の女とでもいうか、とにかく気丈な人であった。目的のためには手段を選ばず、歯を食いしばって、艱難に耐え、塵も積もれば山となる式の努力を惜しまない、というふうに見えた。ライネケは、あの性質が自分に伝わっていないのを、何度、恨めしく思ったことか。
94才になり、足腰も気力もずいぶん衰えた。しかし、まだ、侮れない部分がある。
46年前、ライネケが二度目の受験に失敗し、東京の4畳半の下宿でしょんぼり途方にくれている時、ぱっと上京してきて、「元気をお出し。また、受ければいいじゃないの。来年受験に行くかもしれない所に行ってみようじゃないか。」と言って、文字通り、引っ張り上げるように立ち上がらせて、いやいやながらの息子を引きずるように、まだ上野発だった東北本線の列車に押しこむように乗らせて、仙台まで引っ張って行き、東北大学、松島、瑞巌寺を回って、その日のうちに、また東京に戻り、「お頑張りよ。」と言い残して、愛媛に帰って行った。
あの辛かったときの思い出が、今となっては懐かしい。
翌年、なんとかなってよかった。我ながら、冷や汗ものだった。
あの時の彼女の心中を思うと、胸が痛む。
ごめんよ。お母さん。
あらためて、ありがとう。
あれから、彼女も、我々も、一歳、年とったわけだ。
去年は、いろいろな事件があって、彼女にとっても我々にとっても、記憶に残る出来事が多かった。
Chicaさんの、松山空襲について伊予ばあちゃんの話の聞き語り記録が、暮しの手帖の特集に採用されたことに端を発して、2回もNHKから取材に愛媛までやって来てくれ、NHKのクローズアップ現代に伊予ばあちゃんが登場し、ついにテレビデビューを果たした。さらに、愛媛新聞社も伊予ばあちゃんを取材にやって来て、伊予ばあちゃんはすっかり時の人になった。怖いな。
某日、彼女は歯医者さんに行きたいと言い出した。 このスロープを作っておいてよかった。 ネコパコに手を引いてもらって、 そろそろ降りて、車に向かう。 ネコパコの心遣いのおかげで、ちょっとお洒落なうしろ姿 |
年末には、アメリカからやって来て、エミフルでサンタクロースとして出演するはずだったアメリカ人のお爺さんが、足にひどい感染症を起こして、当院を受診して、ライネケ院長は、日米親善のために、自ら点滴の針を持って、頑張った。
とにかく、一年間、いろいろあった。
義農公園にて 七分咲きの花の前 春の光を浴びて |
今年は、伊予ばあちゃんと一緒に、ライネケとネコパコと3人で、我が町の義農公園の桜を見に行った。去年は隣町の端っこの運動公園まで、車で行ったが、今回は、車椅子を押して、歩いて行った。
彼女とともに、あと何回、桜を見られるのだろう。
ライネケにとって、彼女は武家の女とでもいうか、とにかく気丈な人であった。目的のためには手段を選ばず、歯を食いしばって、艱難に耐え、塵も積もれば山となる式の努力を惜しまない、というふうに見えた。ライネケは、あの性質が自分に伝わっていないのを、何度、恨めしく思ったことか。
94才になり、足腰も気力もずいぶん衰えた。しかし、まだ、侮れない部分がある。
あの辛かったときの思い出が、今となっては懐かしい。
翌年、なんとかなってよかった。我ながら、冷や汗ものだった。
あの時の彼女の心中を思うと、胸が痛む。
ごめんよ。お母さん。
あらためて、ありがとう。
お母さん、 カメラは、あっちだよ。 カメラの方を向いてください。 |
4 件のコメント:
あっという間で
とてもとても長い永い時間ですね。
ついていけない位が丁度いいのかもしれません。
気付かない位ならもっといいのにね。
仙人掌姉
<ライネケ>
貴女の植物園ブログも久しぶりに更新しましたね。
感慨深く読みました。
2006年に我々も貴女も、新たなスタートを切って以来、14年目に入ります。
いろいろな人間関係もでき、コンピューターみたいにスイッチ一押しでリセットして、やり直しする、ということはできなくなっている、ということを痛感します。
優しい気持ちで、落ち着いて、柔軟に、いろいろな物事のありようを、出来れば笑いながら、受け入れましょう。
貴女が植えていってくれたチューリップが、さまざまな形の花を咲かせては、落ちていきつつあります。
こんな花だったんだね。春が来たんだ。と、見入ってしまいました。
なんと、そのNHKクローズアップ現代の担当者の方から、私に取材申し込みがありました。母の自分史に昔の母が育った家でのことがあったのをNHKのサイトの感想にたぶん書き込んだのでしょう、すっかり忘れておりましたら、先日、話を詳しく聞きたいので、と電話取材申し込みがあったのです。
戦時中の祖父の言動などの一コマが主で、ほかにはないのに、と思いつつ、20日午後なら、と連絡を待つことになっています。もしかしたら今度の夏の戦時中のくらしの回で数秒でも取り上げられるかもしれませんね。
<ライネケ>
kurasiki-keikoさま、
お久しぶりです。
クロ現(と略称するのだそうですが・・。)は、昨年6月中に2回来られて、2回目は東京から3人で来られて、取材録画して行かれました。その時は、私の母は、えらく盛り上がったようで、その後、揺り返しが来たら、どうかなってしまうんではないか、と心配しましたが、なんとか、それなりに現在に至っています。ただ、一年一年と、着実に、衰えてきているようです。もちろん、私たちもですが・・・。
keikoさまも頑張ってください。
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