1月26日日曜日の午後、当家のファーストカーであるメルセデス・ベンツがとうとう、大台を突破した。
メルセデス・ベンツ230TE 1991年式
30万キロ 達成おめでとう。
メルセデス君、26年間にわたって、ご苦労さま。
ほぼ我が家の末っ子くんと並行して生きてきたわけだ。
正直言って、買ったとき、ここまで乗り続けるとは思わなかった。
到達場所は双海の最近有名になっている下灘駅の真下付近。
海風が強く、雪がぱらつく寒い日だ。
つかの間の晴れ間だった。
彼を買ったのは、岡山で、1993年5月。
1991年製で、すでに、3万キロ走行の中古だった。
当時、我が家は初代ゴルフカブリオとゴルフ2型を所有していて、ライネケとネコパコとChicaとHarunoとSoraと、5人までは、あのゴルフカブリオの中ですし詰め状態でなんども四国一周をした。ところが、末っ子くんShigeがやって来ると、ちょっとした外出すらゴルフでは無理ということになった。
総勢6人となったキツネコ一家には、5人乗りの小型車は、すでに窮屈だった。まして、長距離を旅行するのであれば、バスが欲しいくらいだ。でも、流行り始めていたワンボックスカーとかミニバンとかいった車は、下品なくせに威張って見えて絶対嫌だ。キャンピングカーみたいなもっともらしいのも嫌いだ。
キャンプするとしても、別にキャンプが趣味というわけじゃないのだ。何かの都合で泊まらなければならないとか、たまたま、気に入った場所で一泊してみたい、という場合にキャンプするだけの話で、キャンプするためにキャンプするわけじゃない。普通の車がいい。
そこで例えばステーションワゴンなんかどうだろう、ということになった。
昔、ゴルフカブリオを滋賀ヤナセで買ったとき、もらったカタログの最後に、ツートンカラーのメルセデス・ベンツのステーションワゴンが、アメリカの何処かの湖畔のキャンプ地に留めてある写真が載っていて、いいなあ、と思ったんだが、ベンツはとても手が届かないと思っていた。
それで、ある日曜日、倉敷市内のスバルの店に行った。店番だったお兄さんは、レガシーのツーリングワゴンは人気車種ですから、値引きはないですよ、と言い、こちらの電話番号も聞かず、カタログもくれなかった。つくづくとろい奴だと思った。この程度の奴を雇ってるような会社はあかん、と思ったよ。
車の中にもどって、ネコパコと一緒に、さあ、どうしよう、と話し合った。ネコパコが、「ヤナセに行ってみない? 日曜日だけど行ってみたら、ひょっとして、ベンツのステーションワゴンがあるかもしれない。見るだけならいいじゃない?」と言った。彼女は、昔、ライネケが、黙ってカブリオのカタログのベンツに見入ってるのを見ていたんだろう。
「それもそうだけど、今日は日曜日だぜ。ヤナセは休みだろう。」と言いながら、岡山ヤナセに向かった。
立派なガラス張りの岡山ヤナセのビルは、2号線沿いの岡山と倉敷の間にあって、やっぱり休みだった。でも、駐車して、店に近づくと、留守番の青年がいて挨拶してきた。ベンツのステーションワゴンに興味が有るんだけど、と話した。彼は、「ああ、今、うちで使ってるのがありますから、見られますか?」と言って、ガレージのシャッターを上げてくれた。頭入れで入れてあって、リアをこちらに向けたその車は売り物じゃない会社の作業車で、ちょっと薄汚れ気味の白色で、リアゲートを引き上げると、広いリアスペースにはジャッキやロープや長靴やら、現場作業の道具が無造作に放り込まれていた。ちょっとくたびれ気味だったが、いかにも現場で働いて役に立ってくれている、という感じが好印象だった。
その留守番役の青年が、「ちょうど今、これの中古が、ヤナセの中古車販売部である岡山の某店にあるはずですから、なんなら見に行かれますか? 社長に電話しておきますから。」と言ってくれたので、「見るだけならいいじゃない?」が、「とにかく見てみようか」ということになった。
その足で、その中古車販売店に行ったら、会社の社長さんという恰幅のいい人が、車を出してくれていた。
見せてくれたメルセデスは、1991年製で、濃紺のMB230TEというものだった。ついさっき岡山ヤナセで見たのと同じグレードだ。メルセデス・ベンツ社のコードネームW124というタイプで、標準は2.8L直列6気筒ガソリンエンジン搭載車なのだが、230TEは、同じボディに2.3リットルの直列4気筒搭載のステーションワゴンだ。
前の持ち主は、この230TEは遅いから280に乗り換えるのだそうだ。かなりのヘビースモーカーだったそうで、タバコの匂いが残っているかもしれない、という話だった。そう言えば、パッセンジャーシートにタバコの火が落ちて小さな穴が空いていた。
ゴルフと比べると、ずいぶん大きいけれど、後ろから見た姿は自己主張が強くなく、3人がけのリアシートの後ろには、それだけでも大きな荷室があり、荷室の床からさらに二人分の後ろ向き補助椅子が起き上がり、それにもシートベルトが付いていて公式に7人掛け7人乗りになる。さらにリアシートを倒すと、大人ふたりが並んで体を伸ばせる完全平面の巨大空間が出現する。
冷やかしと言って悪ければ、参考程度の気分で、出かけたのにかかわらず、いつの間にか、その気になっていた。6人家族に加えて愛媛のおっかさんを乗せることも出来る。その上に、大きな荷室と大きなルーフトップもある。
聞けば、諸費用込みで、現金で500万円だという。新車だと車両代だけでも800万はする。とてもじゃないが、たかが車一台に800万も900万も出せるもんか。でも、500万ならどうかな。
ネコパコが横でささやいた。「そのくらいのお金はあるわよ。こんな時のために倹約してきたんじゃない?」
おいらは、車屋の社長さんに訊いた。
「500万円出すんだったら、ボルボのステーションワゴンの新車が買えますね。」
そしたら、社長が言った。
「お客さん、これにしておかれなさい。あとになって絶対、これにしておいてよかったと思いますから。」
「あとになって絶対、これにしておいてよかったと思いますから。」
これが効いた。
タイヤとバッテリー、バックミラーを新品に交換して、即金で結局550万払ったと思う。
その後、エンジンのヘッドガスケットの吹き抜けやら、エアコンやら、いろいろあったが、十数万キロの頃、愛媛から倉敷に帰る途中、善通寺のあたりで、オートマチックギアが2速からトップに変速せず、ずっと2速のまま、エンジンを唸らせながら、瀬戸大橋をわたって、倉敷にたどり着いたこともあった。その修理の際、ずっと青空駐車していたために傷んだ塗装を、ヤナセで、アメリカのデュポン社から塗料を取り寄せて、オールペイントさせた。
新車のメルセデスを買う気はなく、この車が気に入っていたので、オートマチックギアのリビルト品載せ替えに80万円、オールペイントに120万円、合計200万円ほどかかった。あれから20年近く経つ今、また大分痛んできたMBだが、まだ愛着は尽きない。
そろそろ交換部品の一部が欠品で、本国にもなくなっていて、ヤナセに持ち込んでも相手にしてくれなくなった。やる気のないヤナセに愛想を尽かして、伊予市のOさんのところでずって面倒みてもらっている。早くて安いだけでなく、仕事内容がいいのだ。
1年ほど前、この車と全く同じ230TEで屋根付きガレージ保管の走行距離の短い車が、松山の自動車屋で250万円で売りに出ているというので、心が動いた。Oさんに相談したら、こう言った。
「先生、その車は、なんと言っても、製造後20年経った車ですよ。いくらきれいに見えても、やっぱり新車とは違って、明日は何が起こるか分からない。買った途端に致命的な問題が起こらないとは限らない。たしかに、今の230TEを、これからさらに数年間、このまま乗り続けるとして、時々修理やら何やらにお金がいるでしょう。それでも2ー300万円もあれば、まだかなり乗れるはずでしょう。先生はろくに洗いもせず、荷物を両手に持って、足でドアを蹴飛ばして閉めたり、ずいぶん気楽な使い方をしているけど、もし、中古とはいえ、きれいな車を手に入れたら、そうはいかんでしょう。」
図星だな。それで思いとどまった。
でも、やはり、気になって、ある週末、松山のその自動車屋に電話してみた。出てきた留守番の兄ちゃんが、今日は休みなので担当者がいないから、週が明けてから、連絡してくれと言った。名前も連絡先も聞かれなかった。で、その件はそれまでになった。
もし、おいらが留守番役だったら、当方の名前や連絡先を聴き、「なんなら、今、来てくれたら、お待ちしてます。バッテリーとか外してるし、長い間、寝かした車だから、動かせるかどうかは分からないけど、とにかく、見に来てください。きれいな車ですよ。」てなことを、たとえ出まかせでも、立て板に水でしゃべるだろう。
とにかく、30万キロといえば、地球の赤道を7周回るくらいの距離だ。子どもたちの成長と共に、トランスポーターとして、働き続けた。数えきれない回数、倉敷と吉川、松前との間を往復し、何度も、高知を回って四国一周した。Haruno君が高知に行ったのも、その縁かもしれない。松前に住んでからは、ヨットをルーフトップして浜に通ってくれた。現今の車はずいぶん大きくなって、買ったときは大きく見えたこの230TEが、今どきの車たちの間に停めていると、小さく、つつましく見える。
「あとになって絶対、これにしておいてよかったと思いますから。」
と言われてから、26年経った。結局、ボルボとの比較はできなかったし、以来、自家用車として他の車に乗ったことはないので、これにしておいてよかったかどうか、分からない。
でも、この車がいいと思う。スタイルも好きだし、性能も今でも十分だと思う。不思議なことに、かえって燃費が良くなって来ている。これまでのところは、なにか異常がある時は、不思議に事前に察知して、何とかしてきた。要するに、相性がいいのだろう。
ご苦労さん。我が家の230TE。
ありがとう。
でも、もう少し頑張ってくれ。
40万キロまで乗れるといいな。
メルセデス・ベンツ230TE 1991年式
30万キロ 達成おめでとう。
メルセデス君、26年間にわたって、ご苦労さま。
ほぼ我が家の末っ子くんと並行して生きてきたわけだ。
正直言って、買ったとき、ここまで乗り続けるとは思わなかった。
到達場所は双海の最近有名になっている下灘駅の真下付近。
海風が強く、雪がぱらつく寒い日だ。
つかの間の晴れ間だった。
彼を買ったのは、岡山で、1993年5月。
1991年製で、すでに、3万キロ走行の中古だった。
当時、我が家は初代ゴルフカブリオとゴルフ2型を所有していて、ライネケとネコパコとChicaとHarunoとSoraと、5人までは、あのゴルフカブリオの中ですし詰め状態でなんども四国一周をした。ところが、末っ子くんShigeがやって来ると、ちょっとした外出すらゴルフでは無理ということになった。
総勢6人となったキツネコ一家には、5人乗りの小型車は、すでに窮屈だった。まして、長距離を旅行するのであれば、バスが欲しいくらいだ。でも、流行り始めていたワンボックスカーとかミニバンとかいった車は、下品なくせに威張って見えて絶対嫌だ。キャンピングカーみたいなもっともらしいのも嫌いだ。
キャンプするとしても、別にキャンプが趣味というわけじゃないのだ。何かの都合で泊まらなければならないとか、たまたま、気に入った場所で一泊してみたい、という場合にキャンプするだけの話で、キャンプするためにキャンプするわけじゃない。普通の車がいい。
そこで例えばステーションワゴンなんかどうだろう、ということになった。
昔、ゴルフカブリオを滋賀ヤナセで買ったとき、もらったカタログの最後に、ツートンカラーのメルセデス・ベンツのステーションワゴンが、アメリカの何処かの湖畔のキャンプ地に留めてある写真が載っていて、いいなあ、と思ったんだが、ベンツはとても手が届かないと思っていた。
それで、ある日曜日、倉敷市内のスバルの店に行った。店番だったお兄さんは、レガシーのツーリングワゴンは人気車種ですから、値引きはないですよ、と言い、こちらの電話番号も聞かず、カタログもくれなかった。つくづくとろい奴だと思った。この程度の奴を雇ってるような会社はあかん、と思ったよ。
車の中にもどって、ネコパコと一緒に、さあ、どうしよう、と話し合った。ネコパコが、「ヤナセに行ってみない? 日曜日だけど行ってみたら、ひょっとして、ベンツのステーションワゴンがあるかもしれない。見るだけならいいじゃない?」と言った。彼女は、昔、ライネケが、黙ってカブリオのカタログのベンツに見入ってるのを見ていたんだろう。
「それもそうだけど、今日は日曜日だぜ。ヤナセは休みだろう。」と言いながら、岡山ヤナセに向かった。
立派なガラス張りの岡山ヤナセのビルは、2号線沿いの岡山と倉敷の間にあって、やっぱり休みだった。でも、駐車して、店に近づくと、留守番の青年がいて挨拶してきた。ベンツのステーションワゴンに興味が有るんだけど、と話した。彼は、「ああ、今、うちで使ってるのがありますから、見られますか?」と言って、ガレージのシャッターを上げてくれた。頭入れで入れてあって、リアをこちらに向けたその車は売り物じゃない会社の作業車で、ちょっと薄汚れ気味の白色で、リアゲートを引き上げると、広いリアスペースにはジャッキやロープや長靴やら、現場作業の道具が無造作に放り込まれていた。ちょっとくたびれ気味だったが、いかにも現場で働いて役に立ってくれている、という感じが好印象だった。
その留守番役の青年が、「ちょうど今、これの中古が、ヤナセの中古車販売部である岡山の某店にあるはずですから、なんなら見に行かれますか? 社長に電話しておきますから。」と言ってくれたので、「見るだけならいいじゃない?」が、「とにかく見てみようか」ということになった。
その足で、その中古車販売店に行ったら、会社の社長さんという恰幅のいい人が、車を出してくれていた。
見せてくれたメルセデスは、1991年製で、濃紺のMB230TEというものだった。ついさっき岡山ヤナセで見たのと同じグレードだ。メルセデス・ベンツ社のコードネームW124というタイプで、標準は2.8L直列6気筒ガソリンエンジン搭載車なのだが、230TEは、同じボディに2.3リットルの直列4気筒搭載のステーションワゴンだ。
前の持ち主は、この230TEは遅いから280に乗り換えるのだそうだ。かなりのヘビースモーカーだったそうで、タバコの匂いが残っているかもしれない、という話だった。そう言えば、パッセンジャーシートにタバコの火が落ちて小さな穴が空いていた。
ゴルフと比べると、ずいぶん大きいけれど、後ろから見た姿は自己主張が強くなく、3人がけのリアシートの後ろには、それだけでも大きな荷室があり、荷室の床からさらに二人分の後ろ向き補助椅子が起き上がり、それにもシートベルトが付いていて公式に7人掛け7人乗りになる。さらにリアシートを倒すと、大人ふたりが並んで体を伸ばせる完全平面の巨大空間が出現する。
冷やかしと言って悪ければ、参考程度の気分で、出かけたのにかかわらず、いつの間にか、その気になっていた。6人家族に加えて愛媛のおっかさんを乗せることも出来る。その上に、大きな荷室と大きなルーフトップもある。
聞けば、諸費用込みで、現金で500万円だという。新車だと車両代だけでも800万はする。とてもじゃないが、たかが車一台に800万も900万も出せるもんか。でも、500万ならどうかな。
ネコパコが横でささやいた。「そのくらいのお金はあるわよ。こんな時のために倹約してきたんじゃない?」
おいらは、車屋の社長さんに訊いた。
「500万円出すんだったら、ボルボのステーションワゴンの新車が買えますね。」
そしたら、社長が言った。
「お客さん、これにしておかれなさい。あとになって絶対、これにしておいてよかったと思いますから。」
「あとになって絶対、これにしておいてよかったと思いますから。」
これが効いた。
タイヤとバッテリー、バックミラーを新品に交換して、即金で結局550万払ったと思う。
その後、エンジンのヘッドガスケットの吹き抜けやら、エアコンやら、いろいろあったが、十数万キロの頃、愛媛から倉敷に帰る途中、善通寺のあたりで、オートマチックギアが2速からトップに変速せず、ずっと2速のまま、エンジンを唸らせながら、瀬戸大橋をわたって、倉敷にたどり着いたこともあった。その修理の際、ずっと青空駐車していたために傷んだ塗装を、ヤナセで、アメリカのデュポン社から塗料を取り寄せて、オールペイントさせた。
新車のメルセデスを買う気はなく、この車が気に入っていたので、オートマチックギアのリビルト品載せ替えに80万円、オールペイントに120万円、合計200万円ほどかかった。あれから20年近く経つ今、また大分痛んできたMBだが、まだ愛着は尽きない。
そろそろ交換部品の一部が欠品で、本国にもなくなっていて、ヤナセに持ち込んでも相手にしてくれなくなった。やる気のないヤナセに愛想を尽かして、伊予市のOさんのところでずって面倒みてもらっている。早くて安いだけでなく、仕事内容がいいのだ。
1年ほど前、この車と全く同じ230TEで屋根付きガレージ保管の走行距離の短い車が、松山の自動車屋で250万円で売りに出ているというので、心が動いた。Oさんに相談したら、こう言った。
「先生、その車は、なんと言っても、製造後20年経った車ですよ。いくらきれいに見えても、やっぱり新車とは違って、明日は何が起こるか分からない。買った途端に致命的な問題が起こらないとは限らない。たしかに、今の230TEを、これからさらに数年間、このまま乗り続けるとして、時々修理やら何やらにお金がいるでしょう。それでも2ー300万円もあれば、まだかなり乗れるはずでしょう。先生はろくに洗いもせず、荷物を両手に持って、足でドアを蹴飛ばして閉めたり、ずいぶん気楽な使い方をしているけど、もし、中古とはいえ、きれいな車を手に入れたら、そうはいかんでしょう。」
図星だな。それで思いとどまった。
でも、やはり、気になって、ある週末、松山のその自動車屋に電話してみた。出てきた留守番の兄ちゃんが、今日は休みなので担当者がいないから、週が明けてから、連絡してくれと言った。名前も連絡先も聞かれなかった。で、その件はそれまでになった。
もし、おいらが留守番役だったら、当方の名前や連絡先を聴き、「なんなら、今、来てくれたら、お待ちしてます。バッテリーとか外してるし、長い間、寝かした車だから、動かせるかどうかは分からないけど、とにかく、見に来てください。きれいな車ですよ。」てなことを、たとえ出まかせでも、立て板に水でしゃべるだろう。
とにかく、30万キロといえば、地球の赤道を7周回るくらいの距離だ。子どもたちの成長と共に、トランスポーターとして、働き続けた。数えきれない回数、倉敷と吉川、松前との間を往復し、何度も、高知を回って四国一周した。Haruno君が高知に行ったのも、その縁かもしれない。松前に住んでからは、ヨットをルーフトップして浜に通ってくれた。現今の車はずいぶん大きくなって、買ったときは大きく見えたこの230TEが、今どきの車たちの間に停めていると、小さく、つつましく見える。
「あとになって絶対、これにしておいてよかったと思いますから。」
と言われてから、26年経った。結局、ボルボとの比較はできなかったし、以来、自家用車として他の車に乗ったことはないので、これにしておいてよかったかどうか、分からない。
でも、この車がいいと思う。スタイルも好きだし、性能も今でも十分だと思う。不思議なことに、かえって燃費が良くなって来ている。これまでのところは、なにか異常がある時は、不思議に事前に察知して、何とかしてきた。要するに、相性がいいのだろう。
ご苦労さん。我が家の230TE。
ありがとう。
でも、もう少し頑張ってくれ。
40万キロまで乗れるといいな。
4 件のコメント:
車の試乗に行こうと突然出掛けて
兄弟で乗った時のことを覚えています。
車屋さんもきっと
鮨詰めになった子供達がワラワラと乗り込むのを見て
この広さがなきゃダメだと思ったことでしょう。
事故なく長持ちするといいですね。
おめでとう、そしてがんばれメルセデス!
船は彼女だけど車は彼になるんですね。
仙人掌姉
<ライネケ>
本文を書きながら、おいらは、うちのメルセデスを、なんとなく「彼」と呼んでしまったのだが、あのフロントのご面相はやっぱり男じゃないかな?
船や自動車やオートバイを男性として扱うか、女性として扱うかは、きまりってあるのかな?
考えてみれば、女性的とか男性的とかいう観念すら、曖昧で揺らいでいるようだ。
たぶん子供達のなかでは、あのメルセデスの運転時間が一番多いのは僕かな。長い割にくねくねとよく曲がる車です。運転席では静穏な日に滑空を続けるグライダーみたいな安定感がありますね。 がま
<ライネケ>
ガマくん、私とネコパコ以外に、この車を運転したのは、多分、君だけでしょう。それも横に誰か載せて一昼夜以上をね。
くねくね坦々の田舎道をずううっと走っていくと、本当にうなぎみたいに長い体をくねらせて走っていく気持ちのいい車だよ。
この車のファンは多いし、修理のため入庫している我が家のメルセデスを見て、そろそろ捨てるんじゃないか、その時はいつでも引きとるよ、なぞと言ってる人がいるそうだ。
そうそう簡単に手放すもんかね。
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