世間ではやたらに早い花見の季節になってしまった
やっぱりロナは帰らないので 落ち込む気分を紛らわせたくて
どうでもいいような単調な仕事をしてみることにした
食器の持ち数調べ
この際 ついでに写真も撮ってみるかと
無い気合いをかけて単調に仕事をした
古伊万里かあるいはただの伊万里か 里帰りするたびに朝ごはんに出てきた芭蕉皿 とうとう もらいうけてしまった 金継がへたくそだったのが惜しまれる |
仁城義勝さんの組椀 年をとって瀬戸物を手にするのがしんどくなれば 塗り椀だけで暮らすのも悪くないか |
次にエクセルで作った表にサイズと枚数を記入し画像を貼り付けた
ざっと計算してみたら食器だけで472点
やはりちょっと多いだろうか
だからそれがどうしたというのだ
ロナは何にも残さなかった…と考えると
人間のやっている事の愚かしいことよ!ではある
次に誰か欲しがってくれるのだろうか
1 件のコメント:
<ライネケ>
伊万里の木の葉皿は残念だったね。
松山の陶磁器屋のおやじが、こんなの大したもんじゃないから、この程度の継ぎでいいですよ、って感じで言うもんで、じゃあ、それでいいか、とやってもらったんだ。
その親父さんが他の客と話しているのを横で聞いていたら、さかんに「作家の先生」という言葉を使うんだ。素人の客相手に、茶碗屋の親父が、製品の作者を一緒に尊敬しろと言わんばかりに「作家の先生」というのは、どうかと思うがね、おいらは。
そして、出来上がって来たんだけど、エポキシか、アロンアルファの類いを塗って、その上に、金色の塗料をかぶせた仕上げだった。えらく安かったのはいいけど、本来の金継ぎとは雲泥の差がある。
大したものであろうが、なかろうが、気に入ったものなら、ちゃんとやれば良かった、と思ったのだが、あとの祭さ。
そのうち、接着剤が剥がれて来たら、再度、削り落として、やり直してもいいね。
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