2008年4月28日月曜日

独り暮らしとは その四


ある晴れた休日
僕は友人と出かけた


自転車で

坂を上るのは
ひどく疲れる

どこまでも続くように見える道が
ゆっくり描くカーブの一つ一つを

僕たちも
ゆっくりゆっくりと
上っていった

時たま通り過ぎる車の音と

風が揺らす梢の音と

道に沿って流れる川の音と

自転車の音と

呼吸の音と

心臓の音と

自分の音と

遥かに

海が見える

とても寒い

頂上で

山菜そばを食べ

2時間かけて上った道を

8分で下り

温い大気に

普段の生活を

感じた

山に登る時は

自分の奥深くに

潜るのに、良い



5時間半、75kmほど走った

2008年4月27日日曜日

春には春の花咲く <院長発>

なんとねえ。ちょっと目を離していた間に、屋上の芝生が・・・。
雑草といえば、雑草なんだけど、これだけ生えると壮観だ。

お花畑というのか、何と言ったらいいのか。
生命は美しい。
I think to myself what a wonderful world !

よく見ると可憐で美しい。神は微細に宿ると言うけれど・・・。ピンボケがちょっと残念。
すごい生命力。矢道の節穴から伸び出して来た。

ごちゃごちゃ言わずに、とにかく、それ抱えてそこに立って。
ちょっと傾けて。
ああん、ロナ、何しにきた?

われはシャロンの野花(はな) 谷の百合花(ゆり)なり
女子等(をうなごら)の中にわが佳耦(とも)のあるは
荊棘(いばら)の中に百合花(ゆり)のあるがごとし

あんまり関係ないけど、Chikaさん、自分の佳耦(とも)は、できたら、自分で探して。

2008年4月26日土曜日

弁当と「おさんどん」その4 <院長発>

<院長どん>
おいらの弁当昼食は14年ほど続いた。前夜のおかずの余分を詰めたり、いろいろ工夫して、とにもかくにもほとんど欠かさず弁当を作ってくれた現ネコパコ事務長に対して、言い尽くせない感謝と敬意を捧げたい。

途中、彼女が旅行に出かけたりして、作れない時は、彼女の詰めてくれたパターンを真似て、とにもかくにも、弁当箱に詰め込んで行った。二段あって、一段はご飯、二段目は肉・魚などタンパク質と脂肪類、それに必ず野菜を詰めた。

問題は、おいらは焼くのと炒めるのだけで、煮物はできないということだな。とにかく、冷蔵庫を開けて、牛肉があればそれをフライパンで炒める。魚はガスレンジのグリルで焼く。卵は大体目玉焼きになる。あとは野菜を適当に切って、炒めたり、時には煮たり。キャベツやレタスはそのままちぎって詰める。

だしはとったことがないし、とにかく煮物は駄目。だって、塩加減やら分からんものね。スーパーの総菜は意地でも買わない。彼女のように、同じ棚の同じ品物を、色々さわったり見たり嗅いだり舐めたりほおずりしたりして、細かく選んで買ったりしない。ぱっと手に取ってポイッとカゴに放り込む。期限切れ寸前のため、魚のあらの安いの、例えば、ブリのかまや、えらく脂ののってそうなシャケなんかは賞味期限と値札と割引率をにらんで、手に取って、随分永く迷ったりする。ちょっと不気味な風景かもしれないな。

一度、えらく大きく太ったアジがえらく安かったので、喜んで買った。帰って、例のバーベキュー用のコンロを庭先に出して、よだれを垂らしながら、焼き始めた。ぼーぼー、脂が燃え出して、黒いすすだらけになってしもた。コンロも手も顔も脂だらけになり、すすじみて、部屋まで煙が入って、さんざん手を焼いて、やっと魚が焼けたかなという所で、それで食べてみたら、あまり美味くなかった。な、なんでえ〜? こんなに苦労したのに・・・。がっかりしてよく考えたら、ムロアジだった。マアジじゃなくて。側線の付き方が違う・・・。ち、畜生・・・。以来、アジには深い恨みというか、思い入れがある。でもやっぱりアジとサンマと鯛が好き。

で、結局、今に至るまで、料理の本は開いたことがないし、真面目に人に教えを乞うたこともない。で、相変わらず、ちっとも料理のいろはが分かっていない。

(この項、更に更に続く)




2008年4月25日金曜日

弁当と「おさんどん」その3 <院長発>

<院長>
「おいらは昼飯は弁当にする。あとの二人は、食堂なり、弁当なり、コッペパンにパック牛乳なり、好きにするがよかろう。とにかく、おいらは、昼は昼飯時に食べる。」と宣言して、以来14年間、ずっと弁当。何せ、おいらが「科主任部長」でトップだったんだからね。宣言すればそれで終わり。あとの二人はそれぞれ弁当を配達させたり、病院食堂に行ったりしていたようだ。

世間の人たちはどう思っているか知らないが、少なくとも昼食に関しては、医師なんて、本当に貧しいもんだ。働き盛りの若い研修医なんて、昼飯抜きだったり、パン一個だったり、バナナ一本なんてのもありだ。

ちゃんと昼過ぎには、午前中の仕事に区切りを付けて、バランスのとれた昼食をとって、体力的にも余裕を持って、気力の面でも心豊かに、仕事を続けてこそ、いい仕事ができると思うんだけど、大病院というのは患者が多くて、待ち合いで、もう2時間も辛抱強く待っててくれる、と思うと、つい昼が来ても、外来を続けることになる。1時が3時になり、ええい、もう一息、とうとう夕方まで仕事を続ける。

夕食をとる暇もなく、病棟に行って、処置だ、カルテ記入だ、指示簿だ、ということになる。

看護婦:「指示は夕方の申し送りまでに出して下さい。そうでなければ、夕方以降の検査採血はドクターが自分でして、検査部まで持ってって下さい。」
医師:「あれあれ、おいらだって、そりゃそうしたいんだけど、そう行かなかったんだよ。看護婦さん、そんな冷たいこと言わずにやってよ。ずうっと仲間だったんじゃないか。」
看護婦:「今までさんざんえらそうに言って、困った時は仲間だ、協力者だ、と言うけど、結局、人をこき使って来た歴史があるじゃないか。」

現場も人間関係が冷たくなって来たのか知らん、それともよほど今までえらそうにして来たのか知らん、とも思う。

第一、そんな慌ただしい生活を送って、一個の人間として、どうなのか? 人の生殺与奪の権を握って、夜討ち朝駆けの人生を、白熱の瞬間を求めて生きる、と言えば、生き甲斐のある人生だと思えるのかもしれん。それにしても、かつては、「国手」とも言われた人たちが、こんながさつな生き方をしていていいのだろうか。一種の戦場裡にあるとしても、何かの古い外国映画で見た将校達のように、食事は、白いテーブルクロスのかかった長いテーブルを囲んで、給仕のサービス付きのきちんとした食事とワイン、喫煙に、しゃれた会話や意見交流と情報交換の場を持つ、そんな具合に行かないものかね。時代が違う?

昼過ぎ、ちょっとしたタイミングで、何とか30分だけ待ってもらって、何とかまともな昼食をとれば、それだけで、大分、生活や仕事のサイクルも気分も変わるかもしれん。日頃から、その30分を笑って許してもらえるように、患者との関係を深めておくべきだ、という見方もできるかもしれん。とにかく、立ったままでのカップヌードルなど、医師たるものの食事ではない。

(この項続く)

2008年4月24日木曜日

弁当と「おさんどん」その2 <院長発>

<院長>
我が畏友「赤シャツ氏」からのご教示により、早速訂正です:「おさんどん」とは、「おさん」とも言い、
「日本の伝統的な家屋で土間に続く「三の間」には使用人がおり、「三」の間にいる人、ということで、「さん」に「お」と「どん」をつけ親しみある呼称にしたのが「おさんどん」。後に狭義として食事の支度を主に行う女中を指すようになった。」嘘吐きの彗星より引用
という話です。江戸時代の小説に下女や飯炊き女の名として「おさん」というのがよく出て来るけど、どうやらこれだね。三度三度の食事の支度という所からではないわけだ。

この項、更に続く。

弁当と「おさんどん」 <院長発>

<院長>
はじめに:
このブログに、何かのご縁で、ひょっと、お立ち寄りの方々。
よろしければ、一言、コメントを残していただきたい。独り言を言ってるだけなのも馬鹿馬鹿しいし、よその人とちょっと世間話するっていうのもいいもんだからね。
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あとは、コメント欄をクローズボックスクリックで消して、元のブログ画面に戻り、左上のページ再読み込みボタンを押してもらえば、コメント数が増えているのが分かります。


さて、本題だね。って言っても、つまんないことだけどね。

弁当・・・。倉敷でのほとんどの期間、13、4年間、ずっと昼食はお弁当だったよ。作る人は面倒くさかったと思うよ。その間、ほとんどかかさず弁当を作ってくれたネコ母さんには感謝している。今は、キツネ院長どんとネコパコ事務長となって、毎日一緒に三度三度の食事をとっているけどね。「オサンドン」という言葉があって、主婦というか、house keeperの仕事ぶりを表すちょっと古い言葉だ。食事の支度、掃除、洗濯、三度三度が毎日続く、まるでクリエイティブじゃない、そういう仕事だ。

おいらが滋賀から倉敷に移ったのが18年前で、倉敷の病院では、最初の頃は、真夏でも、あまり遅くならず、午後2時前後には、外来診療を全て終わって、昼食を食べていた。仲良くというのか、とにかく皮膚科医3人揃って一緒に食べていた。病院の10階だったか、最上階に倉敷の街全体を見渡せるラウンジの大食堂があって、そこでランチやらうどんやらを選んだ。

最初の一年間程度は、3人の皮膚科医全てが内容はともかく、仕事の要領が良くて、外来が比較的平等に効率よく進行して、2人の外来担当医も非番で処置係の医師も3人揃って、冬だと12時、夏でも午後2時には、昼食にいけた。少々昼食が遅れてもあまり苦にならなかった。

ところが、2年目に、医師が一人交代した。代わって赴任した医師が、極めて仕事が遅く、3時前後になっても外来が終わらない。おいらは、夕食は家族と摂るから、そのままだと遅い昼食をとって、すぐ、また夕食をとることになる。それじゃ、あんまり身体に悪いから、というので、おいらは12時になったら、外来の途中でも、短い食事休憩を取って、弁当を食べる、と宣言した。

それ以来、遅くとも午後一時までには昼食を食べる。ほぼそうして来た。もちろん朝食と夕食も、必ず、子ども達と一緒に食べる。今も、食事は三度必ずとる。きまりきったことだが、励行は難しい。ルーチンワークをクリエイティブに繰り返すことは難しい。

次回に続く              <きつね院長>

2008年4月23日水曜日

独り暮らしとは その三

大学四年がはじまって2週間ほどが過ぎた。

授業が非常にタイトな印象だ。
朝8:50から夕方4:20まで基本的に講義がある。

週休2日、週5日の授業日の内、午前だけで講義が終わる日も結構あった三回生の
ぬるい生活に慣れた者としてはチト厳しく感じる。
(まあ、今でも週休2日だから、世間からすれば激ぬるだけど・・・)

今までは、昼休みに自分の家に帰って昼ご飯を食べてたけれど、
帰るのが面倒になってきたので、最近では弁当を作っている。

どんな弁当を作っているかは、また今度
(今日は勉強しに大学に来ているのでブログを書いている暇はないのだ・・・)

2008年4月16日水曜日

die hard <院長発>

<院長発>
このブログのタイトルは「宮内ひふ科の日報」ということになっている。でも、これまでこのブログを見ていて分かると思うけど、はっきり言って、皮膚科とはあまり関係がない。私も皮膚科医なので、気が向いたり、何かのはずみで、医者らしいことを書いたり、皮膚病や宮内ひふ科という医院のことに触れたりするかもしれんけどね。
それに、日報というのも、単なるはずみでつけただけ。毎日こんなことを書いてられるわけがないし、ひまもないはず。でも、あまり流行らない医者なので、今の所、非常にひま。だから、それなりに更新しているのさ。忙しくて、医療崩壊と言われているような世界もあるのに。ごめんね、八幡浜のY先生。これはこれで悩みもあるんだから勘弁して下さい。

春になると本当に緑が目にしみる。緑というのか、こういう波長の光が人間の心にしみるように出来ているらしいんだね。いや、波長なぞというのは、同じものを見ていても、おいらの見ている緑と貴方の見ている緑と実はちがうかもしれんものねえ。

上のは、松山に事務長と一緒に自転車で行って、帰途、とある廃屋にびっしりついていたツタの適当に太い部分を引きちぎって、持って帰って、当院の庭に植えてみたのが一本だけ根付いたものだ。
これはツタだけど、いわゆる、夏づたで、甲子園を覆っていたので有名なツタだよ。ツタと言っても、ヘデラとかもツタみたいに言われるけど、葉の形、繊細に薄い感じ、色合いの生き生きした感じや、緑色の優しさ、紅葉した時の味わいなど、この日本のツタが一番だと思うね。
コンクリートの壁にまるでヤモリの足の吸盤みたいなのではり伝わって伸びて行き、春になって、可愛らしい葉を出して来ている。どんどん大きくなると、気味が悪いくらい伸びて、手に負えなくなるのだ、と誰かが言う。でも、おいらは、廃屋みたいなのに住んでみたいので、もうしばらく様子見ているつもりだ。

このツタみたいなのは、あけび。よく伸びてガレージの金網に登って行く所。ちっちゃな白い花が咲いたよ。小さなものは何でも可愛い。枕草子に書いてある通りだね。

上のは、裏の芝生駐車場の入り口のジューンベリーだ。2年前、植えたのだが、竹の棒で補強のつっかえをしていた。ところが、出入りの車が何度もつっかえ棒ごと押し倒して、根ごと浮いてしまった。折角芽が出ていたのに、やっと春が来たのに、まあ、こんな所に植えられたのが運が悪いのか、ごめんよ。もう駄目だろうね、と思いつつも、まわりに囲いを作ってみた。おお、なかなかの出来映えじゃないか。

翌日、雨が降った。よく見ると、白い花が。ああ、この子にも春が来たんだ。まだひと枝の先だけだけど。傷ついても、か細い声で、精一杯、春を告げているんだ。

けなげと言ったらいいのか、しぶといと言うべきか、自然は思いのほかに根強いものだね。

"die hard"のhardというのは、固いとか、つらいとか、いう形容詞じゃなくて、「容易には・・しない」っていう、否定的な意味を含む副詞なんだ。だから、例のブルース・ウィルス主演の「ダイハード」っていう映画も、ブルース演じる主人公が、そう簡単にはくたばらなくて、執念で危機を乗り切って悪党を追いつめるという意味のタイトルなわけだ。

ちなみに、「かろうじて、やっとの思いで・・する」っていう時は、narrowlyとかbarelyを使う。hardlyだと、ほとんど・・しない、になってしまう。前後の文脈を考えて、ああ、例のhardだねっていうふうに気づくことが必要だ。英語の勉強になっちゃった。ごめんよ。

そういうわけで、うちのジューンベリーもなかなか"die hard"な子なんだ。いいぞ、頑張れって、応援してやってくれ。柵を原色の赤か、黄色に塗ろうと思っている。もっと目立って、これ以上、自動車に踏まれないように。Sigeも踏ん張ってくれ。君なら何色にしたい? いっそ、白かな?

(追加)
ところで、今夜は事務長と一緒に「ブレーブハート」っていうDVDを観たんだけど、メルギブソンって、ブルースウィルスにえらく似てると思わないか?この役には顔がちょっと老け過ぎだよ。







2008年4月15日火曜日

鯛飯 <院長発>

<院長発>
普通、鯛飯と言えば、小さな鯛の白身肉片の炊き込みご飯だよね。松山周辺では、北条の鹿島さんに渡ると、渡し船乗り場の近くの海面の上に張り出したよしず張りの部屋で食べさせてくれるやつだ。これは中予、東予の鯛飯で、愛媛にはもう一つ鯛飯があるんだよね。
つまり、南予の鯛飯だ。これは、宇和島のWさんを訪ねて行って、港近くの某和風レストランで、Wご一家とともにご馳走になった鯛飯の夕食だ。左上はご飯、右上に鯛のお皿に盛られた鯛の刺身、中はおなじみのじゃこ天、右下は醤油、だし、味醂にウズラの卵を落としたもの。そこで、今晩は、その南予風鯛飯を、自宅でやってみた。

1500円くらいの天然の鯛があったので、大奮発してみた。まず、鯛をおろして、頭や腹はあら炊きにする。

片身を刺身にする。ウフフフ・・・。

刺身と海草類を、魯山人の角皿に盛り、出来上がったあら炊きを梅山のなずな手の丸皿に、ウズラの卵はないので、鶏卵を半分こずつ、炊きあがった五穀米を角さんの合六椀に盛って、準備完了。
いただきまあす。
まず、だし、醤油、味醂を合わせたものに、卵をかき混ぜて、それに、鯛の刺身と海草類を入れて、かき混ぜる。

それを、温かい五穀米の上にかけたところ。海藻が海藻臭さが感じられなくて、おいしく食べられる。宇和島のレストランで食べたのと比べて、どうかな? さすがに商品的完成度では劣るけど、これで充分いいじゃないか。

右上に見えるのは、魯山人の角皿だ。角偉三郎さんの朱塗りの合六椀が美しいでしょう? この人は2年ちょっと前に死んじゃって、この人の直接の作品はもう出来ないはずだね。すごい存在感。おいしいものはいい器で食べなくてはね。

鯛のあら炊き。今回は、おいらには少し甘さがたらなかった気がする。つい先だって、ヒラスズキとかいう魚を食べたけど、やっぱり鯛がおいしいねえ。

あら炊きや切り身はまだ沢山残っているし、明日以降のおかずになる。私たちはいわゆる「ハイソ」じゃないし、いろいろな料亭や、宴席とも縁遠い生活だ。どちらかと言えば多分つましく暮らしている方だ。それでも、豊かな気持ちで生きて行ける。

今日は、事務長さん、ご苦労様。

2008年4月14日月曜日

徒然雑草 その2


いやあ、みんな過酷な食生活を送っておるようだね。
そういや、うちの末っ子も、私の部屋に来て強制飯炊きを強いられた結果、
炊飯器に2カップの米と炊飯釜ギリギリまでの水をセットしてスイッチON!
「部屋に帰れば、ご飯が炊けてるって素敵〜!!」って
言いながら帰った私を待ち受けていたのは、毒薬を飲まされて泡を吹きながら
死んでゆくサスペンスドラマの女優の様な炊飯器であったよ。
お米はお水を吸うけど、やっぱり限界ってもんがあるんだな。。。。。。
うん。。。。。。。。。
かくゆう私めも、初めて自主的に料理をしようと考えて行動した時には
失敗するはずの無い素麺茹でを失敗した記憶が。
小学校高学年の時に、母が風邪かなんかで寝込んで、
「よっしゃ、素麺ぐらい茹でて、弟達に食べさせたろ!」
と、思い、素麺30分煮込みました。。。。。。。。。。
だってさ、何分茹でればいいか分かんないんだもん。
お好みの茹で上がりってなにさ!
ちなみに、茹でた素麺は何となくヤバい気がして、自分は箸を付けず
弟共だけに食べさせようとしたが、拒否られました。
母の枕元にも持っていった記憶が。。。。。
誰も食べてくれなかった素麺。可哀想。。。。。(涙)

悲しい記憶を掘り起こすのはやめにして、今日もばしょう科の植物。
チユウキンレン(地涌金蓮)といいます。
ばしょう科の中でも、上に向かって花が咲き、花の色が黄色という
異色な植物です。
見たい人は、植物センターに来てね。今なら甘い蜜が舐められるよ。
                                   chica

故郷の花 <院長発>

<院長発>
春がやって来て、桜がもう八分咲きか、と思っていたら、あっという間に散りかけて、おやおや、はや、おしまいだね。月並みな写真を沢山撮ったけど、公開しないままになってしまいそうな早さだ。そうか、Shigeも高校生なんだね。長くて辛い3年だった。君のもっと屈託のない笑顔がみられればいいのだが。いよいよ、これからが、君の鼎の軽重を問われる時だよ。いやあ、それにしても、4人の子ども達の中で、君が一番おしゃれなのかもしれんな。垢抜けしないおいらと似なくて良かった。
さて、桜三里の入り口から、山の上にどんどん上がった所に村里があって、事務長の知り合いで「千年の森」という運動を主催している人が住んでいるという。随分な山の中だ。それにしても、桜は何処でも咲いているもんだね。

細い道を上がって上がって、一番上のどん詰まり。その桜の二本ある、古いかや葺き屋根のお家にその人たちは住んでいた。今日は集まりがあって、桜の木の下で昼食だ。一品持ち寄りの、いわゆるpot luck partyというやつだ。

これで苗を植えてから30年ほどのものだそうだ。桜の寿命はあまり長くないらしいな。まだ花も咲かないうちから、緑の葉をつける枝は、何とか病と言って、切ってやらなければならないんだと。大きくなると手入れも大変だ。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」って言うけど、切った断端をちゃんと防腐剤で処理しておいてやればいいらしい。

もっと上の方に一人咲く桜。桜というのは、何となく、擬人化したくなる木だな。このように一人だけ勝手に咲いている奴やら、数本で群れになって咲いている奴やら。白っぽいのや、ピンクやら、緑っぽいのやら、色々あるといいな。

 古来、桜を歌った名歌は数多いが、私たちが知っているのは、その中でも限られた特に秀逸な歌ばかりなんだろう。それにしても、中学校、高等学校時代に国語・古典の時間に習ったものは、今もふと思い浮かんで口ずさめる。ありがたいねえ。千年もの時空を超えて、昔の人と想いが通い合うなんて。

さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな

                    平忠度「故郷の花」 


2008年4月12日土曜日

独り暮らしとは その二

"独り暮らしとは その一"の最後に独り暮らしで危ないのは食生活だ!と書いた。
で、どういう風に危ないのか?について今回書くことにしていたので書くことにしよう。

どう危ないのか?

と、いく前に、
いくつか僕が今まで見たり聞いたりした食の危ない話をしとこう・・・

一つ目
(何年か前、大学に入り損ねた僕は大阪の駿○予備校で浪人しており、5階建ての寮の3階に住んでいた)
ある日、
自室にいた僕は異様な臭いがするのに気がついた。
・・・腐っている・・・明らかに・・・
腐ったモヤシの臭いだ(,,゚Д゚)

1階(1階には、共同炊事場があった)に下りると、
友人が鼻歌まじりにモヤシを炒めていた。

腐ってるぞ、という僕の指摘に対する彼の答え
えっ!!早よ言うてや〜(´・ω・`)
ソーセージもう入れてもうたやん!

自分で気づけっ!!
(事後、僕たちは腐ったモヤシからソーセージを拾い出す作業を行った。
当然、洗って食べるために・・・)

二つ目
ある女の子が、天ぷらを揚げようとした。
鍋に油を入れ、火をつけると、その油はどんどん泡立っていく・・・・・
油と思ったものは・・・洗剤だった・・・・
(ある女の子とは、若かりし日の母のことである。ある日、僕にその失敗談を語った。
母の名誉のためにいうが、今は料理がうまい)

三つ目
作り置きとしてカレーを仕込んだ。
次の日、
授業があるので朝にそのカレーにもう一度火を入れ、学校に行った。
その日の授業が終わり、疲れ果てて帰った僕は鍋を開けて、驚いた
カレーがクリームシチューになっていたからである
腐っていた・・・ある夏の日・・・

四つ目
ある大学の先輩は、初めてご飯を(炊飯器で)炊こうとして
5合の線(5合炊くときに水を入れる線)までお米を入れたそうだ・・・・
・・・・実際には何合なのだろうか?・・・・・・・・・・
炊飯器は破裂(真偽は不明)したそうである・・・・・

その他
卵を電子レンジで、チン♪したら爆発した
米/野菜を洗剤で洗った
アルミホイルを電子レンジに入れたら電子レンジが壊れた
とか・・・・・・

世の中危険だらけですヨ
悪いのは自分の無知なんだけど・・・・・・ね。

以上は”無知”が結構一人暮らしにおいて危ないというおバカ話でした

(本当は、最初からおバカ話がしたかっただけなのだが・・・・)
最後は真面目に独り暮らしの食生活の危険性について触れときましょう
あるネットリサーチ
(参考URL:http://www.dims.ne.jp/timelyresearch/2007/070912/)では
下のような結果が出ているそうです。

● ほぼ毎日料理をする人、1人暮らしは3割未満
● ほぼ毎日野菜を食べる…女性の方が多く、1人暮らしは38.4%と少ない
● 野菜の購入頻度は「週に2~3日」が4割。2人暮らしが最も高頻度
● 最もよく買う野菜は「キャベツ」、生産地・生産国を重視する人は約4割
● スーパーは「価格」と「品揃え」、生協は「品質」と「安心」
● 1人暮らしの半数以上が、「野菜の摂取が足りていない」
● 野菜の摂取量が足りないと思った時は、「食事」よりも「ジュース」で


一人暮らしでは、
外食の人が多く/野菜の全体的な摂取不足があり/手軽さを重視してしまう
といった傾向が見られます。

こうしてみると、料理を家で作っていさえすれば/野菜をよく食べさえすればいいのかという問題はありますが、やはり、一般的に見て、一人暮らしの方が不健康な食生活をしていることが伺えますね。

独り暮らしの食生活について、皆さんどう思われますか?

でこぽん <院長発>

<院長 発>

「デコポン」というのは、ネーブルとポンカンのあいの子なんだって。ふ〜ん。国際結婚みたいなもんだね。「デコポン」の「ポン」は「ポンカン」の「ポン」なんだね。じゃあ、「デコ」は何から? おでこがあるから? おでこねえ?

まあ、確かに、へた側に出っ張りがあるな。これがおでこと言えば言えるかもしれん。
そして・・・、

裏側には、へそがある。
それじゃ、皮をむいてみましょう。へたの方からむいてみると・・・、

おやおや、中心にもう一つ、実みたいな構造があるよ。

へその方にくっついているみたい。こいつをへその方から、切り裂いてみると・・・、

なんとねえ。へそが陥没する形で、その内側に実がついてるんだねえ。ちょっと、悪趣味だったかな? 何と言うか、サディスティックでエロチックな感じ。自然の中のエロスをかいま見た気分。豊饒と死というか。Fertility and Fatality ・・・・。考え過ぎかな。

とにかく、デコポンは、ちょっと見てくれは美人とは言いがたいけど、気だてのいい子という感じだ。皮がむきやすい、内袋が薄い、とても甘いのに、適度に酸っぱい。そして、何と言っても安い。これで一袋が120円。安いでしょう?
おいらのお気に入りだよ。当分、デコポンを食べて暮らすんだ。
<院長>

2008年4月11日金曜日

徒然雑草


どうやら、長男が間借りするらしいので私も間借りすることにしました。
なんたって、家賃タダだし!
なんたって、敷金、礼金ないし!
実家帰っても、部屋無いなら、ここに部屋作るもんね!
子供部屋です。
てな訳で、長女の間借りブログは、日々徒然、
世話をしている面白い植物を紹介しつつ
書いていこうと思います。
どうぞ、よろしくね。
最初は、うちの温室で開花中のバナナです。
バショウ科の植物は大体、下向きに花が咲いていきます。
雄花と雌花は別々で、どんどん咲いていくにつれ、
雄花しか咲かなくなるので
果実は下の方にはつきません。
バナナが食べられるのは早くて5月下旬かなあ。

2008年4月10日木曜日

独り暮らしとは その一

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

と在原業平が詠んでいるように、
古来から桜は日本人の心をとらえて離さない

桜が咲くと、
春を感じ、どこか心の中でウキウキし
桜が散り行くのをみると
人生の儚さについて思いを馳せてみたりするのである

桜は昨日から今日にかけての雨で一斉に散りかけている
また、桜蘂(サクラシベ/桜の花が降った後に残る部分)も地面に落ちている

桜蘂降る とは、春の季語だそうだが、物悲しさを感じさせる言葉だ

しかし、新緑が萌えたつ季節がくる

と、なぜ思ったかというと・・・
下の写真を見てほしい














じゃ、ジャガイモが・・・芽吹いているort

ま、独り暮らし、こんなもんでしょう(゚c_、゚ )

というわけで、今日の夕食は決定!
・・・ジャガイモです
といってもジャガイモを一人でこんなに喰えるわけないので
スープにしましょう

♪ちゃんちゃん ちゃかちゃかちゃか ちゃんちゃんちゃん♪

ジャガイモを薄くスライスして電子レンジでチン、柔らかくなったら牛乳で煮る、で、タマネギのスライスとベーコンを炒めたものを加えて、コンソメ/塩こしょう/バジルなんかで味付け
(ソーセージを入れて、胡椒を効かすとドイツ風でうまいが、今ソーセージはない)

できた!!

というわけで、いただきます(´∀`)














ところで、ジャガイモの芽って毒があるんです
ソラニン(僕の弟ではないです☜内輪ネタ)といいます
大量に食べると危ないようです
僕は知っていたのできちんと芽は取りました

話は変わりますが
独り暮らしで何が危ないって、食生活です

どうゆう風に危ないか?
は、次の回に書くことにしようと思います

それでは



独り暮らしとは (ブログの中でブログ) 勝手に開始のお知らせ

inchoudonには4人ほど人間の子供がいる

inchoudonはその他にロナという猫を飼っており、
彼(ロナは♂)を5人目(人ではないが・・)の子供と考えている(らしい)

人間の子供は長女と長男、二男、三男の4人で
それぞれ日本各地に散らばって暮らしているため、
宮内ひふ科 兼 自宅にはinchoudonとその妻のみが暮らしている

さて・・・・ある日
長男は全国に散らばる家族の連絡板として、
”宮内ひふ科の日報”というブログをたてることにした
(らしい。それが本当なのかは不明であるが・・・・)

で、ブログをたてた

が、inchoudonは面倒なのか、あまりそのブログを更新せず、
活気に欠ける

ので、

勝手に
長男もブログの中でブログとして
”独り暮らしとは”という記事を書いていくことにした
(inchoudonが書く記事とは”独り暮らしとは〜”と題名をつけるので区別してください)

2008年4月7日月曜日

バーベキュー

長男(Haru 23)、次男(Sora 22)、三男(Shige 15)と帰省して、久しぶりに我が家はにぎやかだ。こういう時は、何かご馳走してやらなくては、というわけで、一昨夜は松山は千舟町のカツレツ亭で豚カツを食い、道後の椿湯に入った。とにかく、満腹することが幸福に結びつくという連中だ。
昨夜は、我が家の二階の中空庭で、バーベキューをすることに。我が家の中庭の中空は二階の床とグレーチングで面一につながっている。そのグレーチングの上に、学生時代からの遺産である電気ごたつを持ち出し、天板を置く。周囲に、ゴザを敷けば、家の中にいながら、屋外にいるような中空空間が出来上がる。まず、12年間使い慣らした長方形の七輪を出して、バーベキュー用簡単チャーコールに着火する。キャンプの必需品である長い火ばさみと渋うちわで扇ぐ。これだけでは火力不足なので、ほぼ火がついたら、木炭を投入。
夜7時前になって、外は暗くなって来た。屋外照明を点灯。二階の食堂と直結しているので、道具や材料の搬入は簡単。左に見える木は、一階の中庭に植えた白樫の木の次郎(植木屋の次郎さんにちなんで命名)の梢。こんな豊かな空間を作ってくれた飛鷹プランニングのヒーさんに感謝。
今日は、豚のバラ肉、鳥のモモ肉とシソやネギの串、牛のタンやツラミ、吉川から送られて来た三田肉の霜降り、フランクフルトソーセージ、それに野菜など。吉川のお母さんありがとう。それに、愛媛宇和島地方特産のじゃこ天もあるよ。
さあ、準備はできた。そろそろ焼き始めるとしよう。みんな、さっさと席に着いて。うちは酒は誰も飲まないけど、今日は、めったに買わないコーラがあるよ。Chikaさん、元気にしてるかな?



2008年4月4日金曜日

当家の娯楽事情

当家の娯楽は極めて限られている。テレビは、昔どこかでもらった古いテレビがあるのだが、テレビ用のアンテナが設置されておらず、室内アンテナで受信するので、画像が極めて悪い。ただし、あまり見ることはないけどね。是非とも見たいというほどの番組があれば、アンテナをあっちに向けたり、こっちに振ったり、つまみを微妙にこじったりして、汚い画面で見るわけだ。そろそろ寿命が近いのかな。でも、赤い筐体が愛嬌があって捨てがたい。
もう一つ、やはり長女が倉敷時代に友達に貰ったいつのものか分からない古いテレビデオがある。その友達は、Macに憧れていて、黒い筐体を白く塗ったんだと。刷毛塗りでね。刷毛目が痛々しい。ビデオは再生できるが、テレビは映らない。でも、楽しみの少ない私たち夫婦は、近くのレンタルビデオ屋さんで一週間一本100円のビデオカセットを借りて来て、週4〜5日の夜を楽しんで来た。

ところが、その唯一の楽しみと言えるテレビデオが、一昨日、映らなくなった。音声は出るが、映像が出ない。えええ〜。まだ見てないのが4本もあるのに。ホワイトノイズ状態の画面をにらんでいると、「クリーニングカセットをお試しください。」だって。ここは大奮発して、100均ショップとかいう店に駆け込んでみる。おおっ、あった、あった。これも100円、へへえ。100均て、何でもあるんだねえ。これで治ったら安いもんだよ。急いで帰途につく。
クリーニングカセットを挿入。ドキドキしながら待つ。
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やっぱり、駄目じゃん。映んないじゃん。まだ、見ていないカセットはどうなるの? 悲しい。夜をどうして過ごせばいいのか。途方に暮れる。
「それにしても、楽しみのない夫婦だねえ。」と思う? やっぱり、そうかな? いやそういうわけじゃないんだけど。ああ、でもやっぱりそうかなあ? よく分からん。