2019年1月1日火曜日

明けましておめでとう

明けまして、おめでとう。

例によって、年末の土壇場になって、図案をひねり出すのに苦労した。帰って来ていたShigeに、彼のノートパッドに向かってもらって、彼の横で、指図する。

画面一杯の鼻と小さな目と耳だ。こんな感じにね。うん、そう。ブタじゃないけどな。でもブタでいいんだ。似てて当たり前。ブタもイノシシも同類なんだから。


耳は左右非対称に、目と耳はひとつひとつ色を変えて、そうそう。そんな感じ。
顔の辺りをぼんやりグラデーションで色をつけて。いやいや、もっと薄く、もっともっと。いやそうじゃなくて、青色にしてみて。あれ、元の方がよかった。それ取り消して。もっと薄くして。

いらん、いらん。牙はいらない。ありきたりすぎる。
そうそう。出来た。いい感じじゃないか。

今年は、十干の己(つちのと)と十二支の亥(い・ゐ)の組み合わせである己亥(きがい)にあたる年なので、いのしし年ということになる。つまり、干支法は120年が一回りなのだね。

イノシシ(wild boar)はブタ(pig)の親戚みたいなものだ。この種族は、繁殖力が豊かで、子だくさんだ。今年は、子だくさんのイノシシみたいに豊かな年になるといいな。

昨年は愛媛も水害があって、大変だった。おとなしいブタみたいに平穏な一年であってほしい。

2018年12月24日月曜日

Merry Christmas ! <ライネケ>

今年も、クリスマスツリーを飾る季節がやって来た。

先週半ばも過ぎた頃、我が医院の現れたのは、なんと大男の白いあごひげの豊かな白人さんだ。サンタクロースがやって来たのか、と思った。

残念ながら、いい子にしていたライネケにプレゼントを持ってきてくれたのではなくて、患者さんとしてこられたのだった。
中央がサンタクロースさんのW,R,さん
腫れた右足にスリッパを履いてやって来た。
右端は、その息子さんのA.R.さん
二人ともライネケから見ればずいぶんな大男だ。
右足から脛にかけて、ひどく赤く、腫れ上がって、痛いという。高熱ではないが、発熱もあった。赤さも腫れもかなりのもので、どこか総合病院に入院してもらって、朝な夕な、抗生物質の点滴をしてもらわなきゃ、という印象だ。ただ、全身状態はそれほど冒されてなくて、重症の蜂窩織炎というところで、壊死性筋膜炎という重症感染症ではなさそうだ。もし、壊死性筋膜炎だと、ただちに入院して外科的処置をしなければ命に関わる。

今日が木曜日、明日は金曜日、土日になったら基幹病院は外来が閉まってしまう。とにかく、県立中央病院にでも紹介状を書いて、今日はとにかく、抗生剤を点滴して、明朝、さっさと入院してもらおうと思ったのだが、日本には、息子さんのいる伊予市に短期滞在のつもりで来ているだけで、医療保険も何も無いのだという。だから、当院でも自費診療で、当院で何とかして欲しい、と言うのだね。

う〜ん、と腕組みをして考えた挙句、もう夕方なんだけど、とにかく、これから抗生剤を点滴して、明日また来てもらって、考えるしかない。それにしても、こんな巨漢に、日本人と同じ量の抗生剤でええんかな? ということになってしまった。

金曜日朝、息子さんに付き添われて、彼がやって来た。包帯をとってみると、しめた、昨日より赤みも腫れもましなようだ。熱も昨日より下がっている。これなら、日に二回、朝夕、抗生剤を点滴して、乗りきれるかもしれない。月曜まで頑張れば、月曜には飛行機で、ロサンゼルスに飛んで帰れるという。

それで、金土日と朝夕2回来てもらって、点滴した。いつもは看護婦さんにやってもらうんだが、土曜日からは、ライネケ自ら、点滴の針を刺した。点滴を刺すなんて、もう10数年ぶり、いや、20年くらいやってないかもしれない。

無事、毎回一発で入って、日曜日の夜の最後の点滴が終わって、点滴の針を抜去したときは、ライネケは、医師として、日米友好の責任を果たした気になった。なにせ、日米中韓露とややこしい昨今だからね。

その後、日曜日夜の外来の待合で、ライネケ、ご本人、息子さんと三人並んで記念写真を撮った。翌日月曜日の朝には、ロサンゼルスに向かって、飛行機で帰米するのだという。帰りの飛行機乗るのに差し支えないように、その旨診断書を書き、帰国したら、アメリカの医療機関にかかるための紹介状を英語で書いてあげた。

その後、伊予市に住む息子さんに、携帯電話のCmailで、父上の安否を問うたら、
I heard he is doing good.
っていうことだった。

彼は、毎年このころになると来日して、エミフルでサンタクロースの服を来て、子供たちと写真を撮る仕事をしてたんだって。今年は、とんだ災難だったんだね。楽しみにしてた子供たちもいただろうに、ご自身も子供たちも、残念なことだったろう。

道後で、このクリスマスツリーを買ったのは、十数年前、末っ子くんと一緒の時だった。

とにかく、
Merry Christmas !











2018年8月22日水曜日

「送り火」  <ライネケ>

今年のお盆は暑かった。
自動車の車外温度計を見ていると、真昼に30分ほど、日陰に駐車した後、車にかえって車外温度計を見たら、摂氏40度になっており、走りだしてから38度になった。特に、松山市内は暑かった。松前はそれほどではなかったけど。

そんな中、お墓に行って、お迎えをした。
その前日には、そのためにご飯を炊いたり、いろいろ支度しなければならないらしいのだ。お迎えしたご先祖さまたちの霊にさしあげるお膳を「ご料具(ごりょうぐ)」というらしい。



ライネケの母親である道子お祖母さんが自分の心覚えのために書いたお盆のための支度表。
これを彼女が私たち後継者のために、わざわざ作ったとは思えない。何年前に書いたのかも分からない。文字を見ると、まだしっかりしている。今の彼女の字は、ずいぶん弱々しくなった。

昔の人々が、みなが皆、几帳面で用意周到であったわけではなかろう。それにしても彼女の万事にわたる記録、整理ぶりに、正反対の性格のライネケは辟易して育った。どうして、彼女のそういう部分が自分に伝わらなかったのかと、何度、情けなく思ったことだろう。特に試験の前なんかにはね。



米の炊くべき量なども細かく記録してある。
松山市育ちの彼女は、松前町に嫁いできて、地元の風に従うよう、ライネケの祖母に当たる七重さんから、きっとうるさく教えられたのであろう。

彼女は、以来、毎年毎年、8月13日には、指定通りにご飯を炊き、然るべきおかずを作り、14日には、お膳をお供えして、 15日にはそれらを下げたのであろう。


これがお料具のお膳なんだが、他に、


素麺やら豆やら油揚げやら、いろいろ、長い麻柄(おがら)にぶら下げて、お祭りする。

そして、午後、お膳を下げるとともに、ぶら下げた物たちも取りおろして、お墓にお参りするわけだ。

お墓では、お花と称する「樒(しきみ)」の水を足し、墓石に水をかけ、篤お祖父さんの湯呑みの水をとり換えて差し上げ、お墓の足元で、オガラを焼き、線香に火をつけ、お墓さんの線香立てに立てる。
一門亡魂、成等正覚、頓証菩提、過去聖霊、一仏浄土へ、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・

「南無阿弥陀仏」を合計九回唱えるのだが、四回ずつ二度に分けて唱え、最後の一回はゆっくりと「南あ無う阿あ弥い陀仏つううう」という感じで唱えてお終い。これで、ご先祖さまたちの御霊は西方極楽浄土にお帰りあそばすはずだ。

これで終わりではない。最後の仕上げがある。
例の仏壇にオガラに吊るしていた素麺やら油揚げや、きざんだ茄子やらを持って、お墓の西の海辺に向かう。
お魚さんたち、
いらっしゃあい!
とやっているのではないよ。

西の海に、先ほどのものを流してやる。海が汚れるんじゃないか、とちょっと心配になるが。
見ていると、本当に、魚がやって来て、食べようとした。

沖に向かって、流れ去っていくのを見送る。魚たちがやって来て、食べてくれれば、これも供養ということか。このあたりはチヌと言って、クロダイがよく釣れるんだ。

昔は、町には船大工たちがいて、小さなひな形の小舟を作り、それに、こうした供物を載せ、西海に流したそうだ。舟は一艘ではなくて、同じお盆の行事なので、墓参りを済ませた村人たちが集まって、何艘もの舟を、波打ち際から押し出す。それぞれの舟には点火したロウソクを立ててあり、暮れなずむ西の海に、たくさんの小舟が、ロウソクの明かりを輝かせながら、一斉に岸辺から遠ざかって行くさまは、一種の幻想的な壮観で、一見の価値があったそうな。

道子お祖母さんが嫁いできた頃の松前の町の風習だったという話だ。
「送り火」という言葉にふさわしい光景だったことだろう。
残念ながら、ライネケは見たことがない。





2018年8月17日金曜日

お迎え前

真っ赤なホンダに乗って、Gamaくんが帰ってきた。
ほんの1週間前、アメリカに行って、イギリスでも残り少ないと言われるスピットファイアやモスキートを観てきたんだそうだ。
仕事と趣味が一致しているのだとしたら、幸せなことだな。

当地松前町には、一昔前までは、お盆の時期に、送り火という習慣があって、お墓参りして、ご先祖さまをお迎えし、供養して、お送りする、という習わしだったんだそうだ。

それには、お迎えに先立って、まずお墓に行って、掃除しなければならない。
というわけで、ネコパコさんやGamaくんと一緒に、浜のお墓に行った。
とにかく、恐ろしく暑かった。
35度くらいあるんじゃないか?


君も手を合わせて、何かお祈りをなさい。祈るべきことはあるはずだろう?


毎月一回倉敷から帰っていた頃は、そのたびに掃除していたから、綺麗だった。こうして、ずっと松前に住むようになると、かえって、お墓から足が遠のいた。
墓石も古いのはずいぶん風化が進んで、読めなくなってきているが、まだ嘉永だの文久だのというのが読める。黒船がやって来た頃だね。


お墓掃除が終わって、お迎えの準備ができた。
そうそうに暑い中を逃げ帰ってみると、ゴロフクは涼しいところを知っていて、窓辺の風が通うところに寝ている。
ネコは元来エジプト原産なので暑さには強いと言うが、本当かな。毛むくじゃらのゴロはさぞ暑いことだろう。


破壊の神の申し子であるGamaくんが帰ってったあと、ガレージの扉を閉める際、ライネケは手持ちのヘルメットの一番まともなやつを、コンクリートの上に、落っことして、パーツの一部を壊してしまった。
不思議なことに、Gamaくんが来ると、かならず何かが壊れる。破壊と創造が一つごとであるなら、それでいいか。

2018年8月2日木曜日

テレビデビュー

皆さん、ネット上で、いろいろ感想を書き込んでいるようだ。

録画のために出てきた彼女が、ちゃんと化粧をしていて、息子のおいらは、一寸びっくりした。それにしても、自分で引いたはずの黛が二重になってて、あわてて、ネコパコさんが、それを横から塗りなおしてやるのが放映されているのには笑ってしまった。

おっかさん、いいですか、頭上げてこっち向いてくださいな。



町じゅうが空襲の大火災に包まれて、燃え落ちて行くのを見た彼女が、「美しい」といったことについて、さまざまのコメントが出ている。

さっと見た中では、おいらとしては、
https://togetter.com/li/1252561?page=2
のページで見た、虚無@nyaccy というひとが 2018-08-01 23:25:46 に書き込んだ意見が、道子さんの気持ちに近いんじゃないかなと思った。

「クロ現で語られた、空襲で燃える街を美しいと感じた女性の話、「心を麻痺させている」とか言ってる人もいるけど、ぼくはそれこそが「素」の感覚だとおもうの。美の本質ってそういう、現実を超えた、沸き立つ、もはや説明できない感覚の事だと思う。きっとただ本当に、圧倒的に美しかったんだとおもう。」

 『「素」の感覚 』というのは言い得て妙だ。「素」とは、英語で言えばplain 、ドイツ語だとeinfachとでも言ったらいいのか。一方、なんとかいうタレントさんのコメントは、理屈の考えというか穿ち過ぎだと思った。


4月以来、道子さんの衰えが目立つようになって、この4ヶ月ほどは、憂鬱だった。この憂鬱はこれからますます濃くなることだろう。
それまで、彼女のことは彼女自身に任せて、自分の好きなようにやっていただいていたのだったが、そうも行かなくなってきた。

自然は巧妙に出来ていて、人間も自然の一部のはずなんだが、ひとは成り行きに任せておくわけにはいかないのだ。老木が弱って、やがて、倒れて朽ちていくようには行かない。なんとか飲み食いさせて、身ぎれいに保ってあげて、気持ちがいいように過ごしてもらいたい。

ロナのように、ふとある朝、気づいたときにはいなくなって、この世から退場したらしいと気づく、なんていうわけにはいかないのが人間なのだ。

ここんところ、なにやかにやと彼女を引っ張り出し、彼女もそれなりに頑張ったようだけど、消える前のろうそくみたいになるんじゃないかな、と心配だった。

彼女は、自分に回ってきた舞台に、みずから進んで立ったのだろうか、本当は、迷惑だったのだろうか。それとも、働いてくれる周りの人々の一生懸命に応えるべく、ある程度無理して、役柄を演じてくれたのだろうか。

録画中、彼女を横で見守っていた私には、彼女は、それなりに楽しんでくれているように見えた。今回の一連の事件は、彼女にとって、いいことだったのだろう。

最近、3日前から、調子が悪くて、とうとう来たか!?と思った。明日の放映はみられるのかなあ?なんて気をもんだけど、昨日の夕には大分元気になって、自室の食卓の前で居眠りしている彼女を起こして、3人で、彼女の居間のテレビに見入った。

それにしても、軍用犬として出征して行った犬のアドヴィンくんの話は泣けたね。写真じゃなくて絵だったので、ひとしお、心にこたえたな。
ねこなべにして食っちゃうぞ、という話も、その手紙を付けた人は、悪気があったわけではなくて、きっと猫好きで、自分とこにあそびに来たねこを撫でたり餌をやったりした挙句、ちょっと冗談めかした手紙を付けて返してやったんじゃないかな、と思いたい。

今回の仕掛け人であったChicaさんも、えらく、強そうな女性みたいな感じで映ってたね。ホースからほとばしる水が印象的だったよ。

皆の衆、元気でな。

2018年7月14日土曜日

ネコパコ沈没

この間の大雨で、平穏だと思ってきた岡山や愛媛にも大災害が発生した。愛媛では、大洲、野村町、吉田町などが水没した。他にも、大きなニュースに上がってないだけで、あんなところが・・と絶句するような地域でも、かなりの被害が出ているようだ。

幸いに、松前町はあまり大きな被害はなかったようだ。でも、平穏無事というのは一種の幻想らしい。将来のことは分からない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ネコパコが沈没した。
ずいぶん前から、面倒くさがりのライネケに、3連休はどうするんだ、と訊いて、姫路吉川行きを楽しみにしていた。


よりによって、金曜日の仕事終わり頃から、全身倦怠、のど痛、咳、微熱がはっきりしてきた。久々の土・日・月の三連休だというのに。
前々日、駐車場のシダの茂み刈り、あれやこれやと連休のための準備や手配、それで、熱中症と夏風邪というところかな。

ライネケは、ここ数年、夏の初めになると、なぜだか鼻水が止まらなくなるという現象をのり切って、屋上の日除けネットを掛けた。


これがあると、二階への日差しがかなり減るので、夏になったらやっておかなければならない行事だ。


ほら、ずいぶん違う。

遮光といえば、10年ほど前、挿し木して、伸び出したツタなんだが、


いまでは医院の西側壁面をほぼ完全に覆い尽くそうとしている。
きれいだし、西日をかなり遮ってくれるだろう、と思って、生やしてみたんだが、ここまで行くと、コントロールが出来なくなるおそれがあるな。

そろそろ、考え時かな。

2018年4月10日火曜日

ペラペラヨメナ <ライネケ>

いつだったか、Chicaが持って帰ってくれたペラペラヨメナを植えておいたら、庭の隅で咲いた。いつの間にか、ずいぶん増えているようだ。

どこにでもありそうな雑草
中央アメリカ原産の帰化植物だそうだ。
道端になんとなく生えていて、そこいらを歩いていて視野に入っていても自分をとりまく世界の一部として、気にもとめないで見ているような草花だ。
我々の世界の把握のありようって、その程度のものなのかもしれんな。

朝日の中で
白さが目にしみる
今は白い花なんだが、やがてピンク色にかわるそうで、白旗は源氏、赤旗は平家というわけで、源平小菊って呼ばれたりするらしい。ペラペラヨメナっていうのも、ちょっと気の毒な気がするけど、源平小菊だとずいぶんいかめしく感じる。

鈴木祥太さんによる
彫金のペラペラヨメナ
本物のペラペラヨメナの株と一緒に、Chicaさんは、鈴木祥太さんの彫金作品を呉れた。とても良く出来てるんだが、ややくすんで見えるのは、わざとそういう作風なのか、それとも、店ざらしになってて、金属が古び、錆びたせいなのか。

鈴木さんの他の彫金作品を見ると、あまり色鮮やかなのはなくて、むしろくすんだものが多い印象なので、この作家の作風なのかもしれない。それにしても、花びらはもう少し白くても良いのではないか。しかし、葉の感じ、ひょろりと頼りなげに風に吹かれる茎の長細さ、ちょっと幸薄げな花のつけ方は見事に活写されている。

「こっちにおいで、ゴロちゃん。
ミルクを分けてやろう。」
お天気がいいので、草刈りしたばかりの屋上で、外出中のネコパコが作って行ってくれたサンドイッチとホットミルクの昼食を食べた。向こうでゴロフクがうろついている。

食後の珈琲を飲み、
枯れ草の下から、春の緑が生い出でて、
土を覆いつつあるのを見る。
うまく入ったコーヒーは、ミルクを入れると綺麗な色になる。
海の向こうの国の大詩人は、"Splendor in the grass"(草原の輝き)という米国映画の中で引用された同名の詩で、草原の草には輝やける壮麗さを、花には栄光を見出し、それらが失われても、 その奥に強靭さが残っていると詠った。かの国の人々は、神の恩寵である現世の多様さの裏に神の国の永遠の栄光を思い、雄々しく困難に立ち向かう強さを称えるのだ。

今、咲いたばかりのペラペラヨメナの花や若葉の瑞々しさに比べると、鈴木氏の彫金のペラペラヨメナは、広大な宇宙の片隅で人目につかないささやかな生命の存在そのものを表現しているようにも思える。その存在の意味やその裏にある大いなるものではなく、それを賛美するわけでもなく、ただ、一種の共感と親愛をもって。

ところで、伊予婆さまは、3週間ほど、一生懸命、ネコパコが水やりやら何やら、頑張ってしてくれたおかげで、大分元気になった。いわゆる認知症とかいうようなものではない。ただ、昔のあの人を、あの人たらしめているように思えた強靭な意志力みたいなものが、失われつつあるのじゃないか、という気がする。さびしいけど。