2018年4月5日木曜日

お花見  <ライネケ>

3月31日、最後の土曜日、ライネケとネコパコは、年老いた伊予婆ちゃんを車に乗っけて、10キロほど離れた伊予市の町外れの公園まで、桜を見に行った。

実は、2週間ほど前から、ちょっとした事件があり、93才の彼女の様子が以前と違ってきたような印象があるのだ。
よく気のつくネコパコが、三人でお花見に行こうと提案してくれた。
そう言われてみれば、おいらはあまり親孝行めいたことをした記憶がない。
そうだね。いい機会かもしれないね。

満開の桜を背に
お母さん、顔を上げて、
カメラを見てくださいな。
公園の人ごみから離れていて、しかも、駐車場からなるべく近くて、なるべく枝が低い桜の木まで、彼女に歩いてもらった。ライネケ母は、もう、かたつむりくらいのスピードでしか歩めないのだった。

持参した折りたたみ椅子に座ってもらって、三人で写真を撮った。

カメラに向かって手を振る彼女
草花が好きな人なのだった。
ちょっとピントがボケ気味なのは何故だろう。
彼女がライネケを生んだのは、彼女が25才の時だった。67才の今のライネケにとって、25才の女性なんて、ほんの小娘というようなものなのだが、お母さんもそうだったことだろう。

青少年時代のライネケにとって彼女は、気丈な武家の女という印象だった。ライネケが、何かの折に、元気を失なったり、不甲斐なかったとき、ライネケを叱咤激励してくれた彼女はもういない。

ライネケが、志望校を不合格になり、いやいやながら滑り止めの地方大学を受験に行く時、松山より遠くに行ったことのなかった息子に同道してくれたのが49年前。

ライネケは、その大学に現役合格したものの、どうしても行くのが嫌で、東京の予備校に逃げ出してしまった。そして東京から、愛媛の彼女に電話一本かけて、はるばる海を渡って、その地方大学まで退学届を持って行かせたのが48年前。ひどい話だ。せっかく医師への切符を手にしながら、惜しげもなく捨ててしまう息子のこれからを思って、彼女はどんなにか心痛めたことだろう。

やっと、ライネケが志望の大学に合格して、二人で京都に行って入学手続をし、下宿を探しに行き、京都の町を二人で歩いたのは、もうかれこれ46年前。二人だけで過ごした春の数日間は、ライネケにとっても、彼女にとっても、人生最良の時の一つだったことだろう。少しは恩返しになったかどうか。

爛漫の桜の花を背にして、93才になった彼女が、何かに向かって手を振っている。

ライネケが大学に行き、卒業し、医師として働き、結婚して子どもも増えてきたころも、いつも医院の奥の小部屋で事務仕事をしていた彼女。
ご苦労さまでしたね。



今年の春は、思いの外に急にやってきて、花も急いで散っていった。

花が散り、色があせ、春が過ぎて行くように、人は生まれ、成長し、生き、育て、そして衰え、去っていく。
人々の無数の思いが、この世界には満ち満ちているはずだが、世界は破裂することもなく、静かに時は過ぎていくようなのだ。

不思議なことよ。





4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

花は散るから美しいのでしょう。
人も育ち老いるから、愛しいのでしょう。
時間を大切にお過ごしください。
私もありがたく過ごしたいと思います。
仙人掌姉

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
ただ願わくば、いかに老いぼれ、衰え、耄碌しても、おむつを替え、お乳を飲ませてくれた人への愛情と敬意を失わないことを。優しい気持ちを持ち続けられることを。

kurashiki-keiko さんのコメント...

なんてきれいな満開の桜なんでしょう。
桜を見にご一緒されて、よい親孝行になりましたね。
わが義母にも同じような場面がありました。
ご近所でもご高齢のお父様を種松山の桜を見に行き、駐車場が満車なので車の窓から見せてきたわ、という人がいらっしゃいました。
やっぱり桜を見たい、見せたいと願うのはこの時期に心浮き立つものだからでしょうか。

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
kurashiki-keikoさま、
コメントありがとうございます。
親孝行と言うにはちと気恥ずかしい。
鶴形山の桜、そして、なんと言っても、倉中の桜が懐かしいです。
私は酒津公園の桜にはあまり縁がありませんでした。
今年は本当にあわただしく散って行きました。