2018年3月11日日曜日

春がきた <ライネケ>

また、春がめぐってきた。

鬼北町の広見川沿いのどこか
3月11日は東北大震災の日だ。なにはともあれ、亡くなられた方たちの冥福と被災地の復興を祈ろう。



山あいの水が下り集まって、膨れ上がり、溢れ、清冽な奔流となる。春の息吹。

そんな晴れの日曜日、ネコパコは1週間前の疲れが溢れたと見えて、寝こんでしまった。ライネケは、ひとりCBを引き出して、中山、内子を経て、鬼北、松丸まで、春を探しに行って来た。


川辺に降り立って、途中で買ったサンドイッチと缶コーヒーの昼食をとった。山は緑に、空は青く、雲は白く、大気は澄んでいたが、まだ冷たかった。

何重にも重ね着をして
お気に入りのAVIREXのカバーオールを着て

後ろの山裾に見える紅色の花は桃か梅か? 
桜ではないだろう。
春だ。

五十崎の小田川沿い
菜の花が花盛りを迎えつつある
土手の菜の花の間に座って、とりとめない思いにふける。
一体なんのためにこの世界はあるのか、なんて。
繰り返し、繰り返し、無駄な質問を繰り返す。

午後になり、山あいの影になる道の空気が冷たくなってきた。暗くなる前に帰らねば。
この後、再度、内子を抜けて、大瀬の知り合いの床屋さんを訪ね、広田村を通り、中山方面に抜ける山道に入り、さらに、中山を突き抜けて、再び山道、峠をたどって、双海の海に抜けて、伊予市を経て、帰宅した。


久しぶりに250km走って、燃費は27km/Lというところ。悪くはないな。
ずっとアクセルをひねってきた右手と頻繁にクラッチレバーを握ってきた左手が、ニャンニャンになってしまった。明日は腱鞘炎かも。

ネコパコの風邪は良くなってきたかな?

ただいまあ。ああ、疲れちゃったよお。
晩ご飯は なにい?








2018年3月10日土曜日

おめでとう  <ライネケ>

Capiさん、Chicaさん、心からおめでとう。
あなたたちにとって、これまでの人生で、ひときわ大きな慶事であったことだろう。

「上古の庭」の前で
松尾大社の両主神でおわします大山咋神(おおやまぐいのかみ)と中津島姫命(なかつしまひめのみこと)が、神将どもをお遣わしになって、あなた方の背後にむら立ちうずくまる巨石群となって、御夫君とならぶあで姿の貴女を、守護させてくれているように思えました。

両家一同
正直に言って、式を京都で挙げると聞いたときには、どうしてそんな面倒なところで、と思ってしまい、上京するのが億劫でした。しかし、前日夜、早春の渡月橋を渡ったとき、東の空に満月が上がるのを見た翌日の晴れた日に、日本の古都の由緒正しい神社で、大好きだったという重森三玲氏の三庭園を、まるで貸切のように舞台にして、人生の門出を祝えたということは、あなたの選択眼の正しさを証明し、あなた方が神に守られているという気がしました。

新郎を除く両家ボーイズの揃い踏み
Haruno-Hiro夫婦の時もやりました両家ボーイズによるアーチ。ついにおいらまで駆り出された。それにしてもおでこが広くなって、まるで三番叟の翁だな。

社殿の神様の前で
新郎新婦と参列者一同
松尾大社の盃でお神酒をいただき、
無事、式は終了した。


前日夜の夕食も宴席での食事も、大変結構でしたし、器類もさすが京都と思わせました。そして、あなたの選んだ衣裳も素晴らしかった。いい目をお持ちになったね。うれしいよ。

あらためて、おめでとう。

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さて、

S56.8.28のChicaが見える
どこが?
と訊かれると困るんやが・・・。
ネコパコのお腹の中に貴女が宿ったのは、奇しくも京都大学近くの八畳一間の長屋の一室でした。成長した貴女は、大学は京都の学校に進学したし、京都とは意外に深い縁があったわけだね。

生まれたばかりのChica

貴女は、私たちにとって最初の子供だから、名前をつけるとき、画数が少ない字で、初めの意味の「元」をつけようと思った。「もとこ」だとちょっと響きが重いかなと思って、漢和辞典を引くと人名訓のひとつに「ちか」と読めるとあったので、「元子」と書いて、「ちかこ」と命名した。

その頃、毎月のように通った吉川への道の途中にある丹波篠山の街に立ち寄ったものだが、商店街にあった「頓」という軽食喫茶店のおかみさんが、chicaの顔を見て、「笑顔良しさんやねえ。」と褒めてくれたのが嬉しい思い出だ。

吉川爺ちゃんと吉川婆ちゃんと
そして、
後ろには、まだ小さいHarunoと
吉川には、足しげく通った。朴訥で働き者だった吉川爺ちゃんは、早くに世を去り、今は施設にいる吉川婆ちゃんには、本当によく可愛がってもらった。

小学校4年生の夏休み
愛媛の医院前駐車場で。
左から
Chica、Haruno、伊予婆ちゃん、Sora、伊予爺ちゃん、ライネケ
まだ、Shigeはいない頃
一年に春夏秋冬があるように、一生にも春夏秋冬がある。この写真の頃のライネケは夏だろう。伊予婆ちゃんはまだ若く見えるけれど、伊予爺ちゃんは、急速に冬が深くなってきているというところかな。もちろん君たちは早春だ。


そして、あなた方は、いよいよ、人生の夏を迎えることになるだろう。


思い出せば、切りがないのだが、
きつねこ一家 瀬戸内海を渡る
建設途中の大鳴門橋を背景に
海風に吹かれる
一見、植物とは縁がなさそうに思えたのに、倉敷での中高時代を経て、どういうわけか関東の園芸学校に学ぶことになったChicaさんだったが、その後、京都の大学に編入入学してからも、ずっと草木と関わるようになった。


4月
余呉湖のたもとで
タンポポの花冠を編んでもらって

そして、今にして振り返ってみれば、あなたの周囲には、常に草花があった。

滋賀医大の官舎の庭で
シロツメグサの緑と白い花共に埋もれ囲まれて、笑っている貴女は、私たちにとって天使そのものだ。これから冬が深くなっていくはずのライネケは、ことあるごとに、この姿を思い出すことだろう。そして、かつての暖かかった春を振り返り、あなたたち子供たちのことを思い起こせば、いつでも、胸の中にある暖かさを身に沁みて感じることだろう。

どうか、いつまでも幸せに。