7月29日土曜日、外来を終えたライネケとネコパコは、松山ICから高速道路に乗り、ひたすら滋賀県をめざしたのだった。
伊予西条ICのあたりで、ふとバックミラーを見ると、後方に、赤灯をつけた車両が見えた。慌ててアクセルから足を離したが、遅かった。
「松山から西条まで80キロ制限なんですよ。」
と覆面パトカーの婦警さんが説明してくれた。運転席の前のダッシュボードの下に取り付けられた表示に、105.5キロという数字が出ていた。
「24キロ超過です。違反点数は3点です。3ヶ月違反がなければ、消えます。」
ハイハイ。3ヶ月だね、とおいらは頷いた。
「この青い紙に拇印を二箇所押してください。」
ハイハイ。最近の印肉はサラサラしてるんだねえ。
取締車両の後ろ席のおいらの方に体を向けながら、婦警さんは青い紙と白い紙を手渡してくれた。
「それで、18000円振りこんでください。この青い紙は適当に処分していただいてかまいません。」
ハイハイ。年貢の納め時ということでござるな。以後、気をつけて走ります。お役目、大儀至極にござった。
滋賀に行って、久しぶりに空飛ぶGamaくんことSoraちゃんを見た。30キロ飛んで着水し、アシストのボートに引き上げられた彼は、ほとんど自分の限界を越えた直後、身を動かすこともままならぬ様子で、ずいぶん気が立っているように見えた。
これはいつもの彼なのだろうか。自分への怒りを押し殺しているかのようだった、と言ったら、うがち過ぎだろうか。強くて、しかも心優しい人でいてくれ給え。
キツネコ一族だけでなく、Harunoくんの嫁御のご両親まで、はるばるお越しくださって、40度前後の日差しの中を見守ってくださった。両家一族合わせて、一体何人いたのだろう。集合写真を撮るべきだったが、忘れた。
さらに、彼の空の旅を支えてくださった多くの方々一人一人にお礼を言いたかったが、一部の方たちにしか言えなかったのが心残りだ。「人力」とはよく言ったものだ。文字通り、多くの人達の力の集結によって、このような場が催され、機体が作り上げられ、飛ばされ、飛行への思いを分かち合うことが出来るのだから。
う〜ん、Soraちゃんはね、Gamaくんはね・・・。おいらにとって、当家の子どもたちは、みんなそれぞれ、縁あって私たちのもとにやってきた者たちだ。今はなきロナも、今いるゴロだって、その一人一人だ。特にこの子が、この人が、ということはない。才も不才も、姿の良し悪しも、金のあるなしも、地位の高か低くもない。みんなそれぞれ愛おしいものたちだ。彼も、たしかに、ちょっと変わり種ではあるが、縁あって私のもとに来て、私たちのもとから飛び立って行った者たちの一人として、そのこれからに、幸あれと祈らずにはいられない。
首を切られない程度に、十分、静養をとってくれ給え。
滋賀を出て、途中ネコパコを吉川で下ろしたあと、ひとり愛媛をめざして、走った。3ヶ月はおとなしく走らなければならないことを忘れて、夕闇が迫り、夜になった高速道路をひた走った。いろいろ思いを巡らしながら、ぼんやりと暗闇の中を走るのは慣れている。16時ころ彦根を出て、650キロを帰って来たら、22時過ぎだった。
家の中からゴロの鳴き声が聞こえた。
待っていてくれるものがいるというのはうれしいものだ。
伊予西条ICのあたりで、ふとバックミラーを見ると、後方に、赤灯をつけた車両が見えた。慌ててアクセルから足を離したが、遅かった。
「松山から西条まで80キロ制限なんですよ。」
と覆面パトカーの婦警さんが説明してくれた。運転席の前のダッシュボードの下に取り付けられた表示に、105.5キロという数字が出ていた。
「24キロ超過です。違反点数は3点です。3ヶ月違反がなければ、消えます。」
ハイハイ。3ヶ月だね、とおいらは頷いた。
「この青い紙に拇印を二箇所押してください。」
ハイハイ。最近の印肉はサラサラしてるんだねえ。
取締車両の後ろ席のおいらの方に体を向けながら、婦警さんは青い紙と白い紙を手渡してくれた。
「それで、18000円振りこんでください。この青い紙は適当に処分していただいてかまいません。」
ハイハイ。年貢の納め時ということでござるな。以後、気をつけて走ります。お役目、大儀至極にござった。
これはいつもの彼なのだろうか。自分への怒りを押し殺しているかのようだった、と言ったら、うがち過ぎだろうか。強くて、しかも心優しい人でいてくれ給え。
キツネコ一族だけでなく、Harunoくんの嫁御のご両親まで、はるばるお越しくださって、40度前後の日差しの中を見守ってくださった。両家一族合わせて、一体何人いたのだろう。集合写真を撮るべきだったが、忘れた。
さらに、彼の空の旅を支えてくださった多くの方々一人一人にお礼を言いたかったが、一部の方たちにしか言えなかったのが心残りだ。「人力」とはよく言ったものだ。文字通り、多くの人達の力の集結によって、このような場が催され、機体が作り上げられ、飛ばされ、飛行への思いを分かち合うことが出来るのだから。
う〜ん、Soraちゃんはね、Gamaくんはね・・・。おいらにとって、当家の子どもたちは、みんなそれぞれ、縁あって私たちのもとにやってきた者たちだ。今はなきロナも、今いるゴロだって、その一人一人だ。特にこの子が、この人が、ということはない。才も不才も、姿の良し悪しも、金のあるなしも、地位の高か低くもない。みんなそれぞれ愛おしいものたちだ。彼も、たしかに、ちょっと変わり種ではあるが、縁あって私のもとに来て、私たちのもとから飛び立って行った者たちの一人として、そのこれからに、幸あれと祈らずにはいられない。
首を切られない程度に、十分、静養をとってくれ給え。
滋賀を出て、途中ネコパコを吉川で下ろしたあと、ひとり愛媛をめざして、走った。3ヶ月はおとなしく走らなければならないことを忘れて、夕闇が迫り、夜になった高速道路をひた走った。いろいろ思いを巡らしながら、ぼんやりと暗闇の中を走るのは慣れている。16時ころ彦根を出て、650キロを帰って来たら、22時過ぎだった。
家の中からゴロの鳴き声が聞こえた。
待っていてくれるものがいるというのはうれしいものだ。
7 件のコメント:
<ネコパコ>
慌ただしく、心を落ち着かせる時間がなく過ぎてしまいました
あとになって考えればちょっと残念
脇役であったとしても、そうそう出会える場面ではありませんでした
得難い機会をありがとう、そしてお疲れ様
始めたことをどうやって終わりにするか、これも実に難しい命題だと思います
とくべつ納税ご愁傷様でした。
前回から10年、
ガマ君が逃れられない宿命なのだと語っていたのだから、
彼に縁ある者として
その宿命のたどり着く先を見届けることも
また宿命なのだと思いました。
行って良かったと私は思いました。
写真を撮るのを失念する程、夢中になるってなかなかないです。
ガマ君も私たちもその時の精一杯をやり遂げました。
それで良いと今は思います。
皆んなお疲れ様。
皆が無事にそれぞれの家に辿り着いて、それが一番です。
仙人掌姉
<ライネケ>
いや、あれだけ、一族の面々が出揃うって、なかなかないことなので、あとから考えれば、ちょっと残念です。どうして、後でみんなちょっと集まって、どこかでお茶でも飲んで、解散しなかったのか。
それにしても、免許返上なんてことも考える年になってきたしね。ゴールドカードへの夢は絶たれたかな。
残念です。
<ネコパコ>
前回から11年ですね、実に。
月日の経つのは早いものです
写真を撮り忘れたのはもちろん、忘れていることは他にもあって
UVカットのクリームを塗りなおすこともすっかり忘れておりました
朝6時に塗ったきりでした。
後悔先に立たず…
立派なコゲパン君になって、後はどうにでもなれとやけくそ気味です
<ライネケ>
30年以上も昔、滋賀県の病院で一緒に働いた皮膚科の先生が、彦根で開業していて、久しぶりにその先生と会って、その先生も誘って、コンテストを観た。
彼は元来色白で、朝の10時ころから午後3時までずっと立ちっ放しで見ていてくれたのだが、あっという間に、顔も腕も真っ赤に日焼けしてしまった。
翌日からまた仕事をしなければならなかっただろうに、辛かったことだろう。付きあわせて、気の毒なことをしてしまった。
彼は、Shigeくんが出産するとき、たまたま倉敷に来ていて、おいらと倉敷市内で昼飯を食っている最中に、出産が始まり、この時も、ごちゃごちゃの中で分かれることになってしまった。
不思議な縁だ。
人は様々な人と色々な縁で繋がっているのだね。
何を隠そう、うちの旦那様も四国の高速道路をのんびりと飛ばしていましたら、2度もスピード違反で捕まったことがありました。一度はこちらの院長先生と同じような場所で、もう一度は徳島へ向かっていたトンネルの出口のところでした。車が少ないのでつい油断してスピード出しすぎていたら、制限速度70㎞だとかで。岡山だったら国道2号線で平気で90㎞くらい出していますのでこれはショックでしたね。
ともかくも、事故を起こしたわけではないのでまあ、しょうがないとお払いしましたね。
油断大敵です。
<ライネけ>
kurashiki-keikoさま、
コメントありがとうございます。
今調べてみましたら、徳島道は、おおかた全線、最高速度70キロ制限だということですね。松山道で懲りたけど、徳島道も気を付けるようにします。
一日に二回も捕まったら、正直言って、しばらく立ち直れないかもしれない。それどころか、免許取り消しだってありえますね。
クワバラ、クバワラ。
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