昔は、郷里を離れて、遠くに遊学するとかいうときは、まなじりを決して、「男子志を立てて郷関を出ず 学もしならずんば 死すとも帰らず。」とかなんとか言って、家を出たんだろうが、現代は違う。
東京まで行くとして、我が家から空港まで10分間、松山空港から羽田まで1時間半、羽田から都内まで1時間というわけで、ほんの半日足らずの道のりだ。
今年3月、自由学園を卒業したShige君も、4月から社会人になって、忙しく働いているようだ。毎年夏休みになると、高速夜行バスに乗って、早々に帰省していたのが、今年はお盆になってやっと帰ってきた。肉を食べたいという希望を聞いていたので、ネコパコが大奮発して、今夜はステーキだ。
いつもはひと夏ずっと、ひと月以上も我が家でごろごろして暮らして、夏の終わりに、いやいやながら上京したものだが、今年は数日いただけで、もう上京するという。
後の門扉にネジ止めした表札は、たしか5年前、彼が学園の工作室で作ってくれたものに、緑色のペンキを塗った。いつの間にやら、錆が出てきて、これはこれでいいのかな。
門扉も木塀も7,8年前、彼が一人で全部塗ってくれた。それに、松山市内の廃屋の前に延びていたツタをむしりとって来て、挿し木したツタがこんなに伸びて、わが家の塀をおおいつくすようになった。
いつの間に、こんなに大きくなったのだろう。オイラより背も高くみえるけど、遠近法のせいか? いやオイラがちぢんだのかも知れない。学生時代は随分とんがった髪型をしていたのに、すっかりサラリーマンらしくしていて、今では、給料を貰って、自活して生きて行くようになった。
とうとう、私たちのもとには被保護者というものがいなくなり、私たちも保護者ではなくなったわけだ。
3月の卒業式の時には、まだ彼は私にとっては、あのShigeちゃんだった。しかし、今はもう、彼は私と対等な立派な男なんだ、と思える。
Chicaに始まり、Shigeに終わった子育て時代は35年にして、とうとう終わったわけだが、親であった私たちの心のなかには、彼らはいつまでもあの頃のままで居続けるような気もする。
物理的には、東京は昔よりはるかに近くなったというのに、彼らと私との距離は随分拡がったように感じる。それでいいんだろう。
そうそう、昔、ライネケが中学生になって、漢文を習いだした頃、伊予爺ちゃんが、教科書の例文を指さして、これを読んでみろ、という。50年も前の話だ。
「学若不成 死而不帰」
オイラは答えた。
「学もし成らずんば 死して帰らず」
伊予爺ちゃんが笑って言った。
「死んでしもたらいくまいが。”死すとも帰らず”じゃろが。」
おかげさまで、まだおおむね、元気みたいだ。いつまでこうしていられるかは分からないが。
東京まで行くとして、我が家から空港まで10分間、松山空港から羽田まで1時間半、羽田から都内まで1時間というわけで、ほんの半日足らずの道のりだ。
今年3月、自由学園を卒業したShige君も、4月から社会人になって、忙しく働いているようだ。毎年夏休みになると、高速夜行バスに乗って、早々に帰省していたのが、今年はお盆になってやっと帰ってきた。肉を食べたいという希望を聞いていたので、ネコパコが大奮発して、今夜はステーキだ。
大奮発のビーフステーキ |
いつもはひと夏ずっと、ひと月以上も我が家でごろごろして暮らして、夏の終わりに、いやいやながら上京したものだが、今年は数日いただけで、もう上京するという。
立派な一人前さんにおなりだね |
後の門扉にネジ止めした表札は、たしか5年前、彼が学園の工作室で作ってくれたものに、緑色のペンキを塗った。いつの間にやら、錆が出てきて、これはこれでいいのかな。
手持ちの緑色のペンキで塗って、 取り付けた頃はまだ、新しかった。 |
やややっ! オイラより背が高くなった? いつの間に? |
いつの間に、こんなに大きくなったのだろう。オイラより背も高くみえるけど、遠近法のせいか? いやオイラがちぢんだのかも知れない。学生時代は随分とんがった髪型をしていたのに、すっかりサラリーマンらしくしていて、今では、給料を貰って、自活して生きて行くようになった。
とうとう、私たちのもとには被保護者というものがいなくなり、私たちも保護者ではなくなったわけだ。
3月の卒業式の時には、まだ彼は私にとっては、あのShigeちゃんだった。しかし、今はもう、彼は私と対等な立派な男なんだ、と思える。
生まれて間もないころのshigeちゃん |
Chicaに始まり、Shigeに終わった子育て時代は35年にして、とうとう終わったわけだが、親であった私たちの心のなかには、彼らはいつまでもあの頃のままで居続けるような気もする。
物理的には、東京は昔よりはるかに近くなったというのに、彼らと私との距離は随分拡がったように感じる。それでいいんだろう。
そうそう、昔、ライネケが中学生になって、漢文を習いだした頃、伊予爺ちゃんが、教科書の例文を指さして、これを読んでみろ、という。50年も前の話だ。
「学若不成 死而不帰」
オイラは答えた。
「学もし成らずんば 死して帰らず」
伊予爺ちゃんが笑って言った。
「死んでしもたらいくまいが。”死すとも帰らず”じゃろが。」
おかげさまで、まだおおむね、元気みたいだ。いつまでこうしていられるかは分からないが。
Chicaさんのシンガポール土産のランプ 暗いけど、暖かくなる。 |
8月末の今日、風が随分秋めいてきた。
みんな、元気でいて下さい。
5 件のコメント:
ちなみに8/23が彼の誕生日である。
はるのにいや、さぼてんさんの誕生日は忘れるが、彼の産室の布団を担いで幸町公園脇をてくてく歩いたので、覚えているのである。
今月は帰るよ。
がま
<ライネケ>
Gama君、元気か? ヘルペスは治ったか? また、何か企んでいるようだね? 成功を祈るよ。
オイラは人の誕生日はおろか、自分の誕生日もあまり意識していないよ。特別に何かするなんてことも考えない。20才の時だけはお手盛りで万年筆を買ったけどな。
そうだったね、8/23。暑い盛りの倉敷で、オイラは滋賀県からやってきた友人と一緒に、「あずみ」で蕎麦を食っていた。そこでポケットベルが鳴って、3人のうちの誰かが、先にA産婦人科に行ってるから、すぐ来い、と言ってきたので、慌てて駆けつけると、産室の中で、ネコパコの周りを皆が取り囲んで、うちわで扇いだりして応援していた。
Shigeは、そういうわけで、皆にとって、兄弟の一人というより、遅れてやって来た赤ちゃんだったので、ずっとそういう扱いが続いたわけだ。
どちらかと言えば、我が家の上の子どもたちは皆、技術系の人間になり、ビジネス系ではない様なので、少し毛色の違ったShigeに、オイラは密かに期待するものがある。
皆それぞれ、何物かになっていくよう祈っている。
<ネコパコ>
さすがに産院で使う布団は持参しませんでしたがSORAが入院用の荷物が入ったカバンを持って付き添ってくれたのは確かです。二人でぶらぶら歩いて入院したのです。途中で産み落としたらどうするつもりだったのかしらん。ま、幸いそんなことにもならず、家族みんなが揃うまでお利口で待っていましたね
ふーん、年の離れた末っ子って、みんなが生まれた時から知っている、ということなのでしょうね。そういえば、私の下の弟も8つ違いだったので、そんな感じでいつまでも赤ちゃんというイメージでしたね。
Shigeくんも立派なサラリーマンにおなりですか。いろいろお家の造作に貢献なさっていたのですね。感慨もひとしおですね。
<ライネケ>
Shigeくんは、多分私にとってはいつまでも「Shigeちゃん」でしょうね。
親にとってはこどもはいつまでも子どもなのじゃないでしょうか。
彼は何も不平らしいことを言わず、いろいろ役立ってくれました。ありがたい子です。
ありがとうよ。
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