金子光晴の「マレー蘭印紀行」をはじめて手にとったのはいつだったろうか。
学生時代だったような気がするが、今となってはもう昔の事としか思い出されない。
文字の隙間から漂う怪しい南国の香りとなにやら響きが心地好い地名たちに魅了され、
今でもふと存在を思い出しては時折本棚から探し出し頁を開く。
サゴヤシの物憂げに垂れた葉を腐りかけの果実を浮かべた波が洗う。
下品な朱色に染まった唾液が音をたてる檳榔売りの女の口許。
マレー半島は私にとって明るい日差しの下で気怠い淫靡な風土であり、
マレー半島は私にとって明るい日差しの下で気怠い淫靡な風土であり、
植物を学ぶにつれて興味をそそられる未開の森林だった。
山歩きも水遊びも好まない、
鉄骨の梁に支えられた硝子張りの部屋の中でも陰に蹲って眠り続ける事を望む私には、
熱帯雨林を己の眼で見ることなど非現実を通り越して遥か彼方の銀河の話だったのに、
気付けば何故か滴る汗を拭いながら山道をひたすら歩いていた。
2日前に上空を旋回した時、なによりも驚いたのは土の赤さだ。
明るいオレンジ色に見える土壌が水に溶け出すと河の流れも色づいている。
等間隔に植えられた樹木からプランテーションが広がっているのが分かる。
竹から葉をもいで投げたような小さな船が浮かんでいる。
イギリスで雨の香りの中に感じた人間の征服感漂う草原でも、
アメリカで通り過ぎた物悲しさの漂う牧地でも、
オーストラリアの上空を通り過ぎた時見た、人間という生物を必要としない赤い大地でもなく、
マレー半島の島々には、放り出し広げた女の足の間のような投げ遣りな空気が漂っている。
最後の秘境を有しながら、人間に犯され続ける傷つき疲れ果てた土地。
1 件のコメント:
<ライネケ>
ちょっと抑鬱傾向が強すぎるのでは?
今、ひどく暑い季節なんだから、もっと涼しそうなことも書いておくれよ。
それで、思い出話を一つしよう。
「土が赤い」といえば、中学生の頃、スペイン人の神父さんが、英語の時間を担当していた。
授業が始まると、すごいスペイン訛りで、
「プリーズ オーペン ヨーる(巻舌のR)テクストボーク エンド 。。。」
" Please open your textbook and ...."
って始めるんだ。ある日のこと、コロラド渓谷のことを書いた英文を読んでいて、どうしてだか、
「ミヤウチクーン プリーズ スタンドアップ。 ”コロラド”ってどういう意味ですか?」と質問してきた。
おいらは、目を白黒して、「ええ〜。固有名詞だから、意味なんてありません。」と答えたら、その神父さんは怒りもせず、言った。
「コロラドというのは、赤い土という意味でえす。」って。
なるほどね。
随分あとになって、「薔薇の名前」というショーン・コネリー主演の映画に、中世ヨーロッパで、宗教裁判の裁判官として北イタリアの僧院にやって来た坊さんが、恐ろしくそのスペイン人の神父さんに似ていて、びっくりした。
学生たちには人気最悪だったけど、どういうわけか、おいらは不思議なことにいじめられなかったよ。
「コロラド」ってのは、スペイン人探検家が当地にやってきて、山岳部からコロラド川の流れに混じって運ばれる赤い泥にちなんで、なづけた地名らしいな。
やっぱり涼しくならん話だったな。
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