院長と事務長が飛ぶ乗り物に乗って、東の街に遊びに来てくれました。
仙人掌姉は1日しかお相手出来なかったんだけど
今回は、それなりに楽しく過ごせてもらえたのではないかと思っています。
3泊4日の日程で、体操を見たり下町をぶらぶら歩いたり
院長が昔、気合を入れるために食べたハンバーグを食べさせてもらったりして
最終日は、中華街に行きました。
これは食べるべきかどうか悩むよね。
食べなかったんだけどね。
何処かの路地裏。
愛らしい豚ちゃん。
この後チャーシューにされて肉饅頭の具材にされてしまうのです。
哀れ・・・・・。
学校の校庭にはためくのは、万国旗じゃないんだね。
覆面と手袋をした猫氏。
夜になると、一族の裏切り者に見せしめを与えるために
暗躍するので、全身黒づくめなんですね。
怖いお国柄ですね。
針鼠も饅頭にされてしまうんです。
油で揚げて食べられないものは無いんですな。
可哀想なハリネズミ達は、
恐怖のあまり内臓が全部カスタードクリームになってしまっていました。
これから島に帰るために、ミレニアムファルコン号に乗る処です。
何処でもドアがあるといいのにね。
タイムマシーンはいらないや。
いろんなスーパーマーケットや百貨店や市場を見たけれど
時間と思い出は、どこにも売っていないんだよ。
2 件のコメント:
<ライネケ>
どこだったかのレストランで食べた松茸の土瓶蒸しコースは、なかなか良かったね。松茸がやたら松茸の香りがしたのは、本当の国産松茸だったのかどうか、疑問だけど。
故郷のマチから10キロ以上遠くに行ったことのなかった吾輩が、受験のためにはじめて東京に行ったのは、今から45年以上も前のことだった。吉田の飛行場と呼んでいた松山空港から、フレンドシップという高翼の二発プロペラ機に乗って、一旦高松に降り、そして羽田に飛んだのだった。羽田上空で波立つ海面が見えて、気分が少し悪かった。
太平洋戦争の焼け野が原から復興して20数年目というのに、東京は、どこまで行っても、街並みが続き、国電の高架を走る電車の窓から見はるかす限り、夕暮れの大東京がどこまでも続くのだった。当時から、漢文フェチだったライネケは、日暮里という地名を見て、「日暮郷関いずれの所か是れなる 煙波江上人をして憂えしむ」なんつう詩句を思い出して、車窓に顔をくっつけて夕日を見たもんだよ。
ミレニアムファルコン号に乗っても、東京は遠い。そして、東京の冷たく固い空気を吸うと、あの頃のすったもんだを思い出して、トラウマで胸が痛むよ。タイムマシンがあって、当時に戻ったとしたら、当然のことながら、今の記憶は完全にリセットされていて、また元通りに似たようなことが起こるはずだ。だから無意味だ。
今回は、いい体操会の思い出になった。よかったね。
<ネコパコ>
あっという間に滞在時間が過ぎてしまって、あれあれ???
ことのほか濃い内容のトリップだったです
はりねずみまん、油っぽかったけど実にかわいかった
他にも試したいものはいろいろありましたが
タイムアウト 残念
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