かっこいいだろう?! なかなかの上質紙がおごってある。 イラストが楽しい。 |
佐礼谷は、松前町のお隣りの伊予市に属する中山町の一部だ。伊予市市街より56号線を南下すると犬寄峠を越えたところを左に、山の中に入っていく。
スイートスポットが10箇所ほど うっかりヤブに踏み込むとマムシがいるんだと。 |
どうやら、川沿いに見所があるらしい。あたりまえだ。ホタルは川で生まれ、カワニナやらを食べて成長するんだもの。
最初は薄暮だったが、そうこうするうちに日が暮れ、とっぷりと暗闇に。その中を、車の中でルームランプをつけ、マップを片手にホタルの見所を探す。
とある橋の上で目をこらせば、川べりに小さな光を見つける。と思えば、あっ、あそこにも、ほら、そこにも。
写真を撮っても、もちろん、真っ黒だ。特殊なレンズでなければ、こういう写真は撮れない。分かっているのに、カメラを向けたくなるものなんだね。各スポットにはこんな、反射板付きの標識が立っている。
周りの真っ黒なのは 別に細工をしたわけでなく 暗闇でシャッターを切ると こういう画像になるんだ ちょっとシュール |
8箇所くらいの見所を見て回った。
山側の流れに沿って、急に光点が現れると、それに呼応するように、わずかに遅れて、光点が、二つ、三つと灯り、消える。あちらで、こちらで、川の下流から、上流に向かって、光点の小集団が移動していく。
ずいぶん、たくさん見えるもんだ。不思議だ。あやしく、きれいだ。8時半ころが、一番たくさん見えるんだという。気がつくと、いつの間にか、そんな時間になっている。
よくみると、意外に近くにもいたり、川からずいぶん離れた木立の間や、空高く舞い上がるのもある。湧きおこるように光る。
山あいのまっ暗闇のなかで、くろぐろとした山に囲まれて空が濃い群青色に見える。その中を、高いところを、光点が灯り、消えて行く。
「あくがれ出(いづ)る たまかとぞ 見る」
どうせ大したことないんだろうけど、暇つぶしに行ってみるかと、軽い気持ちで出かけたのだった。ネコパコと二人、まっ暗闇のなか、数十分をさまよい、立ち尽くした。お互い何を見てるのか知らないまま、何を考え、どんな気持ちでいるのか、分からないままに、時が過ぎて行った。私たちは、ほんのつかの間、出会い、ともり、そして離れ離れになり、消えるのだ。
「じゅうみんじち せいねんぶ」の皆さん、来てみてよかったですよ。いろいろ感じ、考えさせられました。重ねてありがとう。
これは、単なる功利的な村おこしのための作業でなくて、多分、人々というものの心の優しさの表出なのだろう。もののあわれ? そういうものなのかもしれない。
4 件のコメント:
<ネコパコ>
子どもだったころ、蛍が群れ飛ぶ環境で育ったので、竹ぼうきとねぎを持って蛍狩りに出かけたことを思い出しました。
源氏物語の「蛍の巻」ってどんなだったっけと言い出しても、二人とも思いだせなかったので、帰宅後本をパラパラ
夕顔の忘れ形見の玉蔓に言い寄りつつも、いろいろと裏工作をしている源氏は37歳男盛り。几帳の中に蛍をとばして、玉蔓の美しさが浮かび上がるっていう幻想的シーンですね。
しかし、どれほど大量の蛍が必要なことやら…
これはなかなか大変ですよ
<ライネケ>
水呑百姓の娘だったネコパコは、ネギの筒の中に蛍を入れてうちに持って帰るんだが、なにせ光源氏は、風流でダンディーな平安貴族男なもんで、蛍を、とっておきの和紙に封じ込んで、持ち込むんだよ。
光源氏家では、多分、召使い頭が下郎に言いつけて、下郎は家に帰って、女房や子ども達が手分けして、蛍を採りに行き、子どもは川にはまって大泣き。でも、召使い頭から何かご褒美を貰って、子ども達はニコニコ。光源氏は集められてきたホタル共を、唐国渡りの、その上、香を焚き込めて匂い付きの秘蔵の和紙にはさみ込んで、蚊帳の中に持ち込んで、玉鬘姫のご機嫌をとろうと一生懸命。玉鬘姫はまだねんねの子どもだというのに、37才のロリコンおじさんに猫なで声で迫られて、ほとほと困惑しきっちゃって、ああ、鬱陶しいと蚊帳の隅っこで、たぬき寝入り。
一番の迷惑は、捕まえられて、紙で押しつぶされそうになりながら、水も何も無い蚊帳の中に持ち込まれちゃった蛍どもさ。人間どもの勝手な思いつきで、そうやすやすと、光ってなんかやれるもんか。あれはちゃんと目的があってやってることなんだぜ。
(以上は、ライネケの完全なでっち上げの想像です。ちゃんと原文を読んでください。)
40年も昔、京都の古本屋で買った有朋堂の4巻本で、読了した源氏物語は、淡き光の残像を残して、今はもう完全に忘却の彼方に去ってしまった。
よく出来ている看板やチラシですな。
ふむふむと、見てしまったです。
蛍の行燈と提灯を私も作ったんだけど、
提灯には家紋だろと思って、蛍の家紋を入れたいと思い
源氏香の蛍をデザインしたんですが、
職場の誰にも理解してもらえず、ツマンナイロゴを家紋にデザインし直して
お茶を濁しました。
源氏物語って一般教養だと思ってたんだけど。
まあ、そんなもんですな。
考えてみたら自分もきちんと読んだことはない日本の古典ですね。
仙人掌姉
<ライネケ>
いや、あの提灯の家紋は、わが医院のと間違えそうで・・・。
それと、やっぱり提灯ってのは、むずかしいもんですな。今ひとつの出来栄えのようで。
何事もプロの技というのは大したものですな。
倉敷の本町にある提灯屋で我が家の隅立四つ目の紋入りのを作ってもらおうと思ったこともあるけど、今はちょっと立ち消えになってます。
源氏物語を含めて、古典というのは、意外に読んでないものです。今、本屋に行くと、新刊だらけだけど、トルストイとかドストエフスキーとか、みんな読んでるか? 昔は、よく分からんけど、読んだふりしてないと馬鹿にされそうで、すごく見栄を張って、岩波文庫なんか、小脇にはさんで歩いていたものだけど。
ただ、千年前の日本人の女性が、単なる王様ものがたりじゃなくて、マザコン男を中心として、人々の微妙な心のヒダヒダを、多分当時の話し言葉を音写して書き残したものが、いまだに読めるというのは、素晴らしいことではないか、と思いますよ。当時のヨーロッパではまだ英雄武勇伝で、中国はすごい文学を残しているけど、漢字だけの漢文としてなので、とても話し言葉の微妙なところが表現しつくされているとは思えない。当時から日本の女性の力というのは大したものと言わなければならない。
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