2015年5月26日火曜日

某月某日の日曜日、お気楽二人は  <ライネケ>

三津浜に行った。

ネコパコが、当日の朝刊を見ていたら、海上自衛艦の「はくりゅう」という潜水艦が来ているっていうので、三津浜港に行くことにしたんだ。三津浜港には、海上保安庁の巡視船や自衛艦が時々やってきて、中を見せてくれることもある。

三津浜は古い漁港で、松山市の一部になっている。松山にとって瀬戸内海に通じる道として、漁業と商業で栄えた古い街だ。500年以上前の応仁年間に河野氏が支配して以来、三津の朝市という伊予を代表する魚市場が栄え、1980年代、松山中央卸市場魚市場に代わられるまで、愛媛県の海産物集積の中心だった。今も、魚市場があり、松山の魚屋さんが買い付けにやってくる。


漁港の入口は、細い入江になっていて、湾の向かいの山の中腹に神社があり、ずっと三津浜を守っていてくれるようなのだ。数10mほど向こうの対岸まで無料の渡し船が渡してくれる。ちょうど、昼なので、渡し船に乗せてもらって、あの神社のあたりに行って、港の大型スーパーで買った弁当を食べようではないか。


中央に見える出発側の船着場に停泊している、小屋のような操舵室の付いた船が渡し船だ。向こう岸にいる場合、岸壁にあるベルを鳴らすと、機嫌よく、すぐやってきてくれる。乗り込むと、回頭して、ほんの数分で向岸にすぐ着く。


神社の階段を上がって、手を合わせる。
日差しが強くて、神社で昼食っていうのも、神様に悪いかな。
どこか適当なところを求めて、この神社の裏側に回ってみよう。


裏山を下ると、小さな造船所があった。造船所の人たちも昼休みらしく、休憩していたので、挨拶して、朽ちた船の下で食事するのを許してもらった。


プロペラの向こうに港が見える。初夏の瀬戸内の波が穏やかだ。


さっき、港のスーパーで買った握り寿司のパック(498円)とジャンボいなり寿司(98円)。さすがに、魚市場だ。安いし、おいしそうだよ。


ジャンボいなり寿司は、半分こだ。いただきまあす。パクリ。
左端の大きな屋根のあたりが、出発側の船着場のある辺り。


造船所の人に礼を言い、また、神社の階段を下って、船着場に行く。左上の辺りに、渡し船が見える。結構、利用者がいるみたいだ。さっさと出港して行く。


向こうに人を渡した船が、ベルを押すまでもなく、こちらに向かって引き返してくる。


ネコパコが乗り込む。


この座席シートは、何かあったときに、ライフジャケットになるように、輪っかが二つ付いている。なるほどね。これはいいかもしれないな。


もうすぐ、出発点に着く。向こう岸でも、お客さんがカメラをこちらに向けている。みんな、似たようなことを考えるもんだ。

みんな、楽しく日を送っているかしらん。
元気でいてください。

いいお天気だ。もうすぐ梅雨が来て、やがて暑い夏がやってくる。

(ところで、「はくりゅう」は、自衛隊に入隊志願者を対象に艦内見学が許されているらしく、遠くから、黒い船体を見ただけだった。旭日旗が勇ましかった。これから日本はどうなるのだろうな。)

5 件のコメント:

sorneko さんのコメント...

実家に帰っても朝寝をするので、
三津の市場なんか行ったことない。
今度行ってみようかな。
がま

匿名 さんのコメント...

渡し船なんてあるんですね。
乗ったことないな。
東京にも、どこかにまだあるらしいんだけど。
潜水艦は他の艦より機密が多いから
なかなか一般公開はしてくれなさそうですね。
chica

inchoudon さんのコメント...

<ライネケ>
以前から、この三津浜の渡し船は見て知っていたんだが、今回はじめて乗ってみた。
ほんの数十メートル、数分間の乗船だけど、ただで気軽に乗れて、面白いといえば面白かったよ。
別に何をするというわけでもないが、そのうちなくなっちゃう可能性があるので、話の種に乗ってみるのもいいかもしれない。

三津浜には、以前自衛艦の「せんだい(川内)」だったか、その同型艦だかが寄港してて、見学したことがある。おいらは小学校時代、戦艦マニアだったし、篤さんは海軍軍医として復員してきたので、日本海軍には興味があって、見学してみた。今の護衛艦は、太平洋戦争時代の大日本帝国海軍連合艦隊の巡洋艦や戦艦に比べると、美しさという点では今ひとつかな。むしろ、「いさづ」という海上保安庁の巡視船が、よく停泊してるんだが、この「いさづ」がきれいだな。

とにかく、平和な時代というものは、ありがたいよ。

kurashiki-keiko さんのコメント...

「連れて逃げてよ♪ ついておいでよ♪」てなのどかな渡し船ですね。
もっとも歌に歌われたのは多分手漕ぎの和船でこちらはエンジン音がしていたのでしょうが。
 岡山県内だと牛窓の前島あたりの5分ほどの渡し船くらいの感じかな?
 

inchoudon さんのコメント...

<ライネケ>
kurashiki-keikoさま、コメントありがとうございます。

矢切の渡しは当然、櫓漕ぎの伝馬船だったでしょうね。

この渡し船は今はエンジンで動くのですが、一昔前は、本当に手漕ぎだったそうです。私の住む街でも、小学校仲間には漁師の子もいて、伝馬船を櫓で操れるという子は尊敬されてました。
牛窓の前島の渡し船には乗ったことありませんが、今から30年以上も前、まだ長島に橋がかかってなかった頃、邑久光明園を見学に行って、渡し船で渡りました。ロープかなんか張ってあって、自分たちで引っ張って、渡ったという記憶がありますが、何でも流されちゃって大騒ぎになったとかいう話を聞いたことがあります。
のどかでいい時代だったです。