2013年10月1日火曜日

ネコパコ事務室だより

近頃気にかかる事ども
 うちの屋上の突先に是非是非こんな子を座らせてみたいと思った
どこでだれに頼めばつくってくれるだろう
ロナが逝って早7ヶ月が経ってしまった
 毎朝中庭に出てシラカシ次郎に住むこの子を探すのが日課になっていた
今日もいたいた…「おはよう、元気?」と
ところが先日来見つけられず、さていよいよ鳥にでも喰われたかと案じている
うまく蛹になるといいのだけれど
八幡浜の魚市場で思い切ってウチワエビを買った
赤くて立派だったが実際は
以前より随分高くてそのくせ身が少なかった気がする…残念
あっという間に食べ終えてしまった
食べ物にあまり入れ込んではいけないと反省した

3 件のコメント:

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
ロナがいなくなって、半年が経った。
白いものはみなロナに見えた。
今も、あらゆるものにロナを見る気がする。
シラカシ次郎の枝に短い足でかじりつくアオムシにも。

森羅万象に境界がなく、今はヒトの形をしている私自身もロナだったものとつながり、なにもかもが、ありとあらゆるものとなって、世界とよばれるこの世に充満しているのかもしれない。

あらゆるものが懐かしい。

kurashiki-keiko さんのコメント...

ペットロスはじんわりと来るものなのでしょうか。うちは12年飼ったウサギのパンチの老後を看取り、ペットの葬儀場で火葬にして家族みんなで骨ひろいまでして、骨壺は愛した娘が1年くらい保管してから庭の片隅に晒の袋に入れて埋めました。そこまでしたら踏ん切りがついたと言いますか。
 それでも一人暮らしをしている次男は、「パンチのいない家に帰ってくる気がしない」などと言って実家にあまり寄り付かなくなりました。
 ロナ君は行方しれずになっただけにやっぱり心残りなのでしょうか。

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
kurasiki-keiko様、コメントありがとうございます。

ロナについて、ペットロス症候群といった自覚症状は、私にはありません。むしろ、ロナは、今、この世界に広く遍在して、常にそのあたりにいるのではないか、という気がします。それがペットロスの症状だよ、と言われれば、あえて、なんとも申しませんが。

ロナは、私たちの手許で死を迎えず、どこかに行ってしまって帰って来なくなったという去り方をしました。しかし、ロナが意識的に身を隠したのか、たまたまどこか居心地の良い落ち着ける行きつけの場所に出かけて、そのまま帰れなくなって、最後を迎えたのか、私には分かりません。私はロナの行動に、いわば擬人的なロマンチックな想像をすることを意識して避けてきました。

私は、彼の好きなようにさせてやろうとだけ思っていたのです。あれが彼の最後だったとしたら、彼の日頃の行動から見て、至って自然な成り行きであったと思っています。弱ってきて、そろそろ怪しくなってきたから、閉じ込めておかなければならない、とは思いませんでした。だから、心残りはありません。彼らしく去っていったというだけの話です。

シートンの「灰色熊の伝記」という小説をお読みになったことがありますか。ロナはあの物語の主人公の熊と同じ去り方をしたと思っています。なんと言ったらいいのか、私はロナにある種の敬意を抱きました。私もやがて、ロナのように消えて行くのです。ロナはいろいろな意味で私に何かを教えてくれた、と感じます。

ところで、例のアオムシですが、最近は見つかりません。この木の何処かで今頃サナギになっているのだ、とは思うのですが。無事に蛾にでもなんにでもなってほしいものです。