2013年9月15日日曜日

ふりかえる夏 越前岬

金沢を抜け、東尋坊も抜け、うりうりと海沿いに走り続けると、越前岬の突端に着く。
越前岬には白い灯台が建っており、傍にはバブルの名残だろうか、
水仙の植物園が夏の日差しの中、草生すままになっている。
 「旅は孤独を味わわせる。と同時に、かみしめる孤独から
勇気を培うものだと私はかねがね思うているが、
越前岬ほど私に人生を考えさせた場所はないようである。
黒い断崖に風が吹きすさび、その丘になぜ花が咲くのだろう。
黄色い水仙であった。冬の凍て土に花が咲くのだ。」  水上勉
 (越前岬灯台 水仙ランドにて)

 がまがえるは越前岬で別段、人生については考えなかったが、
断崖を吹きあげる海風に乗って、高く昇る鳶を眺めながら、
「家に帰るのがメンドクサイなあ。。。。。」と、思った。
 
そろそろ折り返し地点に来たようだ。

******************************************************
よお、俺、鰤。
魚に師匠の師で、ブリってんだ。
昼寝してたらいつの間にかおかに揚げられてさ、
南京錠までかけられちまった。
まいったね。なんとかしてくれ。

3 件のコメント:

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
30年ほど前の冬のある日、ライネケとネコパコは、黄色のちっぽけなホンダの車に乗って、滋賀県の瀬田から8号線を北上して、日本海を目指した。車はたった360ccしかない88ナンバーの軽自動車で、それでも4ドアの後部座席には柳ゴオリの蓋を縦に入れるとちょうど前座席との間に収まるようになっていた。その中に毛布を敷いて、まだ1歳のChicaを寝かせて、滋賀県から福井を経て、糸魚川を過ぎ、午後、とうとう、越前海岸にたどり着いた。

冬風が、道の傍らの草むらの斜面に吹きすさんで、そこには水仙が咲いていた。そして、水上勉のその言葉を読んだ。

帰途は雪だった。こわごわ帰ったんだが、途中夕食に立ち寄った店の甘エビが美味しかった。Chicaはずっと、おとなしく眠っていた。よく眠る子だった。その頃は三人だけだったんだ。

sorneko さんのコメント...

・目的地と経路がおおよそ一致していること
(実家に帰るために北陸を通る、とか。
 旅行のための旅行はしない)
・あまりお金を使わないこと
・人が少ないこと
・美味いものが食えること
・火遊びが出来ること
・高い所に上がること

といった条件を満たすように移動すると、、、、
あら不思議、数十年隔てて親子で同じものを見ることになったりする。
今年は白骨温泉も通ったしね。

実は上のような行動様式で動くから、必然なのだが。
教育が行き届いている、と見るべきか、
がっかりすべきなのか。。。。 がま

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
その通り。何度行ったか分からないくらい回った四国ルートだって、ライネケにとっては、まず、松前に帰り、そして、滋賀あるいは倉敷に帰る、という、一度で二度美味しいルートだった。火遊びは今もコーヒーを入れるたびに、中空中庭でやってる。
特別なことをするな、金を使うな、人の集まるところには行くな、というのは正しいと思うね。
それにしても、越前海岸は酷しいところに見えたよ。行った季節にもよるんだろうが。

ところで、また台風の被害がひどかったようだが、大丈夫だったのかな?