2013年8月26日月曜日

ふりかえる夏

夜半、陸風が海辺に張った天幕を静かに通り抜けた
ここは輪島の袖ヶ浜
日本で千枚田の残る、数少ない土地
松の木が冬の烈風に耐えかねて、吹き流されるように育つ。
こんな厳しい土地に、どうして人は暮らすのだろう。
そして開けた土地も無く、ひとたび塩水を被れば
枯れるような田畑を耕してきたのだろうか。

長い年月を経て伝承され、築き上げられた技は
ただの生計手段の域を超えている。
(石川県輪島漆芸美術館にて)

 土地と伝統というシガラミの中で、個を殺して生きなければ
ならなかった人達の、唯一の自己顕示がこの技の頂だろうか。
がまがえるにはわからない。
ただただ感心するばかりである。

そして、そらまめ号は渚ドライブウェイをごとごとと走っていった。

 途中釣糸を垂れたりするあたりが、自動車旅行の余裕である。
 さあ、金沢の街が近い。

がま

2013年8月22日木曜日

ふりかえる夏 海風

信州の山々を満喫したがまは、その足で日本海に下り、富山湾へ抜けた。
そして、穴海に沿って能登半島を反時計回りに輪島まで。
日本海に沈む夕日を期待したが、あいにく水平線には雲がかかっていた。

この日を含めて、日本海側は毎夜、熱帯夜とは縁のない涼しさであった。
細い月が昇る。

がま

2013年8月21日水曜日

ふりかえる夏 煙と阿呆は

高いところが好き
乗鞍岳へ

地球は丸く、見下ろす足元に広がる空は
宇宙の深い藍色を帯びてくる

そして夏の蕎麦はとんでもなくおいちい。

がま

2013年8月20日火曜日

ふりかえる夏

これまで、2度北陸を走ったことがある。
一度は大学2年の夏。
仙台から自転車で笹谷峠を越え、山形へ。
山形から小国峠を越えて新潟へ。
新潟から親不知、黒部、富山、と延々海沿いに下った。
しかし、能登半島の付け根まで来た時点で体力はほとんど売り切れ。
不十分な装備と知識が祟り、熱中症に体力を奪われた。
3日目には帯状疱疹を発症していた。
能登半島を横切り、金沢へ抜けたところで、
知人の家にへたり込んだ。

二度目は修士2年の夏。
4年前の反省をもとに徹底した装備とメンテナンス・ライドで
一週間に亘り毎日180kmを走った。
毎日熱帯夜の続く、厳しい夏だった。

親不知を抜け糸魚川まで来ると、国道8号の青い道路標識に、
「長野まで60km」  と書いてある。
ああ、北アルプスから急峻な断崖が切り落ちて、こんなに
険しい地形が出来たのだな、と納得すると同時に、
少し足を延ばせばアルプスかと思いつつ、ついに
学生時代に信州へ行くことはなかった。

そして、2度走った北陸も能登半島を巡ることなく過ぎ去った。
我ながら馬鹿みたいにまっすぐ走ったものだ。

がま


2013年8月19日月曜日

ふりかえる夏

一週間前のこと。
そらまめ号にテントその他野営の道具一式積んで
がまがえるは出掛けた
 ごへごへごへごへ
 日本の屋根のくにへ
どこまでもひたすら昇る。
野麦峠にて一泊

どこでも気が向いたところで居を構えることが出来る、
この気楽さが天幕生活者の特権だよ。
明日はどこへ行こうか。

がま

2013年8月6日火曜日

はなみず

なつかぜの図
滝のごとし

皆さま体に気をつけて。

2013年8月5日月曜日

ネコパコ事務室だより

相変わらず暑いですが、ちょっと涼しかった話をします

松山友の会の小学生対象の活動で「森へ行こう」を実施しました
えひめ千年の森をつくる会 http://www.1000-mori.jp/ の協力を得て
森の下草刈りと枝打ち体験をしました

鎌やのこぎりを使って果樹の森の手入れをするのです
もともとは檜や杉の人工林だった森を適当に間伐し、広葉樹の森を育てたいと新たに苗木を植えた場所です
まだ広葉樹の苗木は小さく 果樹の森と言ってもただぼうぼうと夏草が繁り、どれがどれやら…何がなんだか…

初めて本物の道具を手にする子どもも多い中、手も足も出ないのではないか
この暑いさなか 怪我もなく集中して時間が過ごせるのか…とか心配もありました
でもやってみたい 「感じる」体験を子どもたちに是非させたいと願いました

子どもも大人も最初は「ひえ〜っ」と腰が引けていましたが、いざ始めるとこれが面白いの何の!!
あっという間にあちこちでみんなすっかり虜になってしまいました
虫喰い葉っぱの芸術点を比べっこしたり
ざくっと鎌を入れるたびに立ち上る草の匂いを楽しんだり
のこぎりでゴリゴリと切り広げながら進んでいく開拓の実感 
蔓草にまとわりつかれ、息も絶え絶えになっている幼い木が少しずつ姿を現してくると
よっしゃ もっと助けてやろうと素直に思える単純さ
吹いてくる風の心地良さが 森の感謝の声に思えてくる労働の楽しみ
近くでホトトギスが「ドコカラキタノカ ドコカラキタノカ」と啼いている
光が入るようになった地面には新しく次の命が芽吹いているのがわかる
森は50年 100年先を見据えないと育たない
経済効率だけでははかれない難しさとどのように折り合いをつけるのか
今回のこの体験はほんの入口です
でもきっと貴重な種まきであったと感じています

レイチェル・カーソン センスオブワンダーより
 わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています