第30回子規顕彰全国短歌大会の特選作品の一つに姑の作品が選ばれた
まずこの歌の大きなスケールに驚く
チベットから東シナ海に至る6300キロの壮大な大地をゆく水の旅
どこからともなく喜多郎のシンセサイザーが聞こえる気がするではないか
御年88才 腕立て伏せ スクワットと体力作りに余念なき日常
歌作に励み知的好奇心の泉は枯れない
一体どこからひねり出された歌なのか…と言う疑念はさておき
老親が元気でいてくれることは子にとって本当にありがたいことだ
元気でいてくれるからこそ私達も泊まりで外出ができる
先週末 東京の自由学園美術展にでかけた
私の実家の母も兵庫から姉とともに上京し合流した
Shigeが出品しているのをみる楽しみもあるが
私の実家の母も兵庫から姉とともに上京し合流した
Shigeが出品しているのをみる楽しみもあるが
4年に一度開かれるのこの展覧会は3才から22才までの若い感性が
あふれるように秋陽のもとで鑑賞できるのでとてもおもしろい
若いころ小学校教師だったからか母は子どもの作品を見るのを喜ぶ
あんまり広すぎて少々疲れたかもしれないが渋谷のChikaの職場や浅草も歩き
とにかく元気で三日間の旅を無事終えて帰って行った
ライネケは土曜日の仕事を終えてからやってきた
今度は夫婦で歩くのをShige自身が案内してくれた
若いころ小学校教師だったからか母は子どもの作品を見るのを喜ぶ
あんまり広すぎて少々疲れたかもしれないが渋谷のChikaの職場や浅草も歩き
とにかく元気で三日間の旅を無事終えて帰って行った
ライネケは土曜日の仕事を終えてからやってきた
今度は夫婦で歩くのをShige自身が案内してくれた
以下はShige の作品
金箔を貼ったり絵の具も特殊なものを使ってある
併せて作った額縁まで本格的な仕上がり
併せて作った額縁まで本格的な仕上がり
選ばれた聖句はコリント信徒への手紙1 13章4〜7節
彼が最近もっとも興味がある素材 革
一足 一足 革を切り出し手で縫い上げた3作品
いわゆる上手にできているものではないが
彼の意志が一針一針に感じられた
自由学園はたとえ卒業しても何の資格も得られない学校なのだが
今回は創立90周年の記念の年でもあり卒業生の作品も併せて展示があった
工芸の道に進んだ人の作品には、美しい工芸品と言うより生活の伴侶として長く身近に置いておきたい道具の息吹を感じさせる品が多かった
自然界からエネルギーをもらってうまく融合する事を知っている気がした
自然界からエネルギーをもらってうまく融合する事を知っている気がした
写真家として歩む公文健太郎さんの写真にも人が生きている美しさがあった
学園は専門教育としてではなく人間教育の一環として美術と音楽と体育を大切にしているちょっと風変わりな学校だ
都内にあってその広大な緑のキャンパスも特徴の一つ
都内にあってその広大な緑のキャンパスも特徴の一つ
在学して8年目の息子を通じて私自身悩み考えることが多くあった
人間はひとりで机の上で沢山のことを詰め込むだけでは幸せになれない
実際の生活の中でいかに多くの体験を積み重ねられるか
人とともにあることをどれだけ喜べるか
感じたことを表現し自分の手で物を作り出す力が豊かさに通じるのでは?
しかし本当に学歴や資格から人は正しく解放されるか…
しかし本当に学歴や資格から人は正しく解放されるか…
など など…
理想とすることがまだ至っていない苦しさがもちろんある
理想とすることがまだ至っていない苦しさがもちろんある
今年20歳になった息子がこれからどう生きて行くのかまだ分からない
でもきっと彼は意志を持って自分自身になっていくのだろう
道は自ずから備えられている、そこを応援すればよいと確信した機会だった
親にとって子どもたちが元気に生きていてくれる事がどれほどありがたいか
今回は はからずも子としてまた親として二つの立場から多くを感じた
人はもちろん元気な時ばかりではない
来し方行く末を思って秋空のもとを歩いた
人はもちろん元気な時ばかりではない
来し方行く末を思って秋空のもとを歩いた
3 件のコメント:
学園に飛び込んで
1時間の間に全ての学部の展示を見る為に
必死の形相で駆けずり回ってしまった。
ゆっくり見られなかったのが残念です。
羊皮紙の作品は本当に美しかった。
時間をかけて素晴らしいものを作ったなと
感心しました。
しかし一番度肝を抜かれたのは
幼稚部の鳩の体内模型でした。
あまりのリアルさに入口で止まってしまった。
無理やりでも行って良かったなと思います。
chica
<ネコパコ>
時間が短くて残念でしたね
私は会期中完全出席でしたが…
見・て・な・い
その鳩の体内模型
みてないよ~!!
生活団展示は奥のスペースの
「これより子どもの入室ご遠慮ください」
を一生懸命見ていて一番入口は通過しただけ
う~む
あまりにも広すぎた
むねんじゃ
<ライネケ>
世の中には、さまざまの表現技法があり、さまざまの表現者がいる。1950年生まれのライネケは、小学校時代、自分の使う絵の具が水彩絵の具だってことを知らないままに描いていた。中学校に入って、油絵を習って、水彩画には水彩画らしい描き方があったんだってことを知った。それはそれでいいんだ、という人もいるだろうが、やはり水彩絵の具は水彩画らしい使い方があり、描き方があるんだ、ってことを知っていた方がよかったのじゃないかと思う。
秋晴れの空の下を、ネコパコと二人で、生徒たちの作品を見て回りながら、勝手にロープをまたいで、学園の端っこにある農園に入り込んだ。そこは誰もいなくて、Shigeらも協力して整備したという川が静かに流れていた。
いろいろあったけど、8年が経ち、Shigeも手元を離れて飛び立つ日が近いという気がした。
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