2008年6月13日金曜日

徒然雑草   chica

テスト終了おめでとう。
私は明日、休みのはずだったのに、急遽出勤になりました。
うう、久々の土曜の休みが。。。。。
月曜、火曜はsoraninに遊んでもらうんだ〜!!

それにしても、事務長がキノコにそんなに詳しいなんて
知らなかったです。
私の中で今、胞子と粘菌ブームが来てるんですが。。。。。
どっちも地味じゃのう。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

<ライネケ院長>
そうなんですよ。事務長さんは、同志社女子大の研究室で、京都の坊ちゃん育ちの教授のもとで、キノコの培養の研究を手伝っておりました。今風にいえば、バイオですね。

キノコ、胞子、粘菌、菌類・・・。ナウシカ。

ネコパコ事務長 と ナウシカ ? !*&%$???

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>
30年前のことはほとんど覚えておりませんじゃ…
 
教授は四条河原町の高級ハンドバッグ店のおぼっちゃまK先生。「お軽寛平」のお座敷芸がお得意でした。
助教授がマッタケの専門家のO先生でした。
京大の浜田稔先生のお弟子さんですが、ある時珍しい菌の系代培養をしている時、何のはずみかガスバーナーで灼熱滅菌した試験管の口を握ってしまった。ここで放り出しては「スワ、一大事!」と頑張ったのを見た浜田先生に「よく放さなかった」と褒められて学位が貰えたんだと聞きましたが…
学位のためならいろんな犠牲も努力も必要との訓話だったのでしょうか。
とにかく、マッタケの研究家だったので時々研究室に届くのですね,マッタケやその親戚が---
先生は傘から胞子を採取して写真撮影をすると、あとはいらんので、気前良く「あげるよ!」と軸の部分を下さるわけです。それでなぜか貧乏学生も、時々は出町柳の商店街でハモなんか買って帰り、マッタケの土瓶蒸しやら、スキヤキが食べられたのです。傘はないけどね。
自分で育てたヌメリスギタケは、研究室でみそ汁の具にしてゼミ生皆でおそるおそる試食しました。
味は??忘れた

卒業後2年間その教室で学生実験の助手や事務仕事の秘書(?)として働いたので3年間そこに居ましたが、4階だったので前方に京都御所の松林の広がりが、西側は同志社大学の煉瓦造りの校舎、廊下を挟んだお向かいの界面活性学の教室からは,遠く北山の連なりが見えました。
あの頃の京都はまだよかった。良い環境でお仕事ができたと思います
あんまりよい仕事ぶりであったとはいいませんが…
教室で同門会があった時、乾熱滅菌器でケーキを焼いておもてなしをしたリ、学園祭には積極的におでんの仕込みに精出した覚えはありますが、とても学術的とはいえませんね。
まあ若いうちはいろいろやって経験を豊かにするのがよいと思います。
皆様もせいぜい現況をお楽しみくださいませ

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>

東北地方に大地震の速報
soraninからは元気で居ると連絡があった

取りあえず安心しました
大きな被害がこれから報道されるのでしょうか
被害が少ないことを祈りましょう

chikaさん明日から仙台?
気をつけて行ってらっしゃいね

匿名 さんのコメント...

粘菌といえば 南方熊楠 

白浜の資料館は 面白かったです ***
じつは わたし クワンサイにいたとき 大阪在住の彼の二人のお孫さんと 知り合いになりまして かれらは お婆さんから 「御爺さんの名前を知っている人とは ダイジにお付き合いなさい」と 言われていたとかで 結構親しくさせていただきました あの辺白浜では 南方 という名前がやたらと多いので まさかと思ったのですが 顔がそっくりだったので もしかして と思ってお尋ねして お付き合いが始まったのですがね いろんな面白い話が聞けました でも お二人とも エネルギッシュでしたね 隔世遺伝だろうな 祖先返り ともいうけれど

老婆心ながら 彼の全集は面白かったですよ

猿真似の腰掛け 脚本家之丞より

匿名 さんのコメント...

<ライネケ院長 → soraneko君へ>
こりゃっ! 勉強もせんと、また、飛行機飛ばしに行っとる? 馬っ鹿じゃないか? 宮城は大地震が起こったっていうじゃないか? ええかげん、飛行機は一段落しなさいよ。 まあ、それにしても、大したことなくてよかった、とまだ言えない。 阪神大震災も直後は現場の状態はまるで分からず、あれほどの大惨事とは分からなかったのだから。 もしこれで、大したことなくてすんだとしたら、本当に運がいいのかね。 
飛行機を飛ばしてる写真があったら、メールで送って下さい。ブログに載せます。soranekoのページも作るといいよ。

匿名 さんのコメント...

2個前の投稿、南紀白浜あたりでは南方という苗字が多いとのことですが、実は私の夫の妹の息子が南方熊楠の遠縁?だかの娘さんと結婚しています。旧姓南方さん。南紀の材木屋さんの娘さんで、一級建築士だそうです。ご自宅の古い家を見ていて建築士になったそうで、育った環境からの影響って大きいのだなと思いました。