<院長>
骨董っていうか、アンティークっていうのか、そんな店にぶらりと立ち寄って、気になるものがなくなっていないか、目を引くものが新たに加わってないか、さあっと見まわって、店主にちょっと会釈して店を出る。そういう習慣というか、そんなものを持っている人って多いと思うね。
2年前までいた倉敷は、いわゆる美観地区に住んでいて、ほんの近くに沢山、骨董屋があった。休日、倉敷でぶらぶらしている時は、よく散歩のついでに骨董屋に寄った。岡山にもそんな店があった。今日常的に使っているものの中に、その頃の買い物が沢山ある。
時には、店主さんに質問して、いろいろ教えてもらう。場合によっては、ある種の品物については、こちらの方がよく知っている場合もある。素人が何を言ってる、みたいな顔をする店主だと行く気がしなくなる。勿論、すごい人もいると思うし、少々理不尽な物言いでも素直に聞く。そうこうするうちに、店の品物の傾向や、値付けの具合、店主の感じによって、よく寄ったり、寄り付かなくなったりするようになる。
店によって、得意種目みたいなのがあって、和もの専門や洋もの専門、ガラスもの専門、家具専門、食器専門、古布・衣服専門、貴金属・宝石・装飾品専門など、さまざまだ。
値段の付け方にも色々あるようで、あちらこちらと回って、安くて品物がよければ、それを買うのもいいし、多少高くても、店主さんとの人間関係も含めて、高いのを買う場合もあるだろう。
おいらは、値段交渉は苦手だ。いいものだし、是非欲しい、将来どうせ買うのだから、少々の高値買いであろうが関係ない、と思えば、買う。そういう値引き交渉みたいな駆け引きが面白いとか、値引きは当然でいわなきゃ馬鹿だ、という考え方もあるようだが、そのような心理的なやりとりはわずらわしい。まけましょうと言ってくれればありがたいし、言ってくれなければそれまでで、欲しければ買うまでだ。恥ずかしいせいもある。この歳になってやっと、「この品物はいいですね。この値段がついてますが、もう少しまかりませんか。」位は言えるようになった。進歩かな。
松山では、よくいくアンティーク店に、ヴァルボラがある。祝谷の坂道の登り口近くにあって、駐車場もある。中は広くて、よくある骨董屋のような妙なかび臭さもない。店主のMさんはさっぱりした女性だ。何もあてがなくても、よく寄る。当院の外来のエントランスには、ヴァルボラで買った古物のステンドグラスが入っていて、患者さんの目を楽しませているし、待ち合いには、Mさんから買った古い椅子が数脚置いてある。上のは、ヴァルボラの正面。
「ヴァルボラ」Vulvoraっていうのは、Mさん自身の説明によると、
北欧神話でヴァルボラと言う名前の女神。
美のビーナス。芸術のビーナス。
ところがどっこい。
邪悪な魂の人には。魔女になちゃう女神なんです。
私らしいという友人もいましたが
どうなんでしょうかねー???
なんだそうだ。
さて、そのヴァルボラの入り口ドアの左上にかかっている植木鉢に、ちょっとした異変があった。この植木鉢に最近、小型の鳥が盛んに出入りすると思って、Mさんがよく見たら、なんと、それは・・・
セキレイが巣作りして、ヒナを育ててたんだそうだ。草の中に、枯れ枝で作った巣が見えて、その中から、母だか父鳥だかが餌を持って帰ってくるのを首を伸ばして待ち受けるひなのくちばしが見えたものだ。Mさんは、よりによって我が店に巣作りしてくれたセキレイ一家に遠慮して、鉢の草に水もやらないで、毎日、心配しながら見守っていたんだと。相手が鳥だろうが、なんだろうが、他人に信頼してもらえるってことはいいことだ。
でも、とうとうある日のこと・・・
うちのヒナ鳥は、昨日無事に巣立っていきました。
二羽でした。
朝、パーキング辺りに、おぼつかないあしどりの
一羽のヒナを発見。
まわりでしきりに親鳥が飛べっと、うながすように
鳴き騒いでいました。
私の目とひなの目があい、何秒かお互い動けずー・
よかったね。がんばって、しっかり生き抜くんだよと、
声をかけ、後はそーと離れました。
今は主のいなくなった巣あとだけがハンギングにゆれています。
すがすがしいさみしさ、、、、。
でも、今も近くで鳴き声が聞こえてるので、
親子でいろいろ教育中なんでしょう。
グリーンに、長い間、お水もあげないでご苦労様と
たっぷりのお水をあげました。
というわけで、すっかり保護者気分になっていたMさんは、下宿人の「うちのヒナ鳥」の旅立ちを見送って、今多少の虚脱状態にあるようだ。ひょっとして、こんなとき押し掛けたら、少しまけてくれるかもしれん。
2 件のコメント:
初のコメントです。
骨董品は素敵だけど、まだ「これ!」といったものに出会ったことはありません。
ときどき久米のリッチモンドという家具屋さんにいきます。
値段がいいのか悪いのかさっぱりわかりませんが。
inchoudonの収集を引き続きぜひ公開してください。
<院長>
ご訪問いただいて、ありがとうございます。若宮丸様ですね。
骨董品というより、いつも家で日常使えるということから考えています。こんなカップで時々お茶を飲んだらいいだろうなあ、とかいう風にね。ただ飾っておくだけとか、貴重だから持って大切にしまっておくだけでは、つまらないよ。安ければ云う事ないけど、今の製品にはない品質感や材質感があれば、多少高くなってもしようがないし、結局は安くつくと思うんだ。
私たちの収集品は、いつも使って役に立っています。気に入ったもの・きれいなものを、大切に毎日使って生活するのが、一番得だし、しかも贅沢だと思うよ。
とは言いながら、そんなにやたら、珍しいもの、高価なものを、沢山持っているわけでもないし、美術館みたいな中で暮らしているわけでもない。ごく当たり前につましく暮らしているだけです。
こういうのが好きだよ、っていうものは、時々紹介します。時々見てて下さい。
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