残念ながら、今回は画質が悪くて申し訳ない。古い携帯電話のカメラで撮ったものだから。カメラは事務長と一緒に東京に行ってる。
先週金曜日、兵庫県の事務長の実家に行き、今週月曜日、おいらだけ、松前に帰って来た。事務長は、今週水曜日、東京に行った。そう言うわけで、ホームアローンもすでに7日目だ。さすがに、冷蔵庫の中に事務長が用意して行ってくれたおかずやサラダ用の葉っぱの千切りやら、トマトも種切れになって来た。
その間、大体、朝は、ご飯と目玉焼きにサラダ。昼と夜は、ご飯と魚の南蛮漬け、サラダ。時には、うどんに肉とごぼうを煮付けたものを乗っけたり、卵とネギの炒飯とか。そうそう、餃子も冷凍してくれてる。助かったよ。まあ、とにかく、冷蔵庫の中を適当に探して、温めたり、焼いたり、解凍したり、刻んだり、振りかけたりして、済ましてしまう。おいらは小食だから、備蓄もそれほど要らないんだ。でも、牛乳がなくなったし、おやつのおかきがなくなった。柑橘類など果物もない。まあ、明日午後には事務長が帰ってくるはづだから、我慢しよう。
今晩の夕食の全容。何せ5年前の型の携帯電話のカメラなので画質が悪い。
一品目は、卵炒飯。皿は、砥部焼。もうかれこれ25年くらい前、砥部の梅野に行って、B級品から選んで安く買った「なずな手」。
散蓮華は中国清朝約170年前のもの。20年前、学会で中国に行った時、上海の友誼商店で、10本以上、買った。形が可愛いでしょう? でも、あまり食べやすくはない。磁器の白地にコバルトで青い模様を描いたものだ。画質が悪くて本当に残念だよ。
二品目は、餃子6個。焼き餃子だ。中国では、普通、餃子と言えば、いわゆる水餃子。彼らにとっては、餃子は皮の部分によって麺類に準じるという感覚のようだ。昔、倉敷の病院宿舎にいた時、中国人の夫婦が住んでいて、奥さんに餃子の作り方を実演してもらった。いきなり、小麦粉を練って、皮から作り始め、あっという間に丸く伸ばし、あっという間に蓮根と豚肉主体の具を包んでしまったのには驚いた。小さな女の子がいて、やんちゃんと言った。今頃どうしてるだろう。もう、soraninと同じくらいのはづだよ。
おっと、それに、三品目が一緒になってる。牛肉とキャベツ、人参、ピーマンの肉野菜炒めだよ。
皿は、神戸で買ったあわび皿。高屋で買った。この店は例の阪神大震災でなくなっちゃった。この皿は、丈夫だし、手頃だし、広く使えて、品がいい。いい皿だ。京焼き白磁で今橋善和作だったと思う。
四品目はサラダ。事務長の教育よろしきを得て、院長は必ず、野菜を食べる。
今日のは、キャベツ、人参、ピーマンに、東南アジア風ドレッシング。肉野菜と重複してしまった。
鉢は、古染め付けの芙蓉手。中国は明朝末期。約300年前のもの。写真が悪くて申し訳ないけど、何とも言えず、軽妙で、洒落ている。13、4年前、岡山の表町商店街の岡南画廊で5枚組で買った。こういうのがおいらの好みなんだと自覚した。大切にしている。
またもや、忘れる所だった。これは餃子のたれ。酢とごま油と醤油少々、とんがらしで作るのだね。
器は、松山のヴァルボラで、5年ほど前だっけかな、買った。その頃ヴァルボラは銀天街を、坊ちゃん書房の角を、ちょっとお城側に入ったところにあって、カツレツ亭で昼食を食べたあと、よく寄った。今は祝谷に移って広くなったけど、あの頃は狭かった。
面白い魚の形の小皿。ただし、3枚しかない。ちょっとひょうきんで楽しいでしょう? 何焼きかは知らない。
最後は、必ず、コーヒーを飲む。もう、30年間、コーヒーを飲んできた。今は、ガテマラの生豆を週に二回ほど150から200グラムほどずつ、煎って、ドリップして飲む。中毒というわけではない一種の儀式となっていて、趣味とか凝るとかいうより、一種の癖なんだろうと思う。豆がなければ、インスタントでも構わない。インスタントでもおいしいなあ、と思う時があるよ。凝ってますね、とか言われると困る。
カップとソーサーは、倉敷の郷土玩具館で、展示即売していた福岡の女性の作で、焼き物を粉砕したものを、またろくろで器にして、磁器に焼き上げたものだそうだ。ターコイズグリーンの枠の中を空色で塗った柄で、唐草4脚、牡丹手4脚のセット。使う時は、カップとソーサーをわざと、唐草と牡丹手で組み合わせて使っている。ミルクはパックミルクを使うけど、1個を3杯くらいで使う。砂糖もミルクもいれる。皆、ブラックで飲むのが通だと思ってるのか、苦いのが好きなのか知らないが、カロリーの点から言えば、砂糖よりミルクの方がカロリーが高いはずだし、出されたミルクのパックを全部入れてるけど、あんなにミルクを入れたら、コーヒーじゃなくて、「コーヒー牛乳」になっちゃうぜ。元来、コーヒー豆は果実の種なんだから、甘くて、酸っぱくて、ほろ苦いのが美味しいんだ。そうして、飲んだ最後に、鼻の奥でさわやかな香りがするのが好いんだ。どうして、皆、トチの実エキスみたいな苦いだけのを飲みたがるのか、理解できない。
というわけで、報告終わり。とにかく、院長は元気にやっている。諸君、安心してくれ。
今日は、母の日だったね。chicaさん、お母さんとゆっくり過ごせたかな? お母さんに楽しんでもらえただろうか? お母さんも白髪が随分増えて、もともと円らな瞳っていうタイプじゃなかったけど、上まぶたが随分重くなった。
人間は、際限のない真っ暗な宇宙のどこかで、宮沢賢治の言う青白い電球のように、かぼそく点滅しているような存在だ。そんな頼りないもの同士がお互いに出会って、すれ違って、すぐまた、元の無音の暗黒に戻る。出会って、一緒にいられる時間は本当に一瞬だ。お母さんもお父さんも、貴女たち子供たちと一緒にいられた時間は、すでに過ぎ去りつつある。貴女がお母さんに、上手に甘えられるといいんだが。素直にうまく、撫でたり、撫でられたりするのは意外にむずかしいものだ。
「母の日」の思い出に、今日一日の食事と無事を神さまに感謝して。
<院長>
4 件のコメント:
おおおお?!
いいなあ、美味しそうだ。
Haruも院長もなんか良い食生活してますな。
うらまやしい。。。。じゃなかった、うらやましい。。。
事務長とこれから羽田に飛行機見に行きます。
事務長はビューンと帰るので、院長の食生活はもっと
華やぐはずですな。
shigeも元気だよ。 chica
先日 院長殿に 「カラキョー」って知っていると 質問しました
だれか ピーン ときた方 は おられましょうや
話は 遺憾ながら 些か 遠回りをせずんばあらざんやの 申し訳なき次第
とある大学の文学部で 教授が ドストエフスキーの話をしたら 彼を知っている学生が一人も いなかった 教授は愕然とした その話を伝え聞いた赤シャツも愕然とした そんなもの読んでなくても 試験科目や少子化も手伝って 今の世の中 大学に入ることができるようになってしまった たぶんチェーホフが医者だった なんてことも だれも知らないに違いない
そして 数ヵ月後 とある学生が 教授に こういった 「先生 カラキョー って結構いけてますね」ま 褒めるべきか 嘆くべきか
ここで 笑わないと ほかに笑うところはありませんよ
ところで 話は溯りますが おさんどん とは
もともと 江戸城は 大奥 第三の間に使えていた 身分の高い お女中のこと いまなりに言えば ファーストクラス専門の 美人 チーフパーサーとでも いいましょうか 「御三の間殿」が正式名称 明治維新で 民間人が言葉の品位を 貶めたのですね 平安時代の女房言葉「おすもじ」なんかが庶民の言葉となったのと同じですよ
話を戻すと 美術史専攻の学生で 梅原龍三郎を 知っている学生が ひとりも いなかった
という話も聴いた事がありましたっけ
By the way ,Ms.Chikako writes deep
impressive sentence like Kuniko Mukouda.If she contributes her novel to a publishing company ,she will be highly evaluated.
Kindly regards
Etsutaro Shibuya
ふーん、美味しそうなものを食べてらっしゃる・・・
そして、食器がよい
時々、食器などどうでもよい、という人がいるが
良い食器に囲まれて育った僕には理解できない
良い食器(値段が高いという意味ではなく、また、普遍的な価値があるという意味でもない。その食器にストーリーがあるという意味)は食べ物をより美味しくしてくれると思う
思えば僕が料理をよくするのも、食器が大事だと思えるのも父や母のおかげだ
一人の人間はか弱く頼りない。
お互いが響き合う時間も結局わずかなものなのかもしれない。
けれど、その響きや灯った明かりを大事にしたい。
父さんが引用している”春と修羅”の序文の初めに
宮沢賢治は書いている
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
電燈は失われてもひかりはともり続ける
これは間違いない
母の日は過ぎたが、母の日に Haruno
EYPHKA EYPHKA
Karamazof brothers. If in English, Karam-bros,isn't it ?
She wrote only several sentenses, which is a little bit too little to evaluate her literary talent. But you may have discovered her talent which we parents have overlooked. I would appreciate your effort if you would find even a smallest merit of my children.
But I would love them even if they were good-for-nothing fellows.
Yours truely,
Harumitsu Miyauchi
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