2016年11月15日火曜日

正しき?休日のあり方 ネコパコ主観とともに 


終わったとも終わらないとも区切りのない今年の夏は、秋になっても目立って患者数が減少せず、かえってトビヒや帯状疱疹、虫さされの患者さんが増えた
そしてようやく秋が来たかなと思ったら、今度は一気に冬に突入の気配 
夏以来さまざまが重なって、何かと精神的にも追い詰められた状態で毎日が過ぎていた
近年は小さな変化が大きく心身に響く気がする
とはいってもやっぱりしのぎやすくなってきたので、デューティー外出についフラフラとおまけ冒険を組み込んでみたくなる
これこそが正しい?おとなのあり方ではないかと思うことにしている

◆10月某日 
井原の知人宅を訪れる計画に急遽テントを積み込んだ
明らかな無計画 ナビ頼み
井原で話が弾み、つい長居 
午後も遅い時間に出発 さらに北上し
ベンガラの里 吹屋を目指した
近づいた頃にはすっかり陽は落ち月が昇り始めていた
ナビが示したキャンプ地はとうに閉鎖され荒れ果てていた
猪に襲われそうな気もする 
やめやめ!!
では眼下に見えるあのおしゃれな建物で一泊か

「残念ながら、只今満室 レストランの余裕もございません
ちなみに今夜はどことも満室 吹屋近辺での宿泊は不可能かと…」
小さな山間の町 コンビニも何もみつからない
計画変更 早々に逃げるが勝ち












高梁市内まで引き返しホテルかなとも思ったが
結局はやはり野営路線をとった
しかし持参したランタンはタンクに穴があき使用不可
あろうことかグランドマットにも穴があり、あっという間にぺっしゃんこ
文字通りの無計画、無手入れから大地の感触をたっぷり味わう一夜となった
広い公園は貸切状態 とても静かな寒い夜だった
人間たまには自然の一部に戻るのは佳いことだ


 このテントも随分色がはげて年季が入ったなあ…としみじみ


それなりに長い夜も開けて明るくなってみるとお子様向けの遊具もあり
童心に戻ってひとしきり遊ぶ 明けない夜はない
 昔住んだ大津の図書館裏手にあった
ターザンの砦的遊具
ライネケがトライ

やはりせっかくここまで来たからにはと
吹屋近辺の名所をざっとめぐる
これは思ってもいない出会い
映画「八つ墓村」のロケ地にもなったという広兼邸
積み上げられた石垣と広い屋敷にベンガラで栄えた江戸、明治の遺産
残されたものを持つことの大変さに思いを馳せる
駐車場広場に戻ってきて、地元産の野菜のおしりを撫でつつ、一週間分の野菜購入(週末のデューティー)をしたのは言うまでもない

◆11月某日
朝、目が覚めたら明らかに山に呼ばれている気がした
では秋の石鎚に参りましょうか
こちらに移り住んで早10年を越えたが、石鎚山ははるか遠く眺めるだけのお山だった
我が家の屋上からも冬の晴れた日はくっきりと見ることが出来る
西日本最高峰 霊峰石鎚
膝を悪くした身にはとても無理と思っていたが、今年5月に娘と二人で
あっけらかんと近くまで登ることが出来たのですっかり味をしめ
きっと秋にもう一度!と思っていた

成就社までは
ロープウェイとリフトで楽々だよ









ところが 、楽々などとなめたことが災いしたのか、天狗岳が雲に隠れて見えない
せっかくライネケ院長を誘った手前、ちょっとは見せてよ
ねえ、そこの雲どいて!!と願ったけれど、あちらにも都合があったようです

とこうするうちに、何やらボウボウとほら貝の音が近づいてきて
白装束、腰には鹿や狸の毛皮の尻当ての山伏集団の登場
いったい何事か?
お山全体に高い音、低い音
とにかくボウボウ ボワワ〜ン
正式名 法螺吹鳴奉納式 競技大会
と由緒正しき行事に遭遇したのでした

続いて この日は石鎚もみじまつり最終日ということで餅まき 福木まき
へ〜知っていたら絶対に近づかんな
イベントごとに巻き込まれるのは
正しき休日派にはありえないこと

知らずにいたからこそのおまけ

 目の前にポトンと落ちた紅白餅をさっとゲットして
「お母さんへの立派なおみやげが出来た」とほくほく
強者は買い物袋にいっぱいの戦利品で浮き立っていたが
我は我、人は人なり
 下りのロープウェイはさすがにちょっと混んでいたが、ま無計画もたまには良いか、
また来よう
今度はもう少し歩けたらもっといいな
努力目標にしたい
◆11月某日
実家の母が夏の疲れか軽い脳梗塞で入院騒ぎ 
幸い入院はせず経過観察で姉の世話になった
89才、いつ何があっても…といろんな覚悟がいる時期がやってきた
時間が許せば見に行ってあげたほうがいいよという
ライネケの温かい申出により、自称親不孝者が片道330キロを助手席でうたた寝しつつ
運んでもらう
母の顔を見ている時間より往復の道のりのほうが長い気もするが、寄り道人生のせいかも知れません

帰り道突然「日生によろう!!」と思いついた
倉敷から車で少し走れば日生港
小学生だった子どもたちと小さな定期船にのって大多府島にわたって弁当を食べるという過ごし方を何度かした
鄙びた漁港の印象
すでにそれから25年近くが経っている

大きく変わっており びっくりポン
漁港に隣接した魚市場は今や場所を移し海の駅として大賑わい
当時はまだ珍しかったカキ入りお好み焼きも
町おこしB級グルメ的存在の「カキオコ」として売り出している
そこでもちろん食べました
待ち札119 
何だかわれわれにふさわしい?


漁港では荷揚げされた牡蠣の身出し作業
どんどん捌かれていく
市場で買ったエビや牡蠣
しばらくは魚介の献立が続きます うふふ

仁城義勝さんの漆器で日々のご飯を食べる
明日のためにご飯を食べる
今度の休日はさて、何をしようかな
そろそろ年末に向けて、掃除?
う〜これにはちょっとした計画が必要ですね

2016年11月6日日曜日

スポーツカー購入 仙人掌姉

一目惚れってあるよね。
これは良い!って見つけた瞬間思って、必要無くても欲しい。
みたいな出会いがある。その場合どうするか?
①必要ないなら買わない。
②少し時間をおいてみる。それでも欲しいなら買う。
③無理やり理由をこじつけて買う。
皆さんはどうですかね?


仙人掌姉はね・・・・③だね。
だから部屋中に全く意味のない、使い方不明な、ガラクタなのに
本人は大事な物と主張する物が溢れるんだね。
でも仕方ないんだよ。
だって・・・・買っちゃうから。


そんな仙人掌が見つけたのは一台の車でした。
そのデザイン、性能、存在感、全てに一瞬にしてハートを撃ち抜かれたのです。
これは・・・買うしかない。


ズキューン☆

4輪ですし、車ですし。
めっちゃ早く走りそうやん?


しかも一人乗りですし。
購入せねばならない理由をねひねり出したんだ。
HalHir夫婦の処にやってきたM君にさ、構いたいんだよ。
小さい生き物と何らかの接点が持ちたくてたまらないんだよ。
でもHalHir夫婦って何でも持ってるし、要らない物は頑として受け付けないし
しかも何か決めてって言ったところで未来永劫音沙汰無いし。
それなら、勝手に買っちゃえーい。エイエイいええーーい。

あくまでもスポーツカーだと言い張る。

という訳で、勝手に購入し、先日ホニョホニョやって来たHalに押し付けたのでした。
全く子供向きの玩具じゃないのにね!
たぶんM君の手にかかったら数十秒で大破するしね!
でも買いたかったんだから仕方ないね!
そんなに買いたいなら自分用に買えばいいじゃないって言うかもしれないけどさ、
想像してごらんよ。
薄暗い部屋の中で一人で蹲って、この車を転がしている仙人掌姉の姿を。
壮絶だろ?



皆の家にも仙人掌姉から謎のブツが届くかもしれないよ。
その時は諦めてね。






2016年10月30日日曜日

散歩日和の秋ですから  仙人掌姉

やあ。毎月、飛行機に乗っている仙人掌姉です。
今月は四国にきています。
何故かって?寒くなって毛皮要素が枯渇してきたからさ。
四国の幻の生物:白いタヌキ猫で暖をとるんだ。

ふう、やっぱり火はいいなあ。

なにから食べようかしら。

わーい。煮えてきたぞ。煮えてきたぞ。

うむうむ、親子で川の字になるなんて、そうそうない機会でありましたね。

いやー、ほっこりするなあ。

時々は遊ぶことを赦す!と宇和島の殿様が言っったとか言ってないとか。


うん、まあ、時々ならいいんじゃない?そうね。うん。


そうだ!そうだ!楽しいことないとやっとれんだ!

待てい!仙人掌姉は遊びすぎやろが!ちっとは自重せんかい!

これ、食べたら考えるプーーーーーー。

あっ!これも食べなあかんのやったわ。

またそのうち・・・・ね・・・・・。

2016年8月31日水曜日

男子 志を立てて <ライネケ>

昔は、郷里を離れて、遠くに遊学するとかいうときは、まなじりを決して、「男子志を立てて郷関を出ず 学もしならずんば 死すとも帰らず。」とかなんとか言って、家を出たんだろうが、現代は違う。

東京まで行くとして、我が家から空港まで10分間、松山空港から羽田まで1時間半、羽田から都内まで1時間というわけで、ほんの半日足らずの道のりだ。

今年3月、自由学園を卒業したShige君も、4月から社会人になって、忙しく働いているようだ。毎年夏休みになると、高速夜行バスに乗って、早々に帰省していたのが、今年はお盆になってやっと帰ってきた。肉を食べたいという希望を聞いていたので、ネコパコが大奮発して、今夜はステーキだ。

大奮発のビーフステーキ

いつもはひと夏ずっと、ひと月以上も我が家でごろごろして暮らして、夏の終わりに、いやいやながら上京したものだが、今年は数日いただけで、もう上京するという。

立派な一人前さんにおなりだね


後の門扉にネジ止めした表札は、たしか5年前、彼が学園の工作室で作ってくれたものに、緑色のペンキを塗った。いつの間にやら、錆が出てきて、これはこれでいいのかな。

手持ちの緑色のペンキで塗って、
取り付けた頃はまだ、新しかった。
門扉も木塀も7,8年前、彼が一人で全部塗ってくれた。それに、松山市内の廃屋の前に延びていたツタをむしりとって来て、挿し木したツタがこんなに伸びて、わが家の塀をおおいつくすようになった。
やややっ!
オイラより背が高くなった?
いつの間に?

いつの間に、こんなに大きくなったのだろう。オイラより背も高くみえるけど、遠近法のせいか? いやオイラがちぢんだのかも知れない。学生時代は随分とんがった髪型をしていたのに、すっかりサラリーマンらしくしていて、今では、給料を貰って、自活して生きて行くようになった。

とうとう、私たちのもとには被保護者というものがいなくなり、私たちも保護者ではなくなったわけだ。
3月の卒業式の時には、まだ彼は私にとっては、あのShigeちゃんだった。しかし、今はもう、彼は私と対等な立派な男なんだ、と思える。

生まれて間もないころのshigeちゃん

Chicaに始まり、Shigeに終わった子育て時代は35年にして、とうとう終わったわけだが、親であった私たちの心のなかには、彼らはいつまでもあの頃のままで居続けるような気もする。

物理的には、東京は昔よりはるかに近くなったというのに、彼らと私との距離は随分拡がったように感じる。それでいいんだろう。

そうそう、昔、ライネケが中学生になって、漢文を習いだした頃、伊予爺ちゃんが、教科書の例文を指さして、これを読んでみろ、という。50年も前の話だ。

 「学若不成 死而不帰」
オイラは答えた。
 「学もし成らずんば 死して帰らず」
伊予爺ちゃんが笑って言った。
 「死んでしもたらいくまいが。”死すとも帰らず”じゃろが。」

おかげさまで、まだおおむね、元気みたいだ。いつまでこうしていられるかは分からないが。
Chicaさんのシンガポール土産のランプ
暗いけど、暖かくなる。
8月末の今日、風が随分秋めいてきた。
みんな、元気でいて下さい。








2016年8月10日水曜日

新加波 彷徨2

連日、夕食を地域の屋台集合村のような食事場所で食べる。
1$=120円
3$も出せば、皿に野菜と肉を炒めたのと長粒米の定食のようなのが食べられる。
中華系の人々が暮らす地域では、中華料理を。
インド系の人々が暮らす地域では、インド料理を。
英語も通じないから、身振り手振りで注文をして、
1畳半程の厨房の中で汗まみれになって中華鍋をあおる、おとうさんと
私の服装を上から下まで眺めたあと「ヤーパン?」と聞きながら
料理の説明らしきものをしてくれる、浅黒い肌のおかあさんと。

味は想像以上に大きな外れは無かったので呑み込めない位、
口に合わない食事にはあたらなかったが、
うだるような気温と温い湯を背中に延々と流されたような湿度のおかげで
日に日に食欲が落ちてくる。
油で炒めたり、揚げ物が多い中華料理に胃が疲れてしまった。

食材の匂いがそのまま漂う空間にも、いつの間にか五感が鈍り始める。


新加波 彷徨 1

金子光晴の「マレー蘭印紀行」をはじめて手にとったのはいつだったろうか。
学生時代だったような気がするが、今となってはもう昔の事としか思い出されない。
文字の隙間から漂う怪しい南国の香りとなにやら響きが心地好い地名たちに魅了され、
今でもふと存在を思い出しては時折本棚から探し出し頁を開く。
サゴヤシの物憂げに垂れた葉を腐りかけの果実を浮かべた波が洗う。
下品な朱色に染まった唾液が音をたてる檳榔売りの女の口許。
マレー半島は私にとって明るい日差しの下で気怠い淫靡な風土であり、
植物を学ぶにつれて興味をそそられる未開の森林だった。
山歩きも水遊びも好まない、
鉄骨の梁に支えられた硝子張りの部屋の中でも陰に蹲って眠り続ける事を望む私には、
熱帯雨林を己の眼で見ることなど非現実を通り越して遥か彼方の銀河の話だったのに、
気付けば何故か滴る汗を拭いながら山道をひたすら歩いていた。

2日前に上空を旋回した時、なによりも驚いたのは土の赤さだ。
明るいオレンジ色に見える土壌が水に溶け出すと河の流れも色づいている。
等間隔に植えられた樹木からプランテーションが広がっているのが分かる。
竹から葉をもいで投げたような小さな船が浮かんでいる。
イギリスで雨の香りの中に感じた人間の征服感漂う草原でも、
アメリカで通り過ぎた物悲しさの漂う牧地でも、
オーストラリアの上空を通り過ぎた時見た、人間という生物を必要としない赤い大地でもなく、
マレー半島の島々には、放り出し広げた女の足の間のような投げ遣りな空気が漂っている。
最後の秘境を有しながら、人間に犯され続ける傷つき疲れ果てた土地。



2016年7月30日土曜日

明日への扉 <ライネケ>

この景色を覚えているだろうか。

子ども達が、本当にまだ子ども達だった頃、休みになれば、土曜日午後、仕事が終わって帰宅して、準備も何もあらばこそで、全員招集をかけ、シュラフやらテントやらの荷物を、エイヤアッと車に放りこんで、荷物室に1人、後席に3人が揃って乗ったら、出発。その夜暗くなって、鳴門、徳島、室戸を経て、高知市内を抜け、横浪黒潮ラインの途中にある国民宿舎にたどり着いて、一泊。翌日は、いい加減に詰め込んだ荷物を車の上の簀の子の上に載せ替えて、足摺岬を目指したものだ。足摺岬の手前に、国道脇に小さな売店があって、その横の坂をひょっと下ると、



テントやシュラフをみんなで運んで渡った懐かしい板の橋。

橋の上から海を見ると、インディアンの砦が見える。



いつだったか、冬のある日、浜でテントを準備していたら、ちっぽけな軽四輪に乗った白人の夫婦が降りてきて、ご主人はコートを岩の上に敷いて横になり、奥さんはずうっと波打ち際を歩いて、端っこまで行き、やがて、サンダルを手にぶら下げて帰ってきたっけ。そして、また車に乗って去っていった。自然との付き合い方が大人だと感心したっけ。


橋の向こうには、私たちだけの砂浜があった。夏への扉だった。
30年前は、誰もこんな地の果てみたいなところには来なかったから。


その頃の浜は、長い堤防と背後の防風林に隔てられて、国道から隠れる形で、施設らしきものはほとんどなかった。今は、トイレとシャワー設備があり、サーファー達がたくさんやってきて、車中泊で遊んでいく。

時が流れ、全てが変わる。

実は、大岐に行く前に、土佐清水の町の食堂で、数年前食べてえらくおいしかった記憶のある「サバの刺身定食」というのを食べに行った。


ネコパコは「サバのたたき定食」を食べた。



どちらも1300円。10年ほど前の記憶では、700円くらいだったと思う。
昔食べたときは、油の乗ったハマチみたいな味で、これがサバか?と感激したものだったが、今回は、新鮮ではあったが、それほど感激しなかった。冬だったらよかったのかも知れない。変わらないものはないからね。

その後、今は四万十市と呼ばれる中村市に寄った。


中村市の山裾にある四万十川学遊館に寄ってみた。



「トンボ公園」といったほうが分かりやすいかな。

今は捕ってもいいみたいだが、昔は「当園内では虫取り禁止」と看板がかかっているのに、振り返ると、うちの子供達が、馬鹿長い、真っ白の捕虫網をなびかせて走り回っているので、困惑した記憶がある。



それにしても、いろいろなことがあったっけ。

また片道180キロの道のりを、二人は途中松野のぽっぽ温泉に入ったり、内子の中華料理屋で夕食をとったりして、帰ったのだった。

野良狐のライネケと極楽とんぼのネコパコの二人道中は、これからいつまで続くのだろうね。

 世の中を
 何にたとへん
 朝びらき
 漕ぎ往にし舟の
 跡無きがごと

  万葉集 沙弥満誓