皆の衆、明けまして、お目出度う御座る。
さて、またかと思うだろうが、昼休みの休憩時間を利用して、CB400Fourの車検に行ってきた。金曜日の午後1時からの枠をインターネット予約していたのだ。
今回は6年前に交換した前後タイヤを新品に交換して、車検に臨んだ。多分前回交換して6年間で5000キロ位走ったと思う。寿命が短かいことで有名な TT100GPというタイヤだが、こんなものでしょう。6年前は、ホイールもスポークも中古良品に交換し、自分でスポーク組みと芯出しをやったんだが、今回ホイールの振れを調べたところ、あまり動いていなかったのは我ながら上出来だと思った。
車検に臨んで、 検査員の心象を良くしようというわけでもないが、 一生懸命磨いてやったけれど、 やっぱり、錆が目立つ。 それでも、美しいデザインだと思うよ。 |
新春初走りは、思いがけない修羅走りになってしまった。反省ものだな。
くねくねと右側に集合した排気管が気に入って、 37年間も付き合ってきた。 他人から見れば、錆とコケ傷だらけの鉄屑なんだろうが、 ほとんど自力で手入れしながら生きながらえてきた。 |
ライネケの知り合いのヨットビルダー氏は、所詮、物は物であって、特別な愛着を持つことはなく、愛車などという観念はないのだ、と言う。壊れたら、何の未練もなく捨てるまでだ、と言うのだ。なるほど、さまざまの執着が人を苦しめるのであってみれば、そうしたものへの特別な感情など、ない方がいいのだろう。
「心なき身」になれるといいのに、と思う時もないではなかった。心なき身になって、あわれも何も感じないでいられるのは、いいことなのか? 分からない。心なき身になり、石みたいな心の持ち主になれば、うつし世の有為転変のうれしさや悲しさを超越することが出来るのだろうか?
とにかく、この車と別れるときは必ず来るだろうし、その時は、きっと、私はなにがしかの感慨を抱くことだろう。どうかなるとしたら、この車が先か、私が先か、あるいは、どちらもそれなりに生きていても、いつかは来る日のことを考えてしまうのは、感傷というべきものだろう。
クレストール 一日1錠内服 大概は、三日坊主なんだけど、すでに30錠服んだ。 意外に長続きしてるな、我ながら。 |
ま、お年頃ということだな。
3 件のコメント:
車検通過おめでとうございました。
バタバタした甲斐がありましたのう。
我が家の人たちは皆んな、執着ネチネチ型だから
愛着湧いちゃったら仕方ないと思われます。
私は未だに小学校入学の時からの
巾着袋や、京都で買った色鉛筆やら
お道具箱やら使ってますし。
血ですなあ。
仙人掌姉
<ライネケ>
おいらも小学校時代に買ったペンチがまだ手もとで現役だよ。
根っこの切断刃部分を、硬いものを切ろうとして、欠けさせちゃった記憶がよみがえる。
有形無形のあらゆるが全て実体ないもので空であると悟って、寂滅の世界に入れば、心動くことがなくなり、平安がもたらされるって、本当にそれほどありがたい教えなんかなあ?それって、発想の転換というだけの話じゃないのか?ちっともうれしくならないよ。なんて考えるのは罰当たりなんだろうか?
私も、学生時代に自炊するために買った小さなステンレスのボールや木屋のプチナイフ(包丁は高くて買えなかった)、ちょっと上等のテーブルナイフとフォークの1人分、いまだに大切に使っています。ナイフは研いでだいぶ小さくなっています。ということはもう50年来ですか。また、こちらのお姉さんが要らないから処分、と言って頂いたミッキーマウスなどのぬいぐるみ2個も車のマスコットにシートの後部ポケットに。物持ちがよいというのか断捨離できないというのか。
コメントを投稿