1995年、阪神淡路大震災の発生した年、2月25日土曜日未明、父が死んだ。
1月29日、倉敷中央病院に入院させてから一ヶ月後のことだった。その日のうちに遺骸を倉敷から松前に引きとって帰り、通夜を行った。翌日日曜日、松前町内の葬儀場で葬式を済ませた。
彼の誕生日は2月11日で、75才になったばかりだった。
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葬式後、伊予市のはずれの山の上にある火葬場で骨になった父は骨壷に容れられ、松前の我が家に戻ってきた。この鉄筋二階建ての建物は、私が中学校に上がったばかりの頃、働き盛りの父が古い木造の建物を壊して、建て替えたものだった。以来30年、彼はそこで仕事をし、本を読み、音楽を聴いて、一生を送った。
父の蔵書の一部 一時代前のインテリゲンチャらしく 書籍というものへの愛情が深かった |
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火葬場から我が家に戻ってきて、彼を納めるため、家族揃って、これからお墓に行こうとして、一族皆、外に出ていたのだが、私はひとり遅れて、骨壷を抱えて、一階から二階まで、元気だったころの父が新築して、その後の生涯を過ごした建物内を巡り歩いた。彼が自分の城を去る。息子である私は、もう、彼と肩を並べて歩くこともないのだ。父の集めたレコード ベートーヴェンの弦楽四重奏曲が好きだった |
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彼の愛したタンノイ・オートグラフ イギリス製 えらく大きいが、中のスピーカーは一個だけ |
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私は、彼が世を去る一ヶ月前まで、およそ三年間、毎月一回松前に帰って、彼と温泉につかったり、夕食をとったりすることを繰り返してきた。そもそものきっかけは、滋賀から倉敷に引っ越してきてまもなく、 I 先生が脳梗塞に倒れられ、もうI 先生のご薫陶を仰ぐことができなくなるかもしれない、という危機感からだった。ひと月に一回、老いてきた父母の顔を見るのと、I 先生のもとで弓を引くことにした。月一回、土日二連休を取って、金曜日の夜、倉敷を出て、松前に夜遅く到着し、一泊したあと、土曜日午前中は堀之内の道場で弓を引き、午後はI 先生のご自宅で弓を引いて、夕方までに松前に帰り、父と夕食をとり、たかの子温泉や道後温泉に入って、喫茶店で珈琲を飲んで帰って、もう一泊した。日曜日の朝、再度、I 先生のご自宅で弓を引いて、そのまま倉敷に向かって引き上げるという繰り返しだった。自慢だったマランツ8B 真空管式メインアンプ 小さいが、ひどく重い |
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ひと月ごとに、半年ごとに、歳ごとに、父が衰えていくのが分かった。痛々しかったが、それに加えて、わがままな父の世話をする母の負担が増していくのを見るのも辛かった。
マランツ7T トランジスタ式プリアンプ |
父は一階の寝室のベッドで寝ているのだが、明け方、廊下の奥にあるエレベーターに乗って、二階に上がってきて、二階のトイレで用を足し、近くの階段を下って、また自室に戻る習慣らしかった。
私は、父の寝室の真上に位置する二階の寝室に泊まっており、明け方近くなると、廊下の向こうから、エレベーターの上がってくる低い音が聞こえ、やがて、私の部屋のドアの前を、父がステッキをつきながら、トイレに向かって、ゆっくりと通りすぎる足音を聴いていた。
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父の葬式を済ませた後、倉敷に戻って仕事を再開した3月1日まで、母だけになった松前の家で過ごしたのだが、その数日間、二階の寝室に泊まった。ベッドは南枕で頭が廊下側だった。
2月末の明け方の静寂と冷気と暗闇の中で、耳を澄ませて待っていた。廊下の向こうから、エレベーターの低い唸り音が伝わってきて、やがて、父のステッキが廊下を突く音が聞こえて来るのではないかと。
晩年ついていたステッキ 若々しく元気な青年海軍軍医中尉殿だったのに |
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もちろん、そんなことは起こらなかった。石ころ一つ動くわけもなかった。
つまるところ、父は完全にこの世を去ったわけだ。いや、父も私も、そしてこの世のありとあらゆるものごと、事象は、全て、一種の現象にしか過ぎなくて、死とは、現象の解消というようなものに過ぎないのだろう。ありとある現象は連続していて、あらたに何かが生起して、何かが消滅するわけではないのだろう。泡が消えてもとの静水面に戻るように、すべての現象は、本来、大塊の刹那的表出であり、またもとの大塊に戻り、解消していくのだ。
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母の語るところによると、父は最後のころ、「俺の人生は、全て、無駄であった。」と言ったそうだ。春になれば、木の芽がふくらみ、花が咲くのに、何か意味というようなものがあるだろうか。全て無意味であり、無駄といえば無駄なのかもしれないのだ。だとすれば、私の人生も無駄なのだろう。
白いものを見ると 何かを思い出す 春の重い大気の中に 何かが溶けこみ 私の周りにただよっているような気がする |
生前の父が語っていたことに関して、彼の死後、ふと、気づいたことが幾つかある。世の人々は幽霊を恐れるが、私は幽霊でもいいから、彼に会って、そんな話をしたい。いや、それどころか、もし本当に幽霊というようなものがあればいいのに。
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彼が死んで二十年経った。私たちが愛媛に帰ってきて、十年が過ぎようとしている。また、春が近づいてきた。春まだ浅き暗闇のなかで、私は今日も耳を澄ませて、廊下の奥から何かが聞こえてくるのを待っている。
彼が愛したオルトフォンのピックアップ 折れるとポンという音がするから というのは 彼のくだらない冗談だった それにしても、ひどいほこりだ きれいにしてやらなければ |
Durch das Labyrinth der Brust
wandelt in der Nacht
こんな衒学趣味を面白がる人も、もういないのだった。
9 件のコメント:
Selig, wer sich vor der Welt Ohne Haß verschließt,
Einen Freund am Busen hält Und mit dem genießt,
Was, von Menschen nicht gewußt Oder nicht bedacht,
Durch das Labyrinth der Brust Wandelt in der Nacht.
<ライネケ>
匿名さま、コメントかたじけない。
W-elt-------------a
verschl-ießt--------b
h-ält--------------a
gen-ießt-----------b
gew-ußt-----------c
bed-acht----------d
Br-ust-------------c
N-acht------------d
[ abab cdcd ]
これはshakespearean sonnetなんでしょうかね。
An den Mond
Johann Wolfgang von Goethe
Füllest wieder Busch und Tal
Still mit Nebelglanz,
Lösest endlich auch einmal
Meine Seele ganz.
Breitest über mein Gefild
Lindernd deinen Blick,
Wie des Freundes Auge mild
Über mein Geschick.
Jeden Nachklang fühlt mein Herz
Froh- und trüber Zeit,
Wandle zwischen Freud' und Schmerz
In der Einsamkeit.
Fließe, fließe, lieber Fluß!
Nimmer werd' ich froh;
So verrauschte Scherz und Kuß
Und die Treue so.
Ich besaß es doch einmal,
was so köstlich ist!
Daß man doch zu seiner Qual
Nimmer es vergißt!
Rausche, Fluß, das Tal entlang,
Ohne Rast und Ruh,
Rausche, flüstre meinem Sang
Melodien zu!
Wenn du in der Winternacht
Wütend überschwillst,
Oder um die Frühlingspracht
Junger Knospen quillst.
Selig, wer sich vor der Welt
Ohne Haß verschließt,
Einen Freund am Busen hält
Und mit dem genießt,
Was, von Menschen nicht gewußt
Oder nicht bedacht,
Durch das Labyrinth der Brust
Wandelt in der Nacht.
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abab cdcd efef ghgh ijij kmkm ・・・・This is alternate rhythm.
Shakespearean sonnet consists of fourteen lines structured as three quatrains and a couplet.The usual rhyme scheme is end-rhymed abab cdcd efef gg.
<ライネケ>
匿名さん、Sさん aka Mr.Red shirtかな。
お付き合いいただいてありがとう。
やっぱり、ソネットじゃないねえ。
じゃ、なんていう韻律なのか知らないけれど、今の毛唐どもは、こんな韻律詩なんて書くのかしらん。中国で五言絶句だの七言律詩だの、書く人いるのかな。
英米では、桂冠詩人なんて今もいるのかしらん。
シラノドベルジュラックが、斬り合いの真っ最中に、アレクサンドランだのなんだのと自由自在に韻文をひねり出すシーンがあって、感心して読んだものだが。
日本語では、韻律はともかく、明治以来、自由詩、新体詩があれほど繁栄したにもかかわらず、今でも、短歌や俳句が盛んに作られている。つまらないけどね。
若い人達のポップミュージックの類で、思いの外に文語が使われているのは、面白いことだと思うね。今をときめく「いきものがかり」の歌の歌詞に「君と春に願いし あの夢を」とかいう文語崩れを見ると、日本語の豊かさに気付かされる。
つい、脱線してしまった。
Ich glaube nicht, aka Mr.Red shirt.
Ich der Kater ! hrhrhr!
Bitte beachten Sie die Wikipedia über `Reimschema'.
(http://en.wikipedia.org/wiki/Rhyme_scheme)
春の夜にはなにかに逢える気がします。
なにに逢いたいのか分からない時ほど
その何かが来てくれるような気がします。
繰り返し通った桜三里 を思い出す季節です。
病院の外の貯水池の周りの萌え出た緑の色も。
chica
<ライネケ>
>匿名さん、
君が誰か、昨日やっと分かった。
Mr.Red Shirtではなかったのだね。失敬したね。
おまけに、Ich bin der Kater.という洒落にもぴんと来なかった。鈍感でごめんよ。君がそんなに洒落っ気のある人だとは気がつかなったよ。正直言って、驚いた。
>Chicaさん、
何かはまだ来ないようだ。
桜三里を土曜日の昼走りました。
萌え出した緑と菜の花の黄色が美しかった。
そう、よく覚えていたね。鷹の子のあたりの貯水池の周りの用水路に菱の葉が浮かんでいたね。
伊予爺ちゃんが、真夏だというのに、足が寒いから電気あんかを捜して来いと言う。そんなモノあるわけないじゃないか、と、車の中、不機嫌な気持ち一杯で、街をさまよった。もっと優しい気持ちでいればよかった、と今になって思うよ。
古武士のような風格のインテリの先生、
だったのでしょうね。
お部屋のたたずまいを拝見するにつけ、そのお姿がしのばれます。
また、その老いて行く過程を毎月帰省なさって感じられたこと、
しみじみとして読ませていただきました。
なつかしい鴎外全集、かつて私も持っていたのでしたが
結局宝の持ち腐れで、母校に寄贈してしまいました。
遠い昔のことを思いだしました。
<ライネケ>
kurashiki-keiko様、
残念ながらと言うべきかなんと言うべきか、「古武士のような」というような人ではありませんでした。むしろ、子供の目には、若いときは、スマートでダンディーな好男子というイメージかな。
元気だった頃は、貧乏たらしいところは見せず、意気軒昂として、インテリで、ロマンチックで、おしゃれで、贅沢で、わがままで、意外に気弱だったり、他人には誠に素敵でも、私の母に対しては実に横暴で、欠点だらけで、誠に矛盾に満ちた人でした。
あの世代の男というものはああいうものだったのでしょうか。それとも、私の父は特殊だったのでしょうか、それは分かりませんが、やっぱり、息子の私の目には、一種の貴種で、死んじゃったわけだけど、一種の絶滅危惧種だったように思えます。
お手本にはできないけど、いい父親を持てたと思っています。
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