現代人は、外の寒気や北風と遮断されたエアコンの利いた部屋の中で、ぬくぬくと暮らすようになった。でも、少なくともライネケの学生時代は、今の暮らしから見れば、ずいぶん不便なものだった。ほんの40年前までの話だ。ここ、十数年の間に、急速に日本の日常生活は変わってきた。
京都時代、ライネケがネコパコと一緒に暮らし始めた頃、冬の京都の底冷えに耐えかねて、大学の北門ちかくの店で買ったのが、米国製のパーフェクションで、これは、ガラスのホヤの中でオレンジ色に燃える芯が周囲を照らしてくれるもので、オールドアメリカン風というか、つましく暮らす若いふたりを、冬ごとにずっと守ってくれた。ガラスのホヤが割れたけど、オークションで探して、30年以上たった今も、まだ生きている。
焚き火が好きなライネケが次に見つけたのが、日本船燈(ニッセン)社のゴールドフレームという、やはりガラスのホヤの真鍮製の灯油ストーブだ。松山のヴァルボラで、タンクに亀裂の入ったのを安く買って、自分でハンダで亀裂をふさいで直した。やはりオレンジ色の炎が暖かいランプのようなストーブで気に入っている。
こんなのもあって、神戸の某旧家の洋館にあったもので、イギリスValor バーラー社製のストーブだ。
二筒式で、細身の円筒の中で小さな青い炎が、静かにつつましく燃える。いかにもイギリスのお育ちの良い家庭を温めてくれるっていう感じだ。ちゃんと耐震装置も付いている。ただし、あつかいは少々面倒だ。
ライネケの父親である伊予爺ちゃんは、英アラジン社のブルーフレームヒーターという灯油ストーブが大好きで、ライネケが小学生の頃から、広い我が家のあらゆる部屋に薄緑色あるいはクリーム色のホウロウ引きのアラジンがあった。ライネケが8年前、愛媛に帰ってきて、比較的小ましに見えたアラジンを3台ほど残して、古くて使えそうにないアラジンを4台前後は処分したと思う。
手元に残したうちの一台は、倉敷のKさんのうちにあったアラジンで、これは現役に近くて、すぐ使うことができたので、Haruno夫妻のうちに引き取られていって、今日も二人を温めてくれていることだろう。
さて、今年の冬、寮を引き払って、初めて自分の根城を持つことになった東京のShigeが、あれではさぞかし寒かろう、というので、残っているアラジンのうち、一台を送ってやろうと思ったわけだ。
それで、ライネケとネコパコが愛媛に帰ってきて以来、8年間、ずっと母屋で眠っていたアラジン2台を引っ張り出してみた。比較的ましと思った二台だったが、すでに、どちらも、埃と錆とタンクの中に残って変質した灯油とひび割れたホウロウとで、見るも無残な姿だった。それでも、ネットで替芯を取り寄せて、再生することにした。
一時は諦めそうになったが、とにかく、随分苦心惨憺の結果、二台とも、きちんと現役復帰した。ブルーフレームヒーターというだけあって、きれいに青い炎がもえて、大分くたびれてはいるが、上品な佇まいに心がなごむ。
やかんを載せてやると、意外に早く湯が沸くのはうれしいね。
今、Shigeの住まいで、好調に燃えているかしらん。どうかな。
1970年くらいまでのアラジンには、耐震消火装置は付いていない上、着火もいちいち燃焼筒を傾けて、マッチで点火してやらなければならない。おまけに、ちゃんと青い火が均等に燃えるように、常に調節整備する手間がいる。そのための鉄製の芯切りもちゃんとある。まだ純正の替芯も手に入る。
彼らが、静かに、優しく燃えるのを見ていると、古き良き時代の名残を見ているような気がする。大切にしてやりたいね。
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