ライネケの父親、つまり、伊予爺ちゃんは、18年ほど前、75歳で死んだんだが、元気だった頃は、自分は特別な人間だと思っていたらしく、実際、自分は神に守られている、と口にしていた。彼の母親は、一人息子が、頭脳的には旧帝大出で、肉体的には徴兵検査で、甲種合格したということが自慢だった。幼い頃、喘息持ちで、頭もマイナークラスだと自覚していたライネケは、神の申し子とか、特別な存在なんてあるわけがない、神様はえこひいきなんかするはずがない、身びいきなことを言うもんだ、と思って聞いていた。
彼は、60才を過ぎたあたりから、胃がんに始まり、心筋梗塞、脳梗塞、大腸癌、次々と発症し、どんどん衰えて行った。ご本人もあきれて、こんなはずじゃなかったと、幻滅したんじゃないかな。ねえ、お父さん。
大概の人間が人並みで、中にはちょっぴり賢かったり、元気だったりするものもあるかもしれんが、100才まで生きるのも、50才で死ぬのも、遅かれ早かれ死ぬという点では大差ないし、カール・ルイスがいくら駆けっこが速いと言ったって、馬どころか、そこらの犬と本気で競争して勝てるかどうか。第一、犬は速さを競って走ったりしないよ。必要があるから必要なだけ走るだけだ。「本気で」というのは、犬が「本気で」という意味だ。
だれもが賢いと言うアインシュタインが相対性理論を考え出したと言ったって、アメリカ大陸を発見したと言って自慢するみたいなもので、もちろん、アメリカ大陸はコロンブスが目にする以前からあって、ヨーロッパ人に見つけてもらう必要なんかなかったし、相対性理論をはじめ、宇宙の真理も見つけてもらいたくて存在するわけじゃない。としてみると、賢いって、一体何のための賢さやら。特別の賢さって、一体どんな賢さなのかしらん。
つまり、人間は大概はドングリの背くらべみたいなもので、特別な人間なんているわけじゃないと思う。某有名病院の名物院長が90何才かなんかで、皆、彼にあやかりたくて、崇拝している。彼も、引っ張りだこで、全国各地を講演して回ってるけど、第一、いい年して、あんなに自己宣伝してまわるおじいさんなんて、ある意味、すでに惚けているのかもしれん。ちょっと長生きしたからといって、何かすごい秘密があるんじゃないかと思う気持ちは分からないではないが、要するに彼は長生き遺伝子のお陰で、多少長生きしてるだけの話かもしれんというのに、特別なものとして、えらく崇拝したり、有り難がったり、馬鹿馬鹿しい話さ。
***********************************
話がそれちゃった。つまり、神に守られた特別な人間なんてない、ということさ。それで、何を話そうとしてたっけ。
3月初めの定期検診で、便秘のおいらにしては、珍しく2個提出した便潜血検査検体の片方が陽性となり、精密検査を勧められた。要するに、大腸内視鏡検査だね。自分が神に守られているなんて、これっぽっちも思えないおいらだ。もう62才だし、いわゆる癌年齢だ。何があってもおかしくない。60歳を超して、何かあったら、たとえそれが交通事故だったとしても、寿命のうちだと思うべきかもしれん。
それに、肛門からものを入れるなんて経験したことないし、江戸時代には衆道として、ある種の文化となった習わしの若衆側感覚が体験できるかもしれん。内視鏡だったら、AIDSの恐れもないしね。面白いかもしれん。
4月27日土曜日、当院は休診日。ちょうど都合がいい。というわけで、高校時代の友人のやっているT消化器内科で大腸内視鏡検査を予約した。
一日前から、おかゆくらいにして、固形物、繊維物は摂らず、金曜日の夜はラキソベロン4錠を飲んで、何とかいう下剤を2ℓの水道水で溶かして、冷蔵庫に入れて就寝。
土曜日朝、ラキソベロンが効いて、軟便を排出。2ℓの下剤液を持って、ネコパコに送られて、T内科消化器に到着。医院の待ち合いのトイレ近くのテレビの前に陣取って、二時間かけて、下剤を飲む。1ℓ飲んだ所で、少し排出。11時前までには、7〜8回、トイレに行ったかなあ。最後の方は、肛門と膀胱がつながったんじゃないか、と思うような、透明なきれいな薄黄色の液が何の抵抗もなく、流出して、おいらの大腸はちゃんと下剤に反応することがよく分かった。
さて、12時ころ、ディスポの股割れのパンツと検査着を着て、検査室に入る。ブスコパンを注射。安定剤も注射するかと訊かれたが、要らないと断る。はっきり経験したいものな。
T先生、そろそろお昼ご飯の時間だというのに、ご苦労さんだが、お願いします。というわけで、まずは左側臥位になって、いよいよ検査開始。
全然、抵抗なく内視鏡が入って行く。途中おなかが張って、ちょっと緊張する。オナラなんかするとみっともないような気がしてね。途中、多分エアーを入れて、腸管内をふくらませるのだろうが、ぶくぶくという感覚とともに、おなかが張って、突っ張る感じがする。痛いというほどではないが、ちょっと苦しい。緊張で足の指が曲がってるのが分かる。
人体というのは、ひどく雑な言い方だが、端から端まで穴の通った厚手のチクワみたいなもので、穴の開口端が口で、反対側の端が肛門というわけだ。その穴の上半分が口、食道、胃、十二指腸で、下半分が小腸、大腸、直腸、肛門ということになる。普通、内視鏡と言うと、食道、胃、十二指腸止まりの上部消化管と大腸以下の下部消化管検査をさす。比較的最近まで、小腸の内視鏡検査は困難だった。今回のは、下部消化管検査だ。
さて、検査半ばで、仰臥位となって、右足を左足の上に組むようにいわれる。見上げるとモニターが見えて、自分の大腸の粘膜がよく見える。自分の内部の探検だ。内視鏡を動かしながら、いろいろな角度方向から見る自分の大腸粘膜。もし、自分の目の前に、どう見ても、こいつは正常じゃないよ、というような腫瘍やら、潰瘍やらが現れたら、どうしようかね。皮膚科のおいらでも、おかしい、ということくらいは分かるよ。さぞかし、いやな気分だろうな。そんなとき、平然と現実が受け入れられるかな?
3年ほど前のことだ。我が皮膚科医院を開院した7年前、随分世話になった経理事務所のトップのNさんの名前で、突如、葉書が舞い込んで、「自分に大腸癌が見つかり、すでに手遅れだった。それで自分は世を去るが、在世中は世話になった。」という旨の挨拶で、びっくりした。彼とは、つい数ヶ月前話したばかりだった。彼の顔をしばらく見ないと思っていたら、彼は、自分の運命を悟り、その葉書を用意して、彼が世を去ってから、その葉書が配られたのだった。そのようなことが、いつ何どき、自分にも起こらないと誰に言えよう。
***********************************
「きれいなもんだよ。」
と、T先生が言う。やっぱり、ほっとする。
ズルズルと内視鏡の管を引き出して行くと、最後、肛門の手前あたりに、赤く充血したところがある。
「あの赤いのは何かね?」
とライネケが訊く。中学高校時代の同級生だった気安さから、ついつい仲間口調になる。安心したせいもあるかな。だって、何かあってもおかしくない年頃になったんだものな。
T先生 :「下剤で何回も便が出たあと、よく見るよ。心配ないじゃろ。」
ライネケ:「この検査は毎年やらないけんのかな?」
T先生 :「便潜血が出なかったら、3年位してでええんやないか。」
こんなこと毎年やるのはさすがに遠慮したい。ありがたい。
ネコパコを呼んで、迎えに来てもらう。医院の外に出て、春の日を浴び、風に吹かれながら、道端で待つと、ネコパコが乗ったルポが路肩に止まる。鎮静剤を使ってないので、自分で運転して帰れる。
午後、県医師会館でダニ媒介の重症感染症の講演を聴きに行き、帰りに、ネコパコと松山で食事して帰る。下痢も治まり、腹具合に問題なく、思いのほかにたくさん食べられた。
***********************************
何かあってもおかしくない年頃になった。いつか、何かが本当に起こるだろう。その時はまたその時さ。
ところで、肛門に何かが入って行く感覚って、別に大して特記するような感覚じゃなかったよ。それほど痛くも苦しくもなく、もちろん、気持ち良くもなかった。
彼は、60才を過ぎたあたりから、胃がんに始まり、心筋梗塞、脳梗塞、大腸癌、次々と発症し、どんどん衰えて行った。ご本人もあきれて、こんなはずじゃなかったと、幻滅したんじゃないかな。ねえ、お父さん。
大概の人間が人並みで、中にはちょっぴり賢かったり、元気だったりするものもあるかもしれんが、100才まで生きるのも、50才で死ぬのも、遅かれ早かれ死ぬという点では大差ないし、カール・ルイスがいくら駆けっこが速いと言ったって、馬どころか、そこらの犬と本気で競争して勝てるかどうか。第一、犬は速さを競って走ったりしないよ。必要があるから必要なだけ走るだけだ。「本気で」というのは、犬が「本気で」という意味だ。
だれもが賢いと言うアインシュタインが相対性理論を考え出したと言ったって、アメリカ大陸を発見したと言って自慢するみたいなもので、もちろん、アメリカ大陸はコロンブスが目にする以前からあって、ヨーロッパ人に見つけてもらう必要なんかなかったし、相対性理論をはじめ、宇宙の真理も見つけてもらいたくて存在するわけじゃない。としてみると、賢いって、一体何のための賢さやら。特別の賢さって、一体どんな賢さなのかしらん。
つまり、人間は大概はドングリの背くらべみたいなもので、特別な人間なんているわけじゃないと思う。某有名病院の名物院長が90何才かなんかで、皆、彼にあやかりたくて、崇拝している。彼も、引っ張りだこで、全国各地を講演して回ってるけど、第一、いい年して、あんなに自己宣伝してまわるおじいさんなんて、ある意味、すでに惚けているのかもしれん。ちょっと長生きしたからといって、何かすごい秘密があるんじゃないかと思う気持ちは分からないではないが、要するに彼は長生き遺伝子のお陰で、多少長生きしてるだけの話かもしれんというのに、特別なものとして、えらく崇拝したり、有り難がったり、馬鹿馬鹿しい話さ。
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話がそれちゃった。つまり、神に守られた特別な人間なんてない、ということさ。それで、何を話そうとしてたっけ。
3月初めの定期検診で、便秘のおいらにしては、珍しく2個提出した便潜血検査検体の片方が陽性となり、精密検査を勧められた。要するに、大腸内視鏡検査だね。自分が神に守られているなんて、これっぽっちも思えないおいらだ。もう62才だし、いわゆる癌年齢だ。何があってもおかしくない。60歳を超して、何かあったら、たとえそれが交通事故だったとしても、寿命のうちだと思うべきかもしれん。
それに、肛門からものを入れるなんて経験したことないし、江戸時代には衆道として、ある種の文化となった習わしの若衆側感覚が体験できるかもしれん。内視鏡だったら、AIDSの恐れもないしね。面白いかもしれん。
4月27日土曜日、当院は休診日。ちょうど都合がいい。というわけで、高校時代の友人のやっているT消化器内科で大腸内視鏡検査を予約した。
一日前から、おかゆくらいにして、固形物、繊維物は摂らず、金曜日の夜はラキソベロン4錠を飲んで、何とかいう下剤を2ℓの水道水で溶かして、冷蔵庫に入れて就寝。
土曜日朝、ラキソベロンが効いて、軟便を排出。2ℓの下剤液を持って、ネコパコに送られて、T内科消化器に到着。医院の待ち合いのトイレ近くのテレビの前に陣取って、二時間かけて、下剤を飲む。1ℓ飲んだ所で、少し排出。11時前までには、7〜8回、トイレに行ったかなあ。最後の方は、肛門と膀胱がつながったんじゃないか、と思うような、透明なきれいな薄黄色の液が何の抵抗もなく、流出して、おいらの大腸はちゃんと下剤に反応することがよく分かった。
さて、12時ころ、ディスポの股割れのパンツと検査着を着て、検査室に入る。ブスコパンを注射。安定剤も注射するかと訊かれたが、要らないと断る。はっきり経験したいものな。
T先生、そろそろお昼ご飯の時間だというのに、ご苦労さんだが、お願いします。というわけで、まずは左側臥位になって、いよいよ検査開始。
全然、抵抗なく内視鏡が入って行く。途中おなかが張って、ちょっと緊張する。オナラなんかするとみっともないような気がしてね。途中、多分エアーを入れて、腸管内をふくらませるのだろうが、ぶくぶくという感覚とともに、おなかが張って、突っ張る感じがする。痛いというほどではないが、ちょっと苦しい。緊張で足の指が曲がってるのが分かる。
人体というのは、ひどく雑な言い方だが、端から端まで穴の通った厚手のチクワみたいなもので、穴の開口端が口で、反対側の端が肛門というわけだ。その穴の上半分が口、食道、胃、十二指腸で、下半分が小腸、大腸、直腸、肛門ということになる。普通、内視鏡と言うと、食道、胃、十二指腸止まりの上部消化管と大腸以下の下部消化管検査をさす。比較的最近まで、小腸の内視鏡検査は困難だった。今回のは、下部消化管検査だ。
さて、検査半ばで、仰臥位となって、右足を左足の上に組むようにいわれる。見上げるとモニターが見えて、自分の大腸の粘膜がよく見える。自分の内部の探検だ。内視鏡を動かしながら、いろいろな角度方向から見る自分の大腸粘膜。もし、自分の目の前に、どう見ても、こいつは正常じゃないよ、というような腫瘍やら、潰瘍やらが現れたら、どうしようかね。皮膚科のおいらでも、おかしい、ということくらいは分かるよ。さぞかし、いやな気分だろうな。そんなとき、平然と現実が受け入れられるかな?
3年ほど前のことだ。我が皮膚科医院を開院した7年前、随分世話になった経理事務所のトップのNさんの名前で、突如、葉書が舞い込んで、「自分に大腸癌が見つかり、すでに手遅れだった。それで自分は世を去るが、在世中は世話になった。」という旨の挨拶で、びっくりした。彼とは、つい数ヶ月前話したばかりだった。彼の顔をしばらく見ないと思っていたら、彼は、自分の運命を悟り、その葉書を用意して、彼が世を去ってから、その葉書が配られたのだった。そのようなことが、いつ何どき、自分にも起こらないと誰に言えよう。
***********************************
と、T先生が言う。やっぱり、ほっとする。
ズルズルと内視鏡の管を引き出して行くと、最後、肛門の手前あたりに、赤く充血したところがある。
「あの赤いのは何かね?」
とライネケが訊く。中学高校時代の同級生だった気安さから、ついつい仲間口調になる。安心したせいもあるかな。だって、何かあってもおかしくない年頃になったんだものな。
T先生 :「下剤で何回も便が出たあと、よく見るよ。心配ないじゃろ。」
ライネケ:「この検査は毎年やらないけんのかな?」
T先生 :「便潜血が出なかったら、3年位してでええんやないか。」
こんなこと毎年やるのはさすがに遠慮したい。ありがたい。
ネコパコを呼んで、迎えに来てもらう。医院の外に出て、春の日を浴び、風に吹かれながら、道端で待つと、ネコパコが乗ったルポが路肩に止まる。鎮静剤を使ってないので、自分で運転して帰れる。
午後、県医師会館でダニ媒介の重症感染症の講演を聴きに行き、帰りに、ネコパコと松山で食事して帰る。下痢も治まり、腹具合に問題なく、思いのほかにたくさん食べられた。
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ところで、肛門に何かが入って行く感覚って、別に大して特記するような感覚じゃなかったよ。それほど痛くも苦しくもなく、もちろん、気持ち良くもなかった。
8 件のコメント:
うんうん、経験者としましては、思い出しつつ、そんなもんでしょ、と読ませていただきました。
私の場合は結構大きい面積のポリープだから入院が必要、と言われ、ノートパソコン持参でホームページが直せるわ、と休暇でももらったつもりでいそいそと。
ポリープのところで青い液をわかりやすくするためにかけて染め、ワイヤーみたいなのを捲きつけたか、で切除したと思います。
自分がガンではなんて疑いをちっともしていなかったのは全く能天気な話ですが。
でもまあ、何事もなくて結構でしたね。
<ライネケ>
kurashiki-keiko様、
おはようございます。
うちの連中もそのうち経験するかもしれないので、こんなもんだよ、ということで書き留めておきました。
大抵の人が、自分のは悪性ではないか、と心配すると思います。なかなか、虚心坦懐に、とは行かないものです。kurashiki-keiko様は、その点、能天気というより、前向きの性格が幸いしたのと、主治医の持って行き方がうまかったのだと思います。
何やら、大掃除したみたいな気分でした。
ライネケ院長様
ご無事で何よりです。安心致しました。
私は胃カメラを過去2回飲みました(30歳過ぎ、及び40歳頃)。
今後は飲まない事にしています。その時はその時です(笑)。
某有名病院の名物院長の行、仰るとおり馬鹿馬鹿しいと思います。
Nさんの行、彼の美学を感じました。
「中論」は難しそうで且つ図書館にも無い様子でした。
「龍樹」という文庫本の中古を発注したところです。
またご教示ください。
<ライネケ>
Aさま、
コメントありがとうございます。
このブログは、私達と子どもの間の連絡板みたいなもののつもりで続けていますが、子どもたちは忙しいのか、最近はあまり書き込んでくれなくなりました。親子の間ってそんなものかもしれません。家族以外の方から、コメントをいただくと嬉しいです。
Nさんという人は、最初出会った頃は、怪しげなおじさんという感じでしたが、だんだん、なかなかの人物で、しかも、意外に無邪気で面白い人物だと分かって来て、これからいろいろ教えてもらおうと思っていた矢先に、ああいったことになってしまい、私も残念に思っています。
「中論」と「龍樹」は、まあ、私ごときの言うことですから、あまり真に受けずに、ご自身のご判断で勉強なすって下さい。何か、生きるとか、存在するとか、そんな漠たる問題の答えがかいてあるんじゃないか、と思って勉強してみたけれど、どうやら、そんなものじゃなかったらしくて、がっかりしたというようなものです。
また、機会があれば、お茶でも飲みに来て下さい。コーヒーくらいしか出ませんが、それもお口に合うかどうか。
ライネケ院長様
Aです。コメントありがとうございます。
たぶん、何を読んでも話を聞いても、答えは無いんだろうなぁ、と思います。
でも、面倒に立ち向かった先人や、斜めから現世を観ている人の思考・思索に触れると嬉しいです。
有線インターホン工事は完了したとの事です。無線機器の本体価格よりも安上がりだった様子です(笑)。
苦いコーヒーが好みです。またご連絡致します。
<ネコパコ>
「面白がってやってみようじゃん…」
おっ強気だったんだな
お迎え要請の電話がひどく力が無かったので、
スワ一大事かと車を走らせたのですが
どうやら前日からの絶食状態のせいだったようでホッとしたものです
ほんと良かった良かった
誰かの詩にあった
「あな あな あな あな多し
目 耳 鼻 口 〇〇のあな」
人間も動物も解放器官で生きている実感を感じるものなのね
あとは触覚か
その上で第六感があるわけで…などと
とりあえず妙な事に納得
<ライネケ>
「解放器官」?
そりゃ何じゃ? 初めて聞くが・・・。
外に向かって開いている器官だって?
なるほど、ははあ。そう言われてみれば、そうだね。
六根清浄の六根とは、目・耳・鼻・舌のほか、身と意を言うんだそうだ。身は感覚器官としては皮膚ということになるけど、意は意識ということで、意識で喜怒哀楽を感じるというのだろうけど、これを知覚器官と言われると、どうだろうね。
ネコパコの言う「解放器官」という分類は面白いな。
何もないのが、一番ですね。
よかったよかった。
雲出る国へ楽しんできて下さい。
chica
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