春一番が関東平野の端にも吹き荒れた、ある晴れの日。
がまは弁当箱のような可愛らしい私鉄に揺られて出かけていた。
引き籠りのがまが こんな知らない街をあちこちキョトキョトと
見まわしながら歩いていくのには、それなりのわけがある。
元来、彼は「必要最低限こそエコの真髄。」などと云って、
着る(たまに。)・寝る・食べる の他は一切気を遣わない生活に励んできた。
彼の云うエコとは、あくまで依怙贔屓、もしくはエゴイズムのエコであって、
まったく地球のことなぞ想ってもみないわけだが、
これまで概ね問題なくやってこられた。
しかしここ最近になって、この孤高の沼の主には
あれこれと厄介事が降り掛かるようになってきた。
まず、彼がそこいらを裸足でペタペタと歩いていると、兎さんやら
キリギリスさんが寄ってたかって、口うるさく「シャカイジンなら…」
などと呼び止めるようになったこと。
シャカイジンというのが何を意味するのか、がまには良く判っていないので、
「ふうん。ズルり(鼻をかんだ)。」などと生返事をして誤魔化しているが、
まったく小五月蠅いこと甚だしい。
次に、彼が森でどんぐりなぞを拾って歩いていると、お猿さんが寄ってきて、
「君キミ、すこしはわきまえたまへ。オトナはそういうことはしないのだよ。
みんなと仲良く協力しあって柿でも育ててはどうかね。」
なぞと小賢しいことをぬかすことが頻々とある。
彼は、オトナという言葉も、なにかの食い物だろうくらいに思っているので、
「どうも、それは不味そうだねえ…」といって、
薄ぼんやり相手を見返すばかりである。
しかし、こんなことが度重なると、いい加減がまもジリジリとした気分になってくる。
「あー、めんどくさ。」
そういう経緯があって、彼はその人生で初めて金(キム。大阪在住。
たぶんお婆ちゃんは大陸出身)にものを云わせることにした。
そして、金君の為した仕事の首尾を確かめるために、
春一番の吹く街に出掛けてきた訳であった。
金君はかなりよい仕事をしていた。
「これなら連中の目も、声も届かないところへブイブイ走っていけそうだな。」
がまはおおむね満足したようである。
「安全運転よおおおし!」
がまがえるのエコイズムは死ぬまで治らないであろう。