<二日目>
二日目は
土佐大正のキャンプ場から徳島日和佐のキャンプ場まで
オレンジ色の行程 230km
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翌朝も晴れが続いた。大正から国道56号に出た。窪川を経て、久礼坂を下り、須崎の町を通り抜けた。オートバイの単独行も含めて、何度走ったか分からない位、走り慣れた道のはずだったが、今回は反時計回りのせいもあって、何も無かったはずの国道の環境も変わって来ており、何だか、見慣れない感じだ。それもそのはず、高速道路が須崎まで伸びて来ていて、時代は変わりつつあるのだった。
高知市を抜けて、国道55号に出て、さらに、物部川沿いの土佐中街道を走って、香美町に住むネコパコの友人宅を目指した。
土佐中街道の途中にある杉田ダムの上で。
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途中、杉田ダムのかたわらで昼食をとり、香北町日ノ御子という村に寄り、ネコパコの友人を訪ねた。彼女は40年前、この山深い地域から、京都の大学に4年間学び、再び、郷里に帰って、結婚し、働いて、今に至るという。ぶしつけなライネケが彼女に、「奇跡のような青春の4年間」ですね、と言うと、彼女は笑っていた。京都の4年間は彼女の中ではどんな思い出となって生きているのだろう。それにしても、都会のひのき舞台で華々しく活躍するだけが意味のある人生じゃあるまい。人が一生を生きる、それが人生というだけの話だ。ライネケには、彼女が立派に見えた。
高知と徳島の県境にある
「四つ足峠」のトンネル
徳島側から見た所
昔は不気味だった
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土佐中街道を、どんどん上がって行くと、別府峡を経て、高知と徳島の県境の四つ足峠がある。初めてこのトンネルを通ったのは、30年前、ネコパコとオートバイに二人乗りして、通った。当時は、真っ暗で、向こうが見えず、オートバイのライトを頼りにトンネルの中程まで登って行くと、トンネルが少し広くなっていて、祠があって、ロウソクかなんかが灯っていた気がする。そして、徳島側に下って行くと、向こう側の出口の明かりがやっと見えて来た時は、うれしかった。今は、照明も着いて、トンネル幅も広く感じた。あの中央の祠はまぼろしだったのだろうか。
このトンネルを高知側に下った所に別府(べふ)峡という温泉地があるのだが、昔、夏泊まって、夜、宿泊施設の水銀灯の下に、黒い物が沢山落ちているので、よく見たら、クワガタムシやカブトムシだったので、幼かったHarunoやSoraが、たいそう喜んだのだが、翌日龍臥洞に入って出て来たら、暑い自動車の中で全部死んでしまっていて、落胆したのを思い出すな。
このトンネルを高知側に下った所に別府(べふ)峡という温泉地があるのだが、昔、夏泊まって、夜、宿泊施設の水銀灯の下に、黒い物が沢山落ちているので、よく見たら、クワガタムシやカブトムシだったので、幼かったHarunoやSoraが、たいそう喜んだのだが、翌日龍臥洞に入って出て来たら、暑い自動車の中で全部死んでしまっていて、落胆したのを思い出すな。
土佐中街道を、今度は那賀川に沿って東進して、途中から、南に向かって、日和佐に出た。国道55号線沿いの海辺の町だ。いまは海部郡日和佐町と由岐町が合併して美波町というらしい。
美波町の大浜海岸
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大浜海岸という名の海岸は全国にいくつかあるが、美波町の大浜海岸は、美しい砂浜とウミガメの産卵地として有名なんだそうだ。長い波が寄せて、夕日が美しくて、いい浜だと思うが、今は人出が少ないからいいんで、夏なんか、寄りつけないだろうね。足摺近くの大岐浜なんか、初めて行った頃は、誰もいなかったのに、今は冬でも、サーファーの車で一杯だ。
大浜海岸をやり過ごして、さらに奥の恵比寿浜キャンプ場というのがあった。大人ふたりで400円、車の乗り入れ料が1000円。
恵比寿浜キャンプ場
夕暮れ近くなると、カーナビで周辺の施設というのを検索して、
キャンプに適した場所を探す。冬場は、キャンプしようという物好きは
少ないらしく、条件がいい。夏場は町中にいるよりも人だらけになるだろう。
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芝生の手入れが意外によくて、
広い敷地内の奥にテントを張る。
独り占め。
静かでよかったよ。 |
キムチ鍋
このコッヘルはピンホールがあいていて、
さっさとしないと漏ってしまうのだが、
こういう濃いものだと、塞がっているようだ。
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ガソリンストーブに点火し、途中のスーパーで買ったキムチ鍋の素に豆腐とお肉をほおりこんで夕食。またまた、近くのホテルにあった温泉に入浴して、就寝した。治にいて乱を忘れず、じゃなくて、キャンプにいて温泉を忘れず、だな。
<三日目>につづく
3 件のコメント:
次は九州にでも行かれてみては
いかがだろうか?
阿蘇の草はらなんか、気持ちいいかもよ。
chica
日和佐と、牟岐というところは、まだ子供が幼いころに民宿に泊まって遊んだ場所でした。海岸通りの素晴らしい景観の道があったと思います。日和佐の大浜海岸の近くには海水を引き込んだ「海亀プール」というのがあったと思います。
にしても、30年前にオートバイ二人乗りでの旅、なかなかのものですね。トンネルの途中の祠というのも珍しくもありなんだか化かされていたかのような面白い体験。
<ライネケ>
Chicaさん、九州は、二度行って来た。八幡浜か三崎町から、フェリーで、佐賀関に渡れば、1時間程で、九州に渡れる。それで、車中泊で、一度目は、佐賀、伊万里、唐津、鳥栖、湯平温泉を、二度目は、臼杵、延岡、宮崎、高千穂、竹田と回って来た。次ぎは、熊本の弓屋さんに行きたいと思っている。
kruashiki-keiko様、コメントありがとうございます。
30年前は、二人とも若かった。二人でそれぞれ、別々のオートバイに乗って、滋賀から、岐阜県の白鳥、長野を回ったこともあります。ほお〜んとに二人とも若かった。まだ、私は、オートバイに乗りますけどね。ネコパコは膝腰を傷めて、おまけに、最近は肩も痛めて、駄目です。
四つ足峠のトンネルの中間の祠は、よくよく考えてみれば、余りに暗くて、細くて、長いトンネルの中での、幻ろしだったのではないか、と思います。この前通った時には、そのような物はありませんでしたから。トンネルが上り坂、下り坂になっていて、初めて通った時は、向こう端が見えず、真っ暗の中を進んで行って、頂点の所に明かりが点いていたのは確かです。今回はそれもありませんでした。ずっと照明が点いていましたから。
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