2012年10月31日水曜日

また二人にもどって:最終回 <ライネケ院長>

三日目は、
徳島県日和佐の海べのキャンプ場から自宅まで、
青色の行程 270km
三日間で総計640km程の行程だった。
晴天に恵まれ、楽な旅だった。
<三日目>
朝ぼらけの海
早朝、目がさめてテントから這い出して、キャンプサイトの向こうに広がる海を見た。今日も晴れそうだよ。三日連続で晴れ。出かけると必ず雨に降られてきたライネケも、雨男の汚名返上かな?

40年来の習慣とは言いながら、
こんな所でまで
物好きだね。
だって、
「珈琲ゲリラ」だもの

朝食のあとは、コーヒー。こんな所でまで、わざわざ、碾き豆にドリップして、コーヒーを淹れる。コーヒーを飲みたくて淹れるのか、こういう習い作業が癖になって、落ち着くのか、自分でも分からない。40年続いた習癖だ。

美波町牟岐の海沿いの道
国道から外れて、山のすそを海沿いに行くと、ツヅラ折れの細い山道が続き、時々、砂浜が見える。昔、Chicaが生まれたばかりの頃、コミックに出て来るおもちゃみたいな赤い360ccの車に、柳ごおりの蓋の中に赤ん坊のChicaを寝かせて、この辺りを走ったはずだ。

ここはどこだったんだろう?
若かったネコパコと
生まれてまもない頃のChica
信じられる?

とある砂浜に降り立ったら、犬がいて、Chicaの顔を舐めに寄って来た。

若かったライネケに抱かれたChica
この砂浜がどこだったのか、
いまだに分からない。

あの砂浜はどこだったのだろう。あのちっちゃな車は、10万キロまで乗って、最後は押し掛けしてもエンジンがかからなくなり、廃車しちゃったけど、いろいろなところに行き、面白おかしい毎日だった。あれから、何度も近くを走る機会があったが、いまだに、間違いなく、この浜辺だ、という場所に行き当たらない。不思議だね。

収納袋、
コッヘル大、同中、同小、ケットル、それぞれの蓋、
焼き網、オタマ、
折れてしまって見えないが、しゃもじ


あの頃、京都の北山に登るために、買ったコッヘルセット。随分役立ってくれた。最初から付属してた丸い焼き網もオタマもある。

1978年購入

今回、コッヘルセット付属のプラスチックのしゃもじが折れてしまったのが残念だったが、木製のもので補充した。二番目のコッヘルにはピンホールがあって、水が漏れる。直さなくては。これに、スベアのガソリンストーブ、コールマンのガソリンランタンがあり、これで大抵のことはできる。34年間使って来ても、随分長持ちするもんだ。

阿波池田手前の吉野川を見ながら昼食
ネコパコは早速ヤブ蚊に食われた。
朝食後、日和佐から、徳島に寄って、徳島から阿波池田まで70キロ以上、ずっと道なりに走った。四万十川は随分蛇行していたが、吉野川はまっすぐ四国を縦断する形だな。阿波池田手前の吉野川の土手で、昼食をとった。

阿波池田まで来たら、あとは、伊予三島方面に抜けて、11号線を松山に向かうだけだが、ここまで来たら、ついでに新居浜に寄って、ネコパコの好きな「抹茶もぶれ」を買った。そして、本谷温泉に入湯して、さすがに最終日の夕食は松山で済ませて帰宅した。

3日間で、寄り道も入れると、合計700キロ足らずの旅行になった。日和佐は、30年前、Chicaを連れて、エアコンもないちっぽけな車で行った思い出の場所だ。あの頃は、大学病院に勤務しはじめてまもなくで、今回は、思い出をたどるような旅だった。ほとんど観光化されていなかった四国の太平洋側も、徐々に高速道路が伸びて来て、まだ自然の美しい山間部だって、そのうち、変わってしまうかもしれない。手つかずの自然なんて、あり得ないとは思うけど、「キャンプ場」という所に行ってみれば、こういうことがキャンプなら、家に居たって同じじゃないかと思うよ。自然を愛するなら、自然には極力立ち入らないことだ、というのも、皮肉な話だ。

人生の終わりが見えて来たせいか、何だか、センチメンタルジャーニーめいて来た今回の旅だった。

<おしまい>

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ギニャー。
それ私と違う。違う子や。
犬に優しさを舐め取られてしもうたのかしら。
自分の刺々しさに辟易とする今日この頃。
もう一回、舐めて戻してもらわないかん。
chica

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
確かに。
この写真からでは、今のChicaは想像できんな。
Gama君は「シャボテンねいさん」と呼んでいるのだから。
Chicaが赤ん坊だった頃、よく、唐揚げ定食を食べに行った篠山の「頓」の太ったおかみさんが「まあ〜。笑顔良しやの〜。」と言って褒めてくれたよ。うまい褒め方もあるもんだ、と夫婦で顔を見合った。

kurashiki-keiko さんのコメント...

日和佐と、その南の牟岐というところへは、
子供3人が小さいころに民宿へ泊ったことがあります。
6畳間に5人おしこめられた感じで、隣のふすまひとつ隔てた所へは別家族。
「子3人、というけれど3人は大変そうだな」
と言われましたっけ。

ライネケ院長 さんのコメント...

<ライネケ>
kurashiki-keiko様、
コメントありがとうございます。
私達は、民宿にあまり泊まりませんでした。子どもたちは最終的には4人になり、6人を車に詰め込んで四国を回るのです。何度回ったか、分からないほど回りました。
泊まる所は決めていて、大抵、一日目は、高知から須崎に向かう海沿いの横波黒潮ラインとかいうスカイラインの途中にある国民宿舎でした。そして、二日目は、足摺岬の根っこにある大岐という砂浜にテントで一泊し、三日目は愛媛の実家というパターンが多かったです。つまり、四国一周は、倉敷から愛媛に帰り、ついで、愛媛から倉敷に帰る、つまり、一回の旅行で二度帰れるという、まるで一度で二度美味しいというものだったんです。
日和佐牟岐もその一環でした。今となっては、懐かしい所です。