2012年12月27日木曜日

優しくなりたい

優しい人でありたい。
他人しく、自分に厳しく。
そんな人になりたいけど、現実は真逆で。
他人に厳しく、自分に甘い。



 奈良美智の描く人で、私は意地悪い顔をした人が好きだ。
ああ、自分にそっくりだと思う。
だから、この子を見た時、おとなし過ぎると思ったんだけど、
よく見たら違うと思った。
目を見開いて、口だけ笑って、でもトゲトゲ。
本当は「森ガール」って名前らしいけど、
私が違うと思う。



 ヤドカリ ウニ子だと思う。

私も案外睫毛長いんやで。

友達がまた増えた。    chica

2012年12月24日月曜日

12月24日

さればこそ

「めりいさんのひつじ。」 
などと、がまは申しておりますな。
たぶんジンギスカンが食べたいのだと思います。

んめえええええええええええへへへへ。

げこ

2012年12月22日土曜日

がま散歩に出る

雨である。

きーりーさあーめええええええええ。
じとじとじとじとじと。

ということで気分転換に散歩に出た。
てくてく

 梨農園を抜ける

てくてく

 てくてく

熊笹の林を抜ける 

 うむ資本主義と消費社会の残滓であるな

帰ってきたら、郵便が届いた。
なんだろうね

つまりクリスマスである、というわけだな。 
             なまねこなまねこ          がま

2012年12月19日水曜日

ポチのこと <ライネケ院長>



ポチが逝った。

2012年12月17日卒 
享年16才


12月17日、月曜日、朝7時過ぎ、目が覚めて、階下の伊予ばあちゃんの食堂の前、エレベーター入り口のところに、段ボールの箱にいれて寝かせていたポチをのぞきに行った時は、まだ、胸が動き、足を動かしていた。



8時半頃、再び見に行くと、動かず、息がなくなっていた。
伊予ばあちゃんに知らせて、彼を抱き上げ、箱にいれてあった汚れた新聞紙を換えてやり、ティッシュペーパーで、汚れた彼の口元を何度も拭いてやって、また、箱に寝かして毛布を掛けてやった。

彼の体は、まだ少しあたたかく、硬直していなかった。
ついさっきまで、頑張っていたのだね。
とうとう、死んでしまったんだね。お前の体はここにあるけど、お前はもういない。
もう苦しまなくていいのだね。
えらかったね。
よしよし。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ポチは17年前、老ライネケこと、伊予じいちゃんがなくなって、松前のおうちに独り残る伊予ばあちゃんがさびしかろう、というので、Aさんが連れて来てくれた犬だ。柴犬の血を引く雑種の子犬で、妙に胸が厚くて、背中が平らな、砲弾型の小型犬だった。

十年くらい前、元気だった頃のポチ
ある日、我が家にもらわれてやって来た。
ポチ三世ということになるかな。
大した病気もせず、十数年間にわたり、ずっと伊予ばあちゃんを守り、なぐさめてくれた。
くるくるりと巻いた尾っぽが彼の特徴。
ロナはいなかったし、
リフォームする前の我が家の裏庭は
彼一人のテリトリーだった。
くるくるりと巻いた尾っぽが特徴で、よく吠え、我が家の庭を独り占めして、あらゆるところにオシッコをかけて回り、穴を掘った。
柴犬の血を引いていた。
六年前、医院をリフォームして、彼が自由に走り回れる空間がなくなったので、母屋に放し飼いすることになって、この六年間、今度は母屋を留守番してくれた。

伊予ばあちゃんが、ずっと、一日一回、餌と水をやりに、母屋を往復して、ポチの様子を見ていた。ポチは、毎日、母屋の庭を走り回り、かぎ回り、いたるところに穴を掘り、目につくもの片っ端からオシッコをかけて、気ままに放し飼いの暮らしを続けて来たのだが・・・。

2、3年来、目も耳も悪くなったようで、愛想がよかった以前のような活発さがなくなり、小屋の中で寝ていて、呼んでも出て来なくなり、半年前から、後ろ足が不自由そうで、時々、痙攣しているのも目についた。

10日ほど前、母屋の近所から、ポチの夜泣きがひどくて、安眠妨害になるから何とかしてくれ、という苦情が来た。それで、ポチは再び、医院裏の伊予ばあちゃんの部屋の前のベランダに引き取られて来たのだった。

確かにポチの夜泣きは問題だった。夜昼が逆転しているらしくて、夕闇が迫ると泣き出すのだ。もういい加減に疲れて泣き止むだろうと思って、祈るような気持ちでいても、しつこく長く続く。そばに行くと泣き止むが、また泣き始める。彼には彼の事情があったのだろうが、近所迷惑を考えると、何とかしなければならない。

セルシンとかホリゾンとかいう薬
ジアゼパムというのが薬物名
抗不安薬だが、眠り薬みたいによく使われる
ヒトには、1、2錠で十分だが、
10キロしかないポチには3錠くらいやった。
それで、5時間ほどは、おとなしく眠るようだった。

近所の犬猫病院に相談すると、要するに一種の痴呆なのだと言われ、マイナートランキライザーを処方された。数錠飲ませると、寝てしまって、静かになる。でも、一晩は持たないみたいだった。鳴き声が外に漏れないようにと、深夜は、エレベーターの中に入れてみたりした。こちらも睡眠不足になった。

あまり汚くて、情けないので、思い立って、ネコパコと二人で、風呂場に彼を入れて、湯をかけて、石鹸で泡だらけにして洗ってやった。普段は水をいやがる彼が、大した抵抗もせず、湯をかけられ、ドライヤーで乾かしてもらっていた。その晩は、おとなしく眠り、伊予ばあちゃんが、ポチのこんなに安らかな寝顔を久しぶりで見た、と言ってくれた。


こんなすったもんだが、はたしていつまで続くんだろう、と憂鬱な気分でいた頃、突然、ポチは逝ってしまった。最後は意外に早かった。

願わくば わがおくつきに
植えたまえ 梨の木幾株(いくしゅ)

そのうち、何か植えてやろうね。
裏のびわの木のある庭に埋めてやった。

ネコパコが、近くの植草から、ローズマリーやセージ、ちょうど咲いていた黄色い花やポリゴナムの桃色の花を採って来てくれたのを、置いてやった。

数ヶ月経てば、緑の草が上を覆い、どこだか分からなくなるだろう。

住み慣れたポチの小屋を分解した。
廃品回収に出されることになるだろう。

伊予ばあちゃんの住まいの前のベランダに作った柵とポチの小屋を分解した。
主がいなくなれば家は廃墟になり、ひとが死ねば、肉体は虚しい抜け殻になる。
「世の中にあるひとと住処(すみか)と、また、かくのごとし」だね。

彼がどこに住んでいたのか、どういう風に生きていたのか、どんな犬だったのか、思い出せなくなるだろう。そして、やがて、思い出す人もいなくなるだろう。

庭に向かって 空に向かって
なんども なんども
ポチ、 ポチ、
と呼んでやりたい
けど、
ポチはもういない

さようなら ポチ

ありがとう ポチ

あらら
あやつ、意外にあっさりとくたばっちまいやがったもんだ

おさびしくなりますな
旦那

これからは、おいらの天下だね
ゴロゴロゴロ






2012年12月16日日曜日

ネコパコ事務室だより

高さ1mから見事に落下して思いきり尾てい骨を硬い床に打ち付けた
お粗末の極み
仙骨に小さなヒビが入った
屈んだりくしゃみをしたり長時間座り続けると痛い アダダいたい!!
平らなところを歩くことと階段を下りることはできるが昇るのはつらい

 「安静に 痛いことはするな」と言う医師の指示に素直に従い
2週間があっという間にたってしまった
普通で2ヶ月 無理すると3ヶ月はかかるとか
2週間経ってずれてはいないことがとりあえずわかった

 今日は選挙だった
まかせたい政党なんてないけれど義務を果たした徒歩の帰り道
水門近くのカモメがおばさんに餌をもらうためにひしめき飛ぶのを見た
初めて目にする光景だった
面白かったので立ち止まって眺めていたらむこうから声をかけられた
この季節だけカモメが寄って来るとか
魚港の冬らしく青い空と白いカモメはなかな美しい色合いだが
いかにもどん欲なカモメ達はかってみた宮城県の松島の観光船の
かっぱえびせんとカモメを思い出させた

年末の掃除をするのは「痛いこと」なのでやらないことにした
車で遠出することがなければ休日は実に手持ち無沙汰
ちょきちょき工作をしてすごす
昔 子どもたちが破ったふすまの穴を塞ぐために
切り紙をして遊んだことが思い出される
今夜は肩こりがひどいかもしれない


2012年11月27日火曜日

ネコパコ事務室だより

    
清水の舞台から飛び降りる勢いで買ったペッカリー
若い日はいろいろと飛び降りるものらしい
悲しいかな 大事な手袋だが さすがに32年物になるとこうだ


いまだに革は丈夫で全く問題ないが 糸が……

何とかならんかな〜と「手袋修理」とネット検索すると
東かがわ市が引っ掛かった 
東かがわ市は昔から全国一番の手袋生産地(だったらしい)
そこで情報を求めて引田の「手袋ギャラリー」に行ってみることにした


古い木造工場をそのまま資料館にしているという
玄関前にあったこんな箱の穴をのぞいてみると
きゃっ!!かわいい!
箱の中にはジオラマが展開している


建物に入るとまず迎えてくれるのが手袋のお花畑

古い特殊ミシンやさまざまな道具があって飽きない
留守番をしていた気のよさそうな叔母さんが明日来れば若い職人さんが
「ちゃちゃ〜と縫ってくれますよ」とのたまう
やれ嬉しや!!

一晩 近くのキャンプ場で野宿して翌朝に備えた
海辺のキャンプ場はもちろん人っ子一人おらず貸し切り
あいにくの風雨もピロティーのお陰でちゃんとしのげた
周囲は楓の紅葉が美しく芝生の整備も整っている
場所はあえて書きませんよ〜秘密


翌朝勇んで行ってみた
若い物静かな女性が待っていて親切に相談に乗ってくれた
残念ながら「ちゃちゃ〜」とは行かない特殊な縫い方
もっと熟練した人に相談してくれる話になりしばらく預けることとなった
どんな風に修理されてくるか後日のお楽しみ
ちなみに古い町中を歩くとところどころにこの小さな箱がある
番号がずっとふってあるので順繰りにお話が続くらしい

親切で風情のある町 もう一度訪れたい


ハリネズミ子ちゃん chica

新宿の街をそぞろ歩いておったら、
百貨店の特設売り場で可愛い子ちゃんに出会った。
ハリネズミ子ちゃんである。
私は、色々な物に収集する悪癖があるが、ハリネズミもその一つである。
だって、なんだか、可愛いんだもの。

18000円。1960年代のオーストリア製だとか。ずっしり重い。
いいお値段である。
この値段に何も臆することなく、ぽんとお金を払える程、私はセレブリティではない。

しかし、ハリネズミ子ちゃん・・・・・。
 
可愛いよね。この鼻がヌッとしている処がなんとも・・・・・。


 そうそう、つぶらな瞳がまたいいのよね。
って、あれ?増えた?
 
 
 可愛い顔してるのに、針だらけって処が、また心くすぐられるのよね。
んんん????何が起きてる?


 そうそう、本当はペットに飼ってみたいんだけど、
夜行性だし、あんまり人には馴れないらしくて、諦めたのよ。
いやいやいや、まだ出てくるの?
 

 あの丸くなった時の拒否感もいいね。どいつもこいつも近付くな!って感じ。
場所も時も選ばず、とりあえず丸くなるって選択が愛らしいよね。
なんか、エライ増えたなぁ。
 
 
 要するに、愛らしさと攻撃性が同居してる感じがいいのよね。
ウサギもさ、よく見たら陰険な目なのがいいのよ。あの険悪な歯とね。
モグラなんて、凄いよ。土の竜だからね。なのに本物みたら拍子抜けだよ。
って、こんな小さいのまで出てくるの?



そんなハリネズミ子ちゃん一家。
何度も諦めようとしたが、結局買ってしまった。

こうして、我が家では、
分身するハリネズミやら、歯槽膿漏の虎やら、鼻水垂れた招き猫やらが
仲良く生息するのである。
chicaの家計を圧迫しながら。ああ、怖い怖い。

2012年11月24日土曜日

ネコパコ事務室だより

「チベットの高原に落ちしひと滴集まりて長江中国を貫く」

第30回子規顕彰全国短歌大会の特選作品の一つに姑の作品が選ばれた
まずこの歌の大きなスケールに驚く
チベットから東シナ海に至る6300キロの壮大な大地をゆく水の旅
どこからともなく喜多郎のシンセサイザーが聞こえる気がするではないか

御年88才 腕立て伏せ スクワットと体力作りに余念なき日常
歌作に励み知的好奇心の泉は枯れない

一体どこからひねり出された歌なのか…と言う疑念はさておき
老親が元気でいてくれることは子にとって本当にありがたいことだ
元気でいてくれるからこそ私達も泊まりで外出ができる

先週末 東京の自由学園美術展にでかけた
私の実家の母も兵庫から姉とともに上京し合流した
Shigeが出品しているのをみる楽しみもあるが
4年に一度開かれるのこの展覧会は3才から22才までの若い感性が
あふれるように秋陽のもとで鑑賞できるのでとてもおもしろい
若いころ小学校教師だったからか母は子どもの作品を見るのを喜ぶ
あんまり広すぎて少々疲れたかもしれないが渋谷のChikaの職場や浅草も歩き
とにかく元気で三日間の旅を無事終えて帰って行った
ライネケは土曜日の仕事を終えてからやってきた
今度は夫婦で歩くのをShige自身が案内してくれた
自由学園 http://www.jiyu.ac.jp/
是非一部でも見てほしい
以下はShige の作品
羊皮紙に虫こぶインクで書かれた聖書の写本
金箔を貼ったり絵の具も特殊なものを使ってある
併せて作った額縁まで本格的な仕上がり
選ばれた聖句はコリント信徒への手紙1 13章4〜7節

彼が最近もっとも興味がある素材 
一足 一足 革を切り出し手で縫い上げた3作品
いわゆる上手にできているものではないが
彼の意志が一針一針に感じられた

自由学園はたとえ卒業しても何の資格も得られない学校なのだが
今回は創立90周年の記念の年でもあり卒業生の作品も併せて展示があった
工芸の道に進んだ人の作品には、美しい工芸品と言うより生活の伴侶として長く身近に置いておきたい道具の息吹を感じさせる品が多かった
自然界からエネルギーをもらってうまく融合する事を知っている気がした
写真家として歩む公文健太郎さんの写真にも人が生きている美しさがあった

学園は専門教育としてではなく人間教育の一環として美術と音楽と体育を大切にしているちょっと風変わりな学校だ
都内にあってその広大な緑のキャンパスも特徴の一つ
在学して8年目の息子を通じて私自身悩み考えることが多くあった

人間はひとりで机の上で沢山のことを詰め込むだけでは幸せになれない
実際の生活の中でいかに多くの体験を積み重ねられるか
人とともにあることをどれだけ喜べるか 
感じたことを表現し自分の手で物を作り出す力が豊かさに通じるのでは?
しかし本当に学歴や資格から人は正しく解放されるか…
など など…
理想とすることがまだ至っていない苦しさがもちろんある
今年20歳になった息子がこれからどう生きて行くのかまだ分からない

でもきっと彼は意志を持って自分自身になっていくのだろう
道は自ずから備えられている、そこを応援すればよいと確信した機会だった
親にとって子どもたちが元気に生きていてくれる事がどれほどありがたいか

今回は はからずも子としてまた親として二つの立場から多くを感じた
人はもちろん元気な時ばかりではない
来し方行く末を思って秋空のもとを歩いた

2012年11月18日日曜日

ゆたんぽ

 晴れだよ、がまがえる。
…どうやらそのようじゃの。


もそもそ。
50リットル、と。ピッ。あとは頼んだぜ。

こうしてまた一日が過ぎてしまった。


*********************************************************************************
最近のゆたんぽはこんなに「おされ」なのである。
なんと。