ちょうど6年前の今日、当医院を開設した。
気がつけば、中庭の「次郎」が花を付けていた。目立たない花だけど。
しばらく前までは、5月17日になったらどうしようね、などと言っていたのだが、すっかり忘れていて、今朝、スタッフの皆さんに言われて、はじめて思い出した。
今日はだから、「宮内ひふ科」の六年目第一日目だ。
その間、私たちも5歳年とったわけだ。患者も少しは増えて、患者番号も五桁を超えた。最初は暇で暇でしょうがなかったけれど、今は暇に慣れて、これはこれでいいかもしれない、と思うようになった。それでも、夏の繁忙期なんか、結構忙しくて、年とったせいもあってえらいと思うこともある。心配もしたけれど、ちゃんと給料も払えて、少しは黒字のようだ。まあ、どうでもいいという気になった。
今年は、近所の道案内看板だけにして、とうとう、駅の看板も撤去した。なんと、撤去するのにも金がかかるんだぜ。
開院前、面接して採用したスタッフ6人(事務常勤1人、パート1人、看護師パート4人)が、3月まで、そっくりそのまま続いたけれど、看護師二人が、いろいろ事情があって退職し、その代わりになる人を探して、5・6月中に、新たに3人来てもらうことになった。あまり給料が良くなかったにもかかわらず、ほぼ五年間、開院時の6人がそのまま続いたということは、私たち雇い主側から見れば、甚だありがたい事だし、スタッフである被雇用者側からすると、それなりに居心地が良かったということになるのだろう。
皆さん、私の意図を察して、賢く、気持ちよく働いてくれた。腰が軽く、よく気が付き、年寄りには親切に、子どもたちには優しく辛抱強く、私の話の内容を理解してくれて、最近ろれつの回りにくくなった私に代わって説明もしてくれるようになった。五年間の手作りの賜物と言えるだろう。
今までのところ、私は幸せな医師なのだと思う。
駐車場の芝生は、すっかり枯れてしまったけれど、松山市の廃屋から移植したツタが自宅と駐車場を仕切る板塀を覆うように伸び広がり、
一年ほど前、吉川から、採取して移植したツタも、医院前面の石壁を這い登って行きつつあり、見上げるばかりになった。
医院前側駐車場のエゴの木も花をつけ、
虫の被害がひどくて、何度か枯れかけたヤマボウシも元気を取り戻して、緑の葉を茂らせた。
あと何年、仕事できるか分からない。いつまで生きられるのかも分からない。生きている限りは、行けるだけ行ってみよう。自分の生きた航跡が、白い泡となって消えてしまい、何もかも変わらないみたいに、夢のように過ぎていっても。
「世の中を 何にたとへむ 朝ぼらけ 漕ぎ往にし船の 跡なきがごと」
万葉集 巻三 351
5 件のコメント:
開院6周年おめでとうございます。
小学校か、いや、大学なら大学院までいって無事
卒業ですね。その間いろんな波乱があったことでしょう。
なにはともあれ僕はお陰さまで大学を出ることが出来ました。
感謝感謝。 がま
<ライネけ>
まあ、小学校じゃないでしょうか。
まる5年経過で、これから6年目ということなので、卒業まで、あと1年あるんだけどね。
がま君は無事卒業できてよかったね。
ということは、私も勤務6年目に
なるんだな。
今年も次郎坊がドングリならすといいですね。
実りの多い年も少ない年も
木陰は常に我々を守ってくれている。
感謝。
chica
<ネコパコ>
大樹ではないにしても
おおいなる恩恵に浴しながら日々暮らしています
おかげ様で
緑は和みます
雑草もまあそれなりに…
そろそろ中庭の整理をしないとマズイっ!かな
<ライネけ>
気候不順で、どうもこりゃ情勢が悪そうだな、という年は、ドングリが沢山なるそうだよ。
どうやら、一種の種保存のための本能らしいんだと。誰かさんから聞いた話だ。
本当かな?
コメントを投稿