2010年12月17日金曜日

小さきものたち

11月末、倉敷に行った。

大原美術館の枯れたツタの塀の入り口をくぐって、しばらく、美術館に接した広場のベンチで時を過ごした。16年間も倉敷で過ごしたけど、美術館に入ったのは数えるくらい。そういうものかね。

美術館の外壁の瓦のタイルが美しい。
時の流れとともに、一枚一枚が勝手に変色して行ってこうなったんだろうけど、期せずして、本当にきれいだね。

さて、キツネコ邸の屋上の芝生は、今年の夏の炎熱で、完全に滅亡してしまったかに見えるのだが、おやおや、いつの間にか、何か緑色のものが広がっているじゃないか。

よくよく見ると、
こんなちっちゃな葉っぱが、びっしりと土を覆っている。緑のもあれば、赤茶色っぽいのもあり、大きめのもあれば、小さいのもある。かわいいねえ。
その中に混じって、コケみたいなのの島がある。緑色の宝石みたいだよ。

ややや、こちらの隅も、こんな草が生え広がってる。
よく見ると、
なんだ、ただのカタバミではないか。でも、ちっさいうちはこんなに愛らしい。

それにしても、この一面はあかんねえ・・・。

と、思って、よく見たら、
茶色のちょっと厚手の小さな葉っぱたちが、ここにもびっしりと土を覆っているじゃないか。

「なにもなにも ちいさきものは みなうつくし」だな。ロナは、このところえらく食欲があって、昨日体重を量ってみたら、何と7キロもあった。彼ももう8才かな。毛もごわごわで、ちょっと粗大な感じだ。一才足らずの頃は、ちっさくて、毛も柔らかく、真っ白で、本当にきれいだったよ。

この連中は、これからどうなって行くのだろう。また、枯れてしまうのだろうか。それとも、芝生に代わって、それなりにキツネコ邸の屋上を覆い、守ってくれるのだろうか。このまま、育って行くにしても、大きくなるにつれて、憎らしげな、粗卑な雑草になり、怪物みたいにはびこって、結局、除去に手を焼かせるのだろうか。

自然に善も悪もなく、彼らには、ただ生存し繁殖するだけの本能みたいなものに従う使命があるだけで、別に人間どもから見て美しくあろう、とか、憎たらしくあろう、とかいう気はないに違いない。

梅が古木になると苔が生え付き、柿の葉が虫食い、黄色や赤に変わって行くのは美しいものだ。それが、やがて、老い朽ちて行くのを汚いと見るかどうかは、見るものの心次第だ。善も悪もきれいも汚いもない、というのは、別の次元の話だ。ライネケは、自然の命じるままにしたがって、老いて行こう。それが自然ならば、それを良しと考えて生きて行く方をとろう。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>

どこからどうやって来たものやら…

命の不思議さを感じます

雑草は程々に生長してから抜く方が労力が少なくて良いと昔教わりましたが、この子たちがびっしりワサワサ成長するのはちょっと怖いですね
コケの中に生えたのはピンセットで抜き去るのだとか

昨日母屋の草抜きをーもといー枯れ草整理をシルバー人材に頼んでやってもらいました
6人掛りで半日
雑草をしっかり育て上げて、申し訳ないこってした

またしても、ジャガイモが1kgばかり転がりでてきました
昨春残っていた指先ほどの小さい物から育ったのです
そのうち一個は煮ても煮ても固いままで、食べるとガリガリ音がしました
いじけて、木化したのだろうか…

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
>そのうち一個は煮ても煮ても固いままで、食べるとガリガリ音がしました

あれは、何だったんだろうね。

匿名 さんのコメント...

食べたんだ… gama